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第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。 一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合 二 技術的保護手段の回避( 技術的保
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
当該条文へのリンク (スコア:0)
お願いですから、この手の議論をする際には、
関係する法律の条文へのリンクを張って下さい。
ちなみに今回の件は、著作権法の三十条が関係してきます。
Re:当該条文へのリンク (スコア:2, 参考になる)
-- wanna be the biggest dreamer
Wrong law (Re:当該条文へのリンク) (スコア:1)
この発言の意図をはかりかねるのですが、著作権法のデジタル関連の条文自体がア メリカなどの著作権ビジネス業界の圧力を受けて出来たWIPOの条約をろくな議論もなし に批准した結果なのだから、
影響が出た今こそ十分な議論を行うべきでないでしょうか。
つまりは、我々のようなGeekの間ではやばいと認識されていたこれらの条文の危険性をアピールし、撤廃に持って行く世論を喚起する好機だと開きなおる必要がある。
「買ったCDが自分のMDやMP3プレイヤーにコピーできないのはおかしい」「パソコンだ けなぜ差別されるのか」「(avexの場合)Windows以外のユーザはどうなるんだ」 などと言うことを個人がアピールすると同時に、国民生活センター [kokusen.go.jp]のような消費者保護機関や 日本消費者連合 [apc.org]のような消費者団体に苦情などの形で持ち込んで、社会問題化する必要があると思うのですが。
一部著作権専門家の危惧の声までも無視して強行したWIPO条約の批准自体が間違ってい た事を思い知らせるべき好機である。と自分では思うし、そうでないにしても著作 権補償金を個人が直接著作権者に支払う制度が(JASRACなどという権利ゴロを通さずに) 無いこと自体が「片手落ち」ではないかと思うのですが…。
Re:Wrong law (Re:当該条文へのリンク) (スコア:1)
>この発言の意図をはかりかねるのですが、
>つまりは、我々のようなGeekの間ではやばいと認識されていたこれらの条文の危険性をアピールし、撤廃に持って行く世論を喚起する好機だと開きなおる必要がある。
大体そういう意図です。
avex が悪いとかバカだとか言って満足してないで、それを認める著作権法の問題を議論したい。
どうも二項分割したい人達からは誤解受けやすいんですが、僕は別に RIAJ も JASRAC も敵だとは思ってないです。自分の利益を主張するのは当たり前だし。
まぁ、相手があくまで自分の利益しか考えないなら、敵視せざるをえませんが(これは反JASRAC側にもいえる)。
色々な利害を総合的に考えた時に、一番よい形体はどんなのだろうかと考えるだけです。買った音楽を個々のスタイルに合った機器で自由に使うことは認められるべきだと思う。要するにまずフェアユースを認めろってことで。
-- wanna be the biggest dreamer
Re:Wrong law (Re:当該条文へのリンク) (スコア:1)
同感です。
問題の本質はavexやJASRACの存在ってよりは、デジタル化のどさくさに、公益を保証する筈の著作権法が、私益を重視するように変質したことだと思うのです。
これはfjとかで [news]昔叩かれた考えなのですが、著作権法では前文に「文化の発展に寄与する為(著作者および権利者の)財産権などを保証する」と言う主旨がこめられている訳ですが、とくにここ最近の幾つかの著作権関連の事件や争いを見ていると、文化の発展など二の次で、著作「権」者の一方的な利益を保証する為の根拠づけとしてしか著作権法が機能しなくなっている。
つまりは、実際の著作者(それはアーティストだったりプログラマだったり作家だったりする)ではなく、権利を譲渡された企業や団体の利潤をどれだけ保証するかと言う点に、明らかにウェイトが移っており、文化の発展とかどーでもよくなってしまっているのが実情ではないでしょうか。
文化を発展させる為には、気軽に視聴できたり、デジタル・アナログのわけへだてなく、個人の裁量で著作物を扱えるようにしたり(これはコピーはもちろん、別の流れでだしている 殺害塩化や猛毒 [murder666.com] が多用しているようなレベルのサンプリングやカバーやコラージュやパロディ・批評も含まれる)する事が重要です。
知的所有権の関係で全くのオリジナルしか認められないならば、それは文化の停滞と破壊を意味すると思うのですが。
>色々な利害を総合的に考えた時に、一番よい形体はどんなのだろうかと考えるだけです。買った音楽を個々のスタイルに合った機器で自由に使うことは認められるべきだと思う。要するにまずフェアユースを認めろってことで。
まさに、その通りです。
今はバランスが著作権者に偏り過ぎていて、実際の著作者がカバーやパロディに対して許容していたり、再発にOKをだしても、著作権を保有する側がNOと言うので容易には出来なくなっている という歪んだ構造が出来上がっています、
このことこそが、今回のような問題が起きた原因の本質であり、たださねばならない所だと思うのですが。