アカウント名:
パスワード:
監視せずに管理できるでしょうか?少なくとも両者が無関係ではないですよね。次のポイントは監視だけでどれだけ管理できるのか、ということです。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
監視・管理・権力 (スコア:3, 参考になる)
権力は通常考えられているように何かを抑圧したり禁止したりするのではなく、監視や処罰などの道具を用いて、身体の管理を行い(人の一挙手一投足までをも管理しようとする)、人々を「生産的」にさせようとします。
ここでの生産は、経済的生産のみならず、学校での成績、工場での能率、病院での健康、軍隊での「破壊力」の生産さえも意味します。つまりは権力(国家や個人が所有するものではなく、人と人との関係に常に存在し、社会全体に網の目のように存在する)は、人の身体を管理し、規律=訓練し、矯正することによって、個人の生産的可能性の生産を、個人の資質の訓育的生産を、つまりは「役立つ個人」を作り出そうとします。
つまり監視はそうした規律=訓練的権力の道具に他なりません。監視と言えば、監獄における一望監視装置(パノプティコン)が有名でしょう。そこでは監視は、人が行うのではなく、建物の構造そのものによって行われ、囚人達は自分で自分を監視するようになってしまうという、まさに悪魔的な装置です。この監視によって、人々は身体を管理され、「(社会に)役立つ個人」としてのみ生きるのを許されます。
子供が犠牲となる事件が連日のように報道され、上記のような「通学路のカメラ設置」などのような議論が盛んに起き、監視はもはや全ての路上で行われつつあります。
これは警察官が非行者の存在によって自身の存在の言い訳をしているのと同じです。フーコーは述べています。「非行のない社会、これは18世紀に人々が夢見たものです。ところがその後は、何としたこと!非行のない社会などという、愚かしくて結局は危険なものを夢みてなどはいられないほど、非行と言うものは有益すぎるものでした。非行なければ警察なし、です。非行者に対する恐れがなかったら、一体何が警察の存在、警察の監督を民衆に容認させてくれるでしょうか。あなたは(警察が)すばらしい授かり物だなどとおっしゃる。警察というごく最近の、そして非常に圧迫的な制度は、そのことによってしか正当化されないものです。あの制服を着て武器を持った人々を、自分たちにはそうする権利がないのにわれわれが自分たちの中に受け入れ、彼らが家の戸口でうろついたりするのを認めているけれど、非行者が存在しなかったら、どうしてそんなことがありうるでしょうか。新聞に非行者がいかに多数で危険であるかを語る記事が毎日のらなかったら、どうしてそんなことがありうるでしょうか」(ミシェル・フーコー(伊東晃訳)「権力の戯れ」『エピステーメー』1977 12月号34、35頁)。つまりは、社会には沢山の非行者がいるとマスメディアが騒ぎ立て、人々の不安を煽り、その結果人々が警察を受け入れるということです。非行者は、警察が存在するアリバイ・言い訳となっているのです。「敵の恐怖が軍隊を「愛さ」せるのと同様に、同じく非行者の恐怖は警察の権力を「愛さ」せる」(ミシェル・フーコー『ユーロペオ』 NO.1515 1975年4月3日号63-65頁:※この文はフランスの雑誌から私が訳したものですが、訳したノートに雑誌名の原語表記がなく、ノートにあった通りに『ユーロペオ』としました。ご容赦下さい)。
監視も同じです。メディアが子供に対する犯罪を喧伝すればするほど、人々は不安や恐怖を感じます。そこにつけこんで、路上に監視カメラを設置しようという動きが出てきます。通学路に防犯カメラを設置と述べてはいますが、真の目的はそこではない。裏には人々の全行動の監視、そしてその監視によって個人の一挙手一投足まで管理するという目的があります。しかし監視したところで非行者は減らないでしょう。非行者こそ警察が存在するアリバイなのだから。監獄は決して非行者を更生などしません。「一八二〇年以来、監獄は犯罪者をまともな人間に変えるどころか、新しい犯罪者を作り出すことや、犯罪者を罪の道にさらに深く進ませることにしか役立たぬことが確認されています」(ミシェル・フーコー「権力の戯れ」『エピステーメー』1977 12月号28-30頁)。監獄自体が非行者を生み出し、非行者が警察が存在する言い訳を作る、という監獄・警察・非行者が三位一体となって社会全体の管理を推し進めているのです。
東京では石原都知事が、歌舞伎町などの繁華街に監視カメラを多く設置しました。その数は過剰を通り越して、異常なまでな数に膨れ上がっています。そして今度は最近の子供に対する犯罪の続出による社会不安を利用して、政府はますます監視カメラを設置し、人々に対する監視の目を光らせようとしています。その監視の目的は、犯罪の抑止などではありません。人々を監視することによって、人々を管理しやすくし、そのことによって人々を「生産的」に、「役立つ個人」にさせようとしているのです。
それでは監視に抵抗するにはどうすればよいのでしょう。オリジナルポストのハッカー集団のように監視に対する「抵抗」のネットワークを広げることでしょう。人々の身体に対する「管理」に抵抗し、社会全体を網の目状のネットワークとなって覆う「権力」に抵抗することでしょう。抵抗とは、共産主義・社会主義が描くような「国家対革命」という二項対立に属するものではありません。権力は人と人との関係において常に存在します。抵抗は権力のあるところ全てに存在します。なぜなら権力は自由な主体に行使されるものだから。従って抵抗は権力と同じく人と人との関係が存在するところどこにでも存在します。
