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RFIDも扱うIT技術者の自分が言うのも何だが――
私が小学生の頃は、下校途中の駄菓子屋で買い食いするのが日常だったものだが、 我が子が通っている小学校では寄り道厳禁。 登下校くらい、子どものプライバシーがあってもいいと思うのだが‥‥。
登下校時の事故/事件を防ぐため――と学校側は主張するのだが、それはおかしい。 通学路とか隣近所の大人が子どもをちゃんと見ていれば、 事故/事件が起きる可能性は、私が子どもの頃と大差ないはずである。
そう。現代は、地域の大人が子どもを見る責任を放棄しているのである。 隣近所のおじちゃん/おばちゃんは、挨拶もしなけりゃ、 子どもに声もかけてくれない。 なんで、こんな大人が増えちゃったのだろうか?
もしかして、システムが社会を完全管理してくれると信じている ビッグ・ブラザーに洗脳された大人が増えているのではないだろうか。
隣近所のおじちゃん・おばちゃんは「見知らぬ」第三者ではなかったと思いますよ。
そうですね。むしろこのRFID監視システムの管理技術者を初めとする、監視システムが吐き出す結果全体を知りうる立場にある人たちの方がよほど「見知らぬ第三者」に近いのでは。
誰それさん家の○○ちゃんだ、と思って子供を見ているおじちゃん・おばちゃんと、IDナンバーのみで識別される児童の動きをポイントポイントでチェックする(システムを作る)だけの管理技術者(プライバシーの面からはむしろこういう実装にすべきでしょう)と、一体どちらがまともに子供の安全を見てくれるのでしょうか……というのは情緒的に過ぎますかね。 # 正直に私の印象を述べると、実は # 「どっちも期待するほどには頼りにならない」なんですがね。 ## なぜって、今どきの親御さんが期待するのは ## 「100%の安全」なんでしょうから。
べつに排他的な関係ではないのだから、地域コミュニティも復活させつつ相互補完すればよい、という考え方もあるでしょうが、難しいでしょうね。
で、親の立場の意見からは、 「少しでも安全性が増えるのなら・・・」 って意見の方が良く見える。
それに、「見知らぬ第三者」と言って画一視していますが、その辺りの不審者も「見知らぬ第三者」だけども、警らする警官も「見知らぬ第三者」な訳で。 子供の安全に付いての責任を明記されて個人特定されている第三者と、
「見知らぬ第三者」と言って画一視していますが
議論の流れを見ていただけますか。papa-pahooさんが
現代は、地域の大人が子どもを見る責任を放棄しているのである。 隣近所のおじちゃん/おばちゃんは、挨拶もしなけりゃ、 子どもに声もかけてくれない。
と述べたコメントに対する返事として、#1027116 のACