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過去の記録を見ると、最悪の1953年には「あと2分」まで進んでいる。
1953年って、何か重大な国際問題or事件とか起こったっけ? それに、冷戦まっさかりの頃でも、「真夜中までの時間」が長い年も有るし……ひょっとして、サイコロでもふって決めてるとか。
10時間あれば、戦略爆撃機によって、そのすべてを発射前に破壊することが出来た。
(1983年度発刊・戦略的思考とは何かより キッシンジャー談 岡崎久彦著) 他資料・外交・キッシンジャー著/危機の年上下巻 マイケルベシュロス著
しかし、その後ソ連は、この危機における惨めな敗退により、軍拡に走り 1969年には、ICBM保有数で米国を抜き、1974年にはSLBM数ですら米国を抜きました。
そして、米ソ核バランスが、我に有利と見越して、ソ連は1980年アフガンに侵攻したわけです。 残念ながら、当時の米国はベトナム戦争後の痛手に苦しみ、弾頭数ではやや優位であったものの その運用で用いられる核の三本柱であるICBM/SLBM/戦略爆撃機、 どれにおいてもソ連に対しパリティー(同等以下)でした。
それ故、米国がアフガン侵攻について抗議しても何ら効果がなく、 結局、黙認せざる得なかったのは、要はキューバの逆をやられた訳です。
以後、イランでの大使館人質事件で更に失態を重ねたカーターは退陣し、 米国は失われたバランスを回復し、パリティーに戻す為の大軍拡を開始します。
以上の様に、これでは何の為に危機を回避したか分かりません。問題はその後なのです。 キューバ危機については、その後についての対策としてホットラインとか、 そう言うの小物がクローズアップされますがタチの悪いプロパです 実際は、ソ連国防担当者の軍拡への固い決意を想起し、 余計に軍拡を煽る起爆剤になってしまいました。
結局、地政学におけるキューバ危機の位置付けなぞは、現在はそんなもんです。
13Dayとかの映画なんか、所詮、フィクションです。 録音されていたキューバ危機(NHKドキュメント)の方が余程説得性があります。
纏めとして、キューバ危機における米国首脳部の対応とは、 ミサイルギャップと同じ類だったのです。 しかし、実際はその後の対応を誤り、ベトナム戦争へと転がり落ちていく訳です。
#外交に完全な勝利者は居ない、あるのは小さな成果か… #あるいは完璧な失敗と破滅である #日本には完璧な成功しか望まない人が実に多い #その理由としては… #地政学、国際法、軍事戦略、兵站(グランドストライジー)学を教えない日本の大学にある #文理関係なくの必須の教養として教えるべきかと思う #そうすれば(世界史)歴史にも目を向ける様になるさ
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
基準が判らん (スコア:0, 余計なもの)
1953年って、何か重大な国際問題or事件とか起こったっけ?
それに、冷戦まっさかりの頃でも、「真夜中までの時間」が長い年も有るし……ひょっとして、サイコロでもふって決めてるとか。
Re:基準が判らん (スコア:2, 参考になる)
核爆弾だけ見ても、(冷戦時代は戦術核クラスであった)核兵器で武装している国はあの当時の何倍にもなっているにもかかわらず破滅への時計はこの時よりは長く設定されている訳で、
その当時当時の価値観や「世界的事件」としての衝撃度と言う主観的な要素が多く反映されてはいますよね。
>それに、冷戦まっさかりの頃でも、「真夜中までの時間」が長い年も有るし
核がここまで拡散せず(所謂「核五大国」以外には、南アフリカとイスラエルが極秘の内に核爆弾の実用化に成功したていどだった頃)に、米ソが睨み合っていた、「恐怖の均衡」が保たれていた時期の方が、確かに全面核戦争などの破滅的事態に陥る危険は少なく見えていたでしょうね。
多分、冷戦中よりも今が「危ない」とされているのは、原文未だ読んでいないので、タレコミに尾鰭付ける格好になりますが、
・核爆弾の開発・運用技術が余りに多くの国に拡散してしまった
・軍事核開発の有無に拘らず征伐戦争を起こす国もあれば、冷戦崩壊の余波から抜け出せずに不毛な紛争や虐殺の応酬を続けている地域が多くある。と言ったように、「核抜き」でも世界情勢がより不安定化している
・科学技術の乱用が祟ってか、地球の環境が激変して、多くの災害が発生するようになった
と言うあたりではないですかね。
つまり、冷戦での東西陣営の力のバランスの有無だけを「終末時計」の基準とすべき時代は、既に終わっている…全面核戦争以外に、もっと安易に人類を破滅に導くような状況が、昔は見えなかったけど、今は誰の目にも明らかな位噴出している…って事では無いですかね。
Re:基準が判らん (スコア:0)
Re:基準が判らん (スコア:5, 参考になる)
…ですか?