蛇足ながら権力に対する「抵抗」について書きたいと思います。権力に対して私はとある作家が言った「ローコスト、ローストレス(収入は低くともストレスの少ない生き方)」を対置させたいと思います。その作家は、ひきこもりに関するトークショーで「人生は平均台を地面に落ちまいとよろよろと歩いているようなものだけれど、落ちたところでそこは地面でなんてことはない。地面は「君」を受け止めてくれる」というようなことを言いました。僕はそれに少なからず救われました。
きちんとしなさいと食卓で言われた子供が鼻くそをほじるのも抵抗。成績の向上を求められた生徒が不登校になるのも抵抗。オフィスで能率・効率を求められたサラリーマンがニートになるのも抵抗。そして監視カメラに向かって中指を突き立てるのも抵抗。私は身体の管理を強める、社会全体を覆う権力に対して抵抗を続けます。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:2, すばらしい洞察)
#あなたも一つの極として主張されているのかもしれませんが、それにしては真に迫っているもので……
ちなみに、例えば米国の(そしておそらく日本の)刑務所の数値目標の一つは、出獄者の再犯率です。これを下げることがKPIなわけです。実際にかつてにくれべれば改善しているようです。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1, 興味深い)
この辺から話がおかしくなってると思います。
ちなみに、不正が行われないように監視(して後の調査で使用するために記録を残す)こととユーザの行動を管理することは別物です。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
監視せずに管理できるでしょうか?少なくとも両者が無関係ではないですよね。次のポイントは監視だけでどれだけ管理できるのか、ということです。「監獄の誕生」はほとんど監視だけで十分だ、と言うお話ですので。
ただ、権力を固めるためには、看守の「監視する」という能動的な役割だけでなく、囚人に「監視されている」という意識が強く働くことが前提となります。そして、実際の監獄では、看守の存在を意識させるような作りになっています。あなたが頭に描いているケースにおいて、監視=管理とはならない、とすれば、ここらへんに問題があるのではないでしょうか?「隠しカメラ」ではフーコーの言う「監視」としては力不足なのです。「防犯カメラ」でないと。
ユーザーに監視されているという意識がない(常識の欠如による)場合は、ここでは「監視」とは呼べないわけですよ。
ともあれ、良し悪しは別にして、これが現代的な権力のあり方だ、ということです。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
「Bを行ったらAを行う」という話は違いますよ。
> 囚人に「監視されている」という意識が強く働くことが前提となります。
ふむ。で、監視されていると思ってるから犯罪行為が出来ないということが問題なんでしょうか?
警察に権力が無いとは言いませんが、その権力に囚われてる/必要以上に権力を作り出してるのは「Bを行ったらAを行う」と勝手に思い込んでるユーザの方なんじゃないかと。
#パトカーが通りかかると、必要も無いのに急にまじめに振舞う奴を思い出した
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
#フーコーが『監獄の誕生』を出してから早30年。
#しかし、正しい権力の認識ではなく、依然として以前からの「常識的な」誤った権力観がまかり通っている。
#何をすることが可能だろうか。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
> #何をすることが可能だろうか。
お前が「自分こそが正しく相手が間違っている」という態度を捨てて話し合いに応じることだよ。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
監獄を見ているフーコーは監視しているのでしょうか?それとも、監視されているのでしょうか?
おそらく、監視しているわけでも、監視されているわけでもない第三者の立場に立っているでしょう。さて、その監獄を見たフーコーは監視者に対して服従しようと思うでしょうか?
普段我々は第三者の立場に立っているわけですが、もちろんこの立場は安定なものではありません。例えば本屋で商品を窃盗をしようとするときなどは、監視されているという立場に立つことになるでしょうね。
#「我々は監視されている」と叫ぶことは、監視されていることを内面化した人々を
#作り出すいい方法だとは思いますけどね。
##なんてったって、監視方法はカメラに限らないんだし。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
>「Bを行ったらAを行う」という話は違いますよ。
当たり前です。どの辺で混同していると思ったんですか?
