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目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
カウンセリングに至るまで (スコア:3, 興味深い)
欧米のように「宗教」「価値観」がそれなりに一定している地域では、そういう自覚や意志が産まれる可能性があり、カウンセリングという分野が成立しますが、そもそも「正常である」「異常である」を分ける基準にするべき価値観のないところでは、結局あまり意味のないものになります。チョー貧困の地域とか、価値観そのものが混乱しているところ、政府が安定していない紛争地域なんかね。
あと、ひところ流行った新興宗教のような「自己開発セミナー」みたいな手法も使うことがときどきですけどあるから、なんだかすごくいかがわしい印象も拭いきれない。
そういうわけで、日本でカウンセリングやっている人って、何人か会ったけど、いま一ついかがわしい雰囲気があって、かつ、カウンセラーは「他になんもできないからこの分野で仕方なく仕事しているの」というような、人間的なバイタリティというものがカケラも感じられない人がとても多くて、かつ、日本では世の中の需要もこれまであまりなくて、きっとこれからもそう簡単には市場は広がらないと思う。
さらに、人のこころを扱うわけだから、臨床心理学とか宗教学、社会学とか、それなりにそれなりの勉強がかなり必要な分野だと思うのに、そういう、自分の持っている分野の隣接分野の勉強に積極的にチャレンジしていくような人も、日本では全く見たことないですね。人のこころというものをあまりに軽く見過ぎている人もとても多かった。
だから、あまり私は
良い印象はない
分野です。
でも、必要な人には必要な分野なんでしょうけど。
私はそういうモンは、自分がどんな状態になっても受けたいとも思わないですが。
ビョーキなの?(Re:カウンセリングに至るまで) (スコア:2, 興味深い)
セーシンテキビョーキ=異常=社会的に逸脱したという烙印
という判定装置がすでにありますね。それが多くのケースをより悪いほうに誘導してしまう気がしますが。Futaroさんはどう思われますか?
病気は治るものです。躁鬱は誰しも経験するものです。たとえば春になれば自分の新しい環境に対して多少ストレスは感じるものです。たいていの人はそれに対して自分で対処を見つけます。実際それが正解ではなく、長年にわたって個人の精神を傷つけることはありますが、身体と同様、精神も可塑性や自己治癒力を持っていますし、一時的な状態だけを取り出して「ビョーキ」という治療不可であるかのようなレッテルを貼るのはどうかと思います。
悩んだときに手相を見てもらったり、占いをしてみるといった行為とカウンセリングを受けるという行為は程度の差でしかないと思ってます。その「程度」が重要ではありますが。
ボクにとっては、
>「正常である」「異常である」を分ける基準にするべき価値観
は客観的には程度の差でしかないし、ボーダラインなどは主観的にしかなりえないものです。他者から「あんたはココロノビョーキだ」なんていわれたくもない。
>カウ ンセラーは「他になんもできないからこの分野で仕方なく仕事しているの」というような、人間的なバイタリティというものがカケラも 感じられない
そうですか?
ボクもカウンセラーという職業の方を何人か知ってますし、自分もカウンセラーになるためにはどういう経験が必要か多少は知っているのでいうのですが、バイタリティというのはいつも一方通行ではありえません。バイタリティが常にポジティブ方向であったなら、それは躁病か、強迫観念のもとにつねにポジティブであるように仕向けられている感じがして、ボクならむしろ疑います。
クライアントの多くは「病気」ではないので、健康保険が適用されません。が世間的には烙印を押されてしまいます。ダブルスタンダードですね。クライアント自身が辛いだけでなく、そういった方々と相対するカウンセラーも開業は非常に辛いものだと思います。
そして、カウンセラーの多くは自らがクライアントとして分析を受けた経験を有しているはずです。
太陽の光線の下で見える世界だけではなく、月のあかりの下でしか見えない世界もあります。それを知った人間は、クライアントに対しても、その外の世界から見た場合の印象として必ずしもいわゆるポジティブと映る態度で接するとは限らないでしょう。
-- (ま)
Re:ビョーキなの?(Re:カウンセリングに至るまで) (スコア:1)
うーん、私が会った人が悪かったのかも知れません。
でも、数人、ということではなく、数十人には会ったと思います。
アメリカのDSM (スコア:1)
特にDSM-IVを使えばかなり金儲けできますが問題ありですね。何せセックスや恋愛で悩んでいる人はみんな異常と定義して病気にすることができるんだから。
そんなカウンセリング受けるんだったら、ドゥルーズ・ガタリの『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』でも読んだ方がマシです。
他力本願。
Re:カウンセリングに至るまで (スコア:1)
確かに、自分に必要が無いと思ってる人には、いかがわしい雰囲気のある分野かも知れません。
しかし、日本のカウンセラーは全て不勉強かつバイタリティが感じられないかと言えば、そんな事はないでしょう。
それと、ココロとカラダを別に考えられてるかも知れませんが、必ずしもそうとは言い切れません。
カラダの異変がココロに影響を及ぼす事も多々あります。
私の知人は、カウンセリングと精神科医の診断の結果、脳の疾患を疑われ、手遅れになる前に発見することができました。
そんな事は稀でしょうが、自分に合うカウンセラーに会う機会が増えるだけでも有用なサービスだと思います。
#占い師に相談して、変に決め付けられるよりはマシかと。
#どうも知り合いには占い師の言う事を鵜呑みにする人が多くて困る。