実際、当時の状況だけでは危機的な感じを与えましたが、
80年初頭には既にこのような結論が出ています。
キューバの時、政策担当者達は、世界終末戦争が近づく様な意識をもっていた。
しかし、今になってみれば(1980)政策決定があれほど容易だったものはなかったと言う、
えも知れぬ郷愁につつまれる。あのときソ連は70基のICBMしかなく、
しかもその燃料注入に10時間掛かったのである……。
10時間あれば、戦略爆撃機によって、そのすべてを発射前に破壊することが出来た。
(1983年度発刊・戦略的思考とは何かより キッシンジャー談 岡崎久彦著)
他資料・外交・キッシンジャー著/危機の年上下巻 マイケルベシュロス著
しかし、その後ソ連は、この危機における惨めな敗退により、軍拡に走り
1969年には、ICBM保有数で米国を抜き、1974年にはSLBM数ですら米国を抜きました。
そして、米ソ核バランスが、我に有利と見越して、ソ連は1980年アフガンに侵攻したわけです。
残念ながら、当時の米国はベトナム戦争後の痛手に苦しみ、弾頭数ではやや優位であったものの
その運用で用いられる核の三本柱であるICBM/SLBM/戦略爆撃機、
どれにおいてもソ連に対しパリティー(同等以下)でした。
それ故、米国がアフガン侵攻について抗議しても何ら効果がなく、
結局、黙認せざる得なかったのは、要はキューバの逆をやられた訳です。
以後、イランでの大使館人質事件で更に失態を重ねたカーターは退陣し、
米国は失われたバランスを回復し、パリティーに戻す為の大軍拡を開始します。
以上の様に、これでは何の為に危機を回避したか分かりません。問題はその後なのです。
キューバ危機については、その後についての対策としてホットラインとか、
そう言うの小物がクローズアップされますがタチの悪いプロパです
実際は、ソ連国防担当者の軍拡への固い決意を想起し、
余計に軍拡を煽る起爆剤になってしまいました。
結局、地政学におけるキューバ危機の位置付けなぞは、現在はそんなもんです。
13Dayとかの映画なんか、所詮、フィクションです。
録音されていたキューバ危機(NHKドキュメント)の方が余程説得性があります。
纏めとして、キューバ危機における米国首脳部の対応とは、
ミサイルギャップと同じ類だったのです。
しかし、実際はその後の対応を誤り、ベトナム戦争へと転がり落ちていく訳です。
#外交に完全な勝利者は居ない、あるのは小さな成果か…
#あるいは完璧な失敗と破滅である
#日本には完璧な成功しか望まない人が実に多い
#その理由としては…
#地政学、国際法、軍事戦略、兵站(グランドストライジー)学を教えない日本の大学にある
#文理関係なくの必須の教養として教えるべきかと思う
#そうすれば(世界史)歴史にも目を向ける様になるさ
Re:基準が判らん (スコア:2, 興味深い)
>>結局、黙認せざる得なかったのは、要はキューバの逆をやられた訳です。
と言うか、カーター大統領の安全保障アドバイザー、Zbigniew Brzezinski が次のように当時を振り返っています。
“ソ連のアフガン進攻直後に、「これでソ連に(アメリカが経験したと同様の)ベトナムをくれてやれる」とカーターに書いた”
(フランス誌、Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998 でのインタビュー。引用元をウィキでは紹介していませんが、参考 [wikipedia.org]までに。)
そんな彼の言葉に象徴されるように、ソ連をアフガンの泥沼にはめて、それに(しぶしぶ黙認する振りをして)裏では関与するつもりは元々無かった、との説明の方が事実に近いようです。
Re:基準が判らん (スコア:0)
> 実際、当時の状況だけでは危機的な感じを与えましたが、
だったはずなので意外な印象を持ったのです。