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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
一部の人がやりたがっている対イラン戦の勝算は? (スコア:1, 興味深い)
「勝てそうにないからやらない」という選択肢はないでしょう
から、この研究自体あまり意味ないかも。
戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:5, 興味深い)
日本では昭和十六年に「総力戦研究所」という国立シンクタンクが設立されました。
気鋭の若手官僚や産業界・大学の知的エリートたちが集められ、対米戦争を
遂行した場合勝敗はどうなるか、ということを戦略のみならず生産・資源・交通輸送・労働力など
政府の持つすべての情報を総合してシミュレーションしました。
その結果は「日本必敗」。どのように戦争をしても、物資不足になり日本は敗れるという
結果がでたのでした。
ところが、当時陸軍大臣だった東條英機は「これは所詮机上の演習であり
実際の戦争とはやってみないとわからない。戦争は計画通りにはいかないものだ。」と一蹴。
この報告書の内容を知りながらも東條首相はこの年の12月に対米開戦を決意します。
#この研究所については猪瀬直樹の『日本人は何故戦争をしたか――昭和十六年夏の敗戦』に詳しいので
#興味のある方はご一読をお勧めします。
結論:どんなに優れたシミュレーションでも、トップがおバカだと何の役にも立たない。
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1)
やはり身ぐるみ剥がれて蹂躙されてたでしょうからねぇ。
黙ってされるがままになるよりは、打って出れば何かの間違いで…
なんて大甘な発想が頭をよぎってもおかしくはないですよ。
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1, 興味深い)
>なんて大甘な発想が頭をよぎってもおかしくはないですよ。
その割には「どこまでやって止める(講話に持ち込む)か」と言うような目論見は一切無かったようですね。
旧海軍のジョークには「アメリカに勝ってハドソン河口で観艦式」ってのがありましたが、始めたら止めなきゃならないのに、走りだしてから泥縄で考えようとしてるうちに泥沼にはまったとしか見えません。
このあたり、何をもって戦略目標の達成とすべきだったか、いわば「如何に勝つべきだったか」という点での反省や検証は少なく近年日本の国家戦略云々でもその影響は小さくないような。
対米英戦の見通しという点では、三国軍事同盟締結問題が焦点になっていた当時、国策決定の場であった五相会議の席上陸軍大臣が無留保の同盟締結を主張した際、大蔵大臣が
「同盟を結ぶとすれば、日独伊3国が、英仏米ソ4国を相手に戦争をする場合がありうる。その際、8割までは海軍の戦争になるが日独伊の海軍は、英仏米ソの海軍と戦って勝つ見込みがあるのか」
と聞いたのに対して、海軍大臣は
「勝つ見込みはありません。大体、日本の海軍は米英を向うに回して戦争をするように建造されてはおりません。独伊の海軍に到っては問題になりません。」
と答えています。
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1)
日本人だけで400万人以上が無為の死を遂げたわけで。
それまで得てきたものを失う
リスクをあまりに過大評価したと思いますね。
そもそもハルノートを受託することによって
満州の独占を失ったとしても、
実際にみぐるみ剥がされる状態に陥ったとも言えません。
日中戦争開始前の貿易統計を一覧しても
日本の満州国を含む対アジア貿易は、
対英米貿易と比べて余りに低いです。
日本からの輸出額でやっと半分、輸入額で5分の1くらい。
満州は日本の国力の源とはなり得てませんでした。
まぁ陸軍がアヘンの密売で裏金作るための
最重要拠点ではあったかもしれませんが。
日本が国力を維持するために
必要な対外関係は、どの国との間のものであるか
判断できてなかったとしか言いようありません。
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1)
強迫観念(周辺国の状況を見る限り事実でもありますね)がありましたからね。
それに、当時は現在以上に「一歩譲歩すれば五歩十歩と踏み込まれる」時代でしたし、
あんな条件飲めば、すぐ次が来て身ぐるみ剥がれる、と考えること自体は、まっとうな判断だと思いますよ。
#1174220さんが指摘されてますが、
「勝てるわけないが、始めるしかない」と判断したくせに、落としどころも考えてなかった、
という方が問題でしょう。
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1)
>強迫観念(周辺国の状況を見る限り事実でもありますね)がありましたからね。
この認識って当時の内外の指導層において、どの程度のものだったのでしょうね。
すでに完成された政体を維持している日本本土の植民地化が可能であると
考えられていたとは、ちょっと考えがたいのです。
例えばアジアにおいて日本より遥かに弱体でありながら、
安定した政体を維持していたためか、
独立を維持しえていたタイ王国のような例もあります。
もし一戦して敗れたとして
過大な賠償を背負わされ、悲惨な経済状態に陥った一次大戦敗戦後のドイツが
強力な(強力すぎる?)指導者のもとにおいて
一応立て直しには成功した実例も目の前にあったわけです。
みぐるみ剥がされるという被害妄想に陥った
ハルノート以前の国家運営にも
誤りがあったとしかいいようが無いと考えています。
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1)
○○の判断が誤りだ。
↑
この状況ではやむを得ない選択だ。
↑
そういう状況に陥ったのは、その前の△△の判断が誤りだ。
↑
……
まるでデスマの原因探しのようですが、
具体的目標や理想的なプロセスの決まっているプロジェクトと違って、
国家運営で、あの選択は誤りだったってのは、後からしか言えないんですよね。
当時の認識について、私のコメントはちょっと極端だったかも知れませんが、
他国の成功例に倣えるかというと、状況が異なれば無理でしょう。
特に、日本があらぬ方向に突っ走ることになった要因の一つに
白人の他人種差別がありますから、欧州の国であるドイツが参考になるかどうか。
# でもタイはアジアだろう、まずは日本がそういう状況に(略)と言われてもアレですが…
Re:戦線から遠退くと楽観主義が現実に取ってかわる (スコア:1)
私がもっとも懸念していることは
やむを得ない選択であった。といって御仕舞にしてしまうことで
責任の所在を不明確し、再発防止の検討を蔑ろにすることなんです。
そして後からであるからこと、
原因と責任を明らかにすることができると考えます。
デスマの例を挙げていただきましたが
すべてのPJが尽くデスマに突入するわけではありません。
やはり原因となる因子があって、デスマに至るわけです。
そしてデスマや赤字物件を生み出した管理者というのは
やむを得ざる理由というのがあったとしても
真っ当な企業なら相応の責任を取らされますよね。
戦争は道義上および経済上の観点から、最大限徹底的に避けるべきものです。
一方で、戦争は外交の究極の形態に過ぎないとも考えています。
ですから、必要ならばその選択を取る、取り得る状況を設定することは
国家の選択としては間違っていないと思います。
ただし、やるからには"絶対に"勝たなければ意味がありません。
負ける戦争に突入した、突入させた原因はこれを洗い出し
責任を追及し、反省の材料にするべきと考えるのです。
→何をもって勝ちとするか、その目標設定も肝要であります。
また、あの戦争で負けてよかったという意見も散見しますが
それこそ冗談ではないと思っています。
国家の目的の一つが自国民の保護にあるのは自明だと思います。
よって負ける戦争をやった責任、数百万の自国民を犬死にさせた罪は、
その時点においてやむを得ざる選択であったといっても
そのときの為政者、指導者が負うべきものであり
半世紀やそこらで消えるものではないと思います。
後に続く者としては死を代償として得た教訓を
無駄にしないよう努めたいと思いますが。
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