アカウント名:
パスワード:
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
「自然なこと」と言ったのを肯定的にとらえられたようですが、別段そんなつもりはありません。「人が人に殺意を抱くように」「人が差別の心を持つように」自然だ、と言ったって別に意味は変わりません。今現在でも世界中でいろんな理由で人が人を殺していますし、差別は今も隠然と(地域によっては公然と)行われています。
「まったく自然なことだ」と言ったからと言って、それによる行動を全肯定しているとは思わないでいただきたいです。
言いかたをかえてみると、年頃の男が女性に対して性欲を抱くことは、「まったく自然なこと」です。そうでしょう?でもそれを肯定したからと言って、強姦することを肯定したと思われては困ります。いやマジで。
どうも過激な宗教否定派の人には、宗教がらみのことを全部強姦レベルで考える人がいて困ります(あなたのことではないです)。
信仰心を抱くことは「人間としてまったく自然なこと」であると考えられますが、イエス・キリストやブッダの言葉に心うたれ、正しく生きようとする人間と、宗教を理由にして人を傷つけようとする人間は、恋する青年と強姦魔くらいは違います。そのへんをご理解いただければと思いますね。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
アインシュタインでさえ (スコア:2, 興味深い)
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
まず、kai氏の主張は、3つの点からナンセンスです。
1.明らかにアインシュタインの抄訳すら読んでいない。さらに悪い事に、ジャーナリスティックに抜き出された一文に反射的に飛びついている点。
2.長々と論じ立ててる割に、議論が杜撰で、論理的飛躍がある点。一つ例を上げれば、Kai氏の論法をそのまま利用して"差別"も肯定で
事実、人類は有史以前より"差別"に熱心で、それを維持するために結構なコストを払ってきました。だからといって差別は"信仰心を持つことは、人が人を愛し、美味しい食べ物を楽しむのと同じように、人間としてまったく自然なこと"なのでしょうかね?
3.進化論を短絡的に用いている点。
しかし、一番の問題は、これらの議論によってアインシュタインを非難している点です。
文脈も顧みず、アインシュタインの意図を勘違いし、お粗末な議論を重ね、アインシュタインを"科学的に非難"するというのはまったくもって慎み以前の問題ではないでしょうか?
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
「自然なこと」と言ったのを肯定的にとらえられたようですが、別段そんなつもりはありません。「人が人に殺意を抱くように」「人が差別の心を持つように」自然だ、と言ったって別に意味は変わりません。今現在でも世界中でいろんな理由で人が人を殺していますし、差別は今も隠然と(地域によっては公然と)行われています。
「まったく自然なことだ」と言ったからと言って、それによる行動を全肯定しているとは思わないでいただきたいです。
言いかたをかえてみると、年頃の男が女性に対して性欲を抱くことは、「まったく自然なこと」です。そうでしょう?でもそれを肯定したからと言って、強姦することを肯定したと思われては困ります。いやマジで。
どうも過激な宗教否定派の人には、宗教がらみのことを全部強姦レベルで考える人がいて困ります(あなたのことではないです)。
信仰心を抱くことは「人間としてまったく自然なこと」であると考えられますが、イエス・キリストやブッダの言葉に心うたれ、正しく生きようとする人間と、宗教を理由にして人を傷つけようとする人間は、恋する青年と強姦魔くらいは違います。そのへんをご理解いただければと思いますね。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
リンゴは下に落ちるのが「まったく自然なこと」ですが、そのメカニズムとその裏にある
自然法則を探求するのが自然科学です。
「年頃の男が女性に対して性欲を抱くこと」も、「信仰心を抱くこと」も、なぜそうなるのか
を研究することは重要でしょう。
その上で、もし性欲がなくとも人類社会がより幸福のうちに発展維持でき、また性欲を抑制する
方法が実現するなら、当然「性欲はよくないことだからなくそう」という考え方が生まれます。
当然、差別や信仰心も同じです。「みんな同じ(ように信仰心/差別心/性欲)をもつのだから
自然なんだ。このままでいいんだ」というのは単なる思考停止だし、主観的な「好み」にすぎません。
私が「体育会系のノリは不快だし、真剣に信仰を説く人は痛いから、啓蒙し、この世からなくして
しまいたい」と思うのと同等の価値しかありません。