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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
20年くらい前 (スコア:4, 興味深い)
聞き取った言葉を助手の人が代弁していましたね。
学生だったあの頃、
「助手も相当頭が良くて、言っていることが理解できないと勤まらないよなぁ」
などと、先生たちと話したものです。
当時に比べれば、助手のハードルは下がったのでは?
でも、日常生活だけではなく、手足となって物理学の研究をお手伝い
しなくてはならないから、院生程度の学力は必要ってことでしょう。
つか、お払い箱になった今までの助手は、これからどうするのだろう?
一研究員として、博士の元に残る?
寄る年波に体力がもたず、やむなく交代なのか?
Re:20年くらい前 (スコア:1)
Re:20年くらい前 (スコア:4, 参考になる)
筋萎縮 [wikipedia.org]という点は共通していますが、原因で区別されるようです。
3~5年で死亡ということですから、発症から40年以上経過している博士は
とても長い方なのでしょう。
Re:20年くらい前 (スコア:5, 参考になる)
ホーキング博士自身が自らの病気について語っているページ(の翻訳版) [niigata-nh.go.jp]もあります。[オリジナル版 [hawking.org.uk]]
20歳頃に発症したようですので、たぶん1962年。翌年に専門医にかかり(博士によると病名をハッキリ告げられたのではなさそう)、1974年までは一人で活動できたそうです。それから補助が必要になり、1985年に肺炎を起こし気管切開、以後完全介護となりました。この経緯を追うと、非常に病気の進行がゆるやかだった事が分かります。普通は数年で起こる呼吸困難も起きていません。肺炎にさえかからなければ言葉を失うのもさらに遅かったのではないかと思えます。先のページ [imasy.or.jp]にも「ただし進行が長期間停止することもあり、個人差は大きいようです。」とあるようですし、単に治療環境に恵まれていたというわけではなく病気の個人差なのでしょう。
#博士にとっても(不幸な中でも)幸運かもしれませんが、人類にとっても幸運な気がします。