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監視せずに管理できるでしょうか?少なくとも両者が無関係ではないですよね。次のポイントは監視だけでどれだけ管理できるのか、ということです。
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
監視・管理・権力 (スコア:3, 参考になる)
権力は通常考えられているように何かを抑圧したり禁止したりするのではなく、監視や処罰などの道具を用いて、身体の管理を行い(人の一挙手一投足までをも管理しようとする)、人々を「生産的」にさせようとします。
ここでの生産は、経済的生産のみならず、学校での成績、工場での能率、病院での健康、軍隊での「破壊力」の生産さえも意味します。つまりは権力(国家や個人が所有するものではなく、人と人との関係に常に存在し、社会全体に網の目のよ
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1, 興味深い)
この辺から話がおかしくなってると思います。
ちなみに、不正が行われないように監視(して後の調査で使用するために記録を残す)こととユーザの行動を管理することは別物です。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
監視せずに管理できるでしょうか?少なくとも両者が無関係ではないですよね。次のポイントは監視だけでどれだけ管理できるのか、ということです。「監獄の誕生」はほとんど監視だけで十分だ、と言うお話ですので。
ただ、権力を固めるためには、看守の「監視する」という能動的な役割だけでなく、囚人に「監視されている」という意識が強く働くことが前提となります。そして、実際の監獄では、看守の存在を意識させるような作りになっています。あなたが頭に描いているケースにおいて、監視=管理とはならない、とすれば、ここらへんに問題があるのではないでしょうか?「隠しカメラ」ではフーコーの言う「監視」としては力不足なのです。「防犯カメラ」でないと。
ユーザーに監視されているという意識がない(常識の欠如による)場合は、ここでは「監視」とは呼べないわけですよ。
ともあれ、良し悪しは別にして、これが現代的な権力のあり方だ、ということです。
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
「Bを行ったらAを行う」という話は違いますよ。
> 囚人に「監視されている」という意識が強く働くことが前提となります。
ふむ。で、監視されていると思ってるから犯罪行為が出来ないということが問題なんでしょうか?
警察に権力が無いとは言いませんが、その権力に囚われてる/必要以上に権力を作り出してるのは「Bを行ったらAを行う」と勝手に思い込んでるユーザの方なんじゃないかと。
#パトカーが通りかかると、必要も無いのに急にまじめに振舞う奴を思い出した
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
>「Bを行ったらAを行う」という話は違いますよ。
当たり前です。どの辺で混同していると思ったんですか?
> 監視されていると思ってるから犯罪行為が出来ないということが問題なんでしょうか?
違います。監視による権力が発生することが問題ではないのです。(もっとも、権力が極めて過剰に偏れば問題かもしれません。汚職とかでね)。「監視」というのは風見鶏のようなもので、監視が存在すれば、かならず権力の上下が存在してしまいます。権力というのは捉えどころのないものですが、「監視」という矢印をみれば、権力
Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
> >「Bを行ったらAを行う」という話は違いますよ。
> 当たり前です。どの辺で混同していると思ったんですか?
このあたりです。
> > 勝手に思い込んでるユーザの方なんじゃないかと
> 「勝手な」思い込みではありません。これを覆すのが容易ではないという点で、現実的な脅威です。思い込む方がデフォルトですから。
あなたが(およびあなたが想定している民衆が)思い込んでるだけではないですか?
> 社会的な力というのは、個人の心がけではどうにもならないのです。
はじめっから「自分は権力の囚人だ」と絶望してたら……
権力が何かやるたびに脅えるでしょうねぇ。
#そして、その絶望を他人に押し付けてませんか?
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
一望監視装置においては、その建物の構造のみによって、つまり視線の配置(監視者は見られることなく囚人は監視される)のみによって、囚人は自分の心を自分で監視するようになります。そうするとどうなるか。自分で自分を監視するようになると、自分で自分の行動を統御するようになります。なぜか?自分で自分の行動をチェックしているのだから、罰を受けたくなければ当然自分の行動を統御します。統御=コントロール、つまりは管理です。
これは一望監視装置に想像の上で自分の身を置いてみると分かりやすいと思います。自分がどんな反応をするか考えてみて下さい。特異な人間でなければ、いずれ自分で自分を監視し、自分で自分の行動を管理すると思います。
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Re:監視・管理・権力 (スコア:0)
監視されている/いない以前に、元々権力の構造の中に組み込まれているのです。
もし観光ツアーで見学しに行ったのなら、自分で自分を統制しようとはしないんじゃないですか?
そこに監視する仕組みがあることと、監視されていることは異なります。
Re:監視・管理・権力 (スコア:1)
「一望監視」の図式は刑罰の領域でのみ作用するわけではありません。「一望監視施設」における見る-見られるという組み合わせを切り離す配置、視線の働きでもって全てを掌握する仕組み、こうしたものが、あらゆる特定の用途から切離すことができ、どのような用途にも応用することができる一般原理を示しています。「<一望監視施設>は一般化が可能な一つの作用モデルとして理解されなければならない」(注1)。上述のようにこれこそがフーコーが「一望監視方式」と呼ぶものです。「一望監視方式」は「抵抗や摩擦などのあらゆる障害をまぬがれる・・・作用」(注2)であるがゆえに、学校・病院・監獄・工場・軍隊などの<閉じ込め>の特異点を抜け出し、規律・訓練を隅々まで行き渡らせる役目を負うのです。
つまり、「監視する仕組み」は今や至る所にあるので、監視されていない人はいません。
観光ツアーで一望監視施設に見学に行った場合でも、ツアーガイドの人や監獄の広報の人に何か変な真似をしないか見られているでしょう。そうした場合観光ツアーの見学者が一望監視施設の何かを持ち帰ったり、(囚人がいた場合)囚人に凶器を渡したりなどという行動を取るでしょうか。
(注1) ミシェル・フーコー(田村俶訳)『監獄の誕生』(新潮社、1977)207頁
(注2) 同書、207頁
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