> 監視されていると思ってるから犯罪行為が出来ないということが問題なんでしょうか?
違います。監視による権力が発生することが問題ではないのです。(もっとも、権力が極めて過剰に偏れば問題かもしれません。汚職とかでね)。「監視」というのは風見鶏のようなもので、監視が存在すれば、かならず権力の上下が存在してしまいます。権力というのは捉えどころのないものですが、「監視」という矢印をみれば、権力
Re:監視・管理・権力 (スコア:2, すばらしい洞察)
監視カメラを増やそうとする政策は、バランスを崩す一歩と言うよりも、弱体化したシステムの秩序を何とか維持しようとする、いわば「現在の」バランスを保つためのもののように思えます。
現在のバランスが長く保つとも思えないので、しばしの混乱の後に新しい安定期にたどり着くのでしょうが。
Re:管理の分散 (スコア:0)
そうそう。
社会保険庁の天下り団体が生み出す莫大なムダ金の流れを見てると、
確かに偏ったベクトルでの悪用は無いと思う事も出来るが、
あちこちから水漏れするバケツのように歯止め無く悪用されるという、
より大きい危険が頭をもたげてくるんだよな。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
> >「Bを行ったらAを行う」という話は違いますよ。
> 当たり前です。どの辺で混同していると思ったんですか?
このあたりです。
> > 勝手に思い込んでるユーザの方なんじゃないかと
> 「勝手な」思い込みではありません。これを覆すのが容易ではないという点で、現実的な脅威です。思い込む方がデフォルトですから。
あなたが(およびあなたが想定している民衆が)思い込んでるだけではないですか?
> 社会的な力というのは、個人の心がけではどうにもならないのです。
はじめっから「自分は権力の囚人だ」と絶望してたら……
権力が何かやるたびに脅えるでしょうねぇ。
#そして、その絶望を他人に押し付けてませんか?
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
一望監視装置においては、その建物の構造のみによって、つまり視線の配置(監視者は見られることなく囚人は監視される)のみによって、囚人は自分の心を自分で監視するようになります。そうするとどうなるか。自分で自分を監視するようになると、自分で自分の行動を統御するようになります。なぜか?自分で自分の行動をチェックしているのだから、罰を受けたくなければ当然自分の行動を統御します。統御=コントロール、つまりは管理です。
これは一望監視装置に想像の上で自分の身を置いてみると分かりやすいと思います。自分がどんな反応をするか考えてみて下さい。特異な人間でなければ、いずれ自分で自分を監視し、自分で自分の行動を管理すると思います。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
親コメントに「関係ない」という論理的欠陥があったのが問題です。反証として「関係ある」ことを示したまでなので、十分の方の説明は「次のポイント」の方を読んでください。
> > 社会的な力というのは、個人の心がけではどうにもならないのです。
> はじめっから「自分は権力の囚人だ」と絶望してたら……
> 権力が何かやるたびに脅えるでしょうねぇ。
権力が何かをするのではありません。監視によって権力が生まれるのです。そして、私が言った「力」というのはそういう意味ではありません。例えば、この正月は、道路が渋滞して
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
例えば、あなたは「防犯カメラ作動中」という注意書きや実際の防犯カメラを見て監視されていると感じるわけですか?わたしは「ああ、万引きが多いんだな」くらいにしか思いませんが(つまり、自分は監視の対象外として扱う。実際にマークされているかどうかは別として)、そのへんに認識の差があるのかも知れません。
そもそも犯罪を行う可能性のある人に対して「監視の目がある」と掲示することで犯罪を未然に防ぐことはそんなに悪いことですかね?
どうも、監視されると犯罪を行おうとしなくなるからいけないと言っているようにしか思えないのですが。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
監視すると権力が発生って言ってるだけで、権力が必ずしも悪いとは誰も言ってないでしょ。なぜ急に良し悪しの問題が出てくるのか理解に苦しむ。
ただ、状況を逆方向に回すのはとてつもなく難しい。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
監視されている/いない以前に、元々権力の構造の中に組み込まれているのです。
もし観光ツアーで見学しに行ったのなら、自分で自分を統制しようとはしないんじゃないですか?
そこに監視する仕組みがあることと、監視されていることは異なります。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
元の発言をよく読めば、そういうことを言っているのではないのは分かるはずですが。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
「一望監視」の図式は刑罰の領域でのみ作用するわけではありません。「一望監視施設」における見る-見られるという組み合わせを切り離す配置、視線の働きでもって全てを掌握する仕組み、こうしたものが、あらゆる特定の用途から切離すことができ、どのような用途にも応用することができる一般原理を示しています。「<一望監視施設>は一般化が可能な一つの作用モデルとして理解されなければならない」(注1)。上述のようにこれこそがフーコーが「一望監視方式」と呼ぶものです。「一望監視方式」は「抵抗や摩擦などのあらゆる障害をまぬがれる・・・作用」(注2)であるがゆえに、学校・病院・監獄・工場・軍隊などの<閉じ込め>の特異点を抜け出し、規律・訓練を隅々まで行き渡らせる役目を負うのです。
つまり、「監視する仕組み」は今や至る所にあるので、監視されていない人はいません。
観光ツアーで一望監視施設に見学に行った場合でも、ツアーガイドの人や監獄の広報の人に何か変な真似をしないか見られているでしょう。そうした場合観光ツアーの見学者が一望監視施設の何かを持ち帰ったり、(囚人がいた場合)囚人に凶器を渡したりなどという行動を取るでしょうか。
(注1) ミシェル・フーコー(田村俶訳)『監獄の誕生』(新潮社、1977)207頁
(注2) 同書、207頁
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
> 元の発言をよく読めば、そういうことを言っているのではないのは分かるはずですが。
後出しでそういう逃げを打てるような書きかたをしているのはよくわかる。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1, すばらしい洞察)
それ以前に文章が長いよ。3行でまとめてよ。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0, 荒らし)
のは思考停止したい人が言うことですな。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
独り言ならチラシの裏に(ry
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
権力性を厳しく糾弾する学者が、教授会や学会で権力を傲慢に振り回すのも、よくあることです。
哲学、法学、政治学、社会学をやってるような連中は、言ってることとやってることが合致しないのが基本です。話半分に聞いておきましょう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
わざわざ社会に抵抗なんてしないけど。
病気になったら、
健康保険で病院行きたいし、
生活に困ったら生活保護も欲しいし、
年金だって、ねえ。
交差点で大型トラックにひかれちゃったら、
やっぱり誰かに犯人さがしてほしいなあ。
高速道路で、
後ろから相対速度100km/hくらいで、
当て逃げされちゃってもこまるしねえ。
だから、
警察署では巡回カード書いてますし
税金払うくらいはやっております。
だめ?
-- LightSpeed-J
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
> 後ろから相対速度100km/hくらいで、
> 当て逃げされちゃってもこまるしねえ。
あなたが100km/hで走っていたとして、後ろの車は200km/hですか!!
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
4速で180km/h、5速だと200km/hを
超えるそうです。(未実験、ということで...)
4500ccなんていう大型のセダンなら、
公道250km/h巡航も楽勝でしょうね。
また、
決して高速道路でない第三京浜でも、
深夜だと150km/h程でクルージングしている人は、
今の時点でも結構いますよね。
何の規制もなければ、
「100km/h走行中に、
後から100km/hで刺される」
なんて、当たり前に起こる
そういう世の中になっちゃいますよ。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
LightSpeed-Jだけに「光速で走っている」っていうネタじゃなかったのか…
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
しかも、長い文章でごまかしですか。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
権威にたよらず、自分で論証、実証しましょう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
実際、フーコーは何一つ科学的な証明を行っていません。
つーか、その時代の「哲学者」ってのは、大半は大した意味のあることを言ってませんから。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
科学の経験主義的な分析と、その経験そのものの前提さえ問う哲学とは全く異なるものです(相容れないとは言いませんが)。
多分「ソーシャル・テクスト事件」なるものに影響されてそのような物言いが出てきたのだと思いますが、哲学と科学を一緒にする奇妙さを一度考えてみて下さい。
フーコーが間違っているというのならその論拠を提示して下さい。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
簡単です。理論の出発点が普遍的事実ではありませんので、仮定の上に仮定を積み上げただけの空虚な理論になっているからです。
実際のところ、何も証明できない理論を「これでも説明が付く」と言うだけで信じ込んでしまうのは、ニセ科学を信じ込んでしまう人と全く同じです。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
科学でさえ反証可能性を持った現段階での仮説に過ぎないと言うのに。
普遍的事実というものがもし存在するならば(見つけることができるならば)、私たちはこんなにもあらゆることについて議論することはないでしょう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
科学(的営為)と非科学(的営為)の区別も、科学的営為の基礎付けも、ともにほぼ不可能だという考え方もあります(この考え方の反動で、例の「ソーシャル・テクスト事件」や『「知」の欺瞞』といったソーカル事件が出てきたわけです)。
以下のリンクに簡単な説明があります。
クワイン × 論理実証主義 [nifty.com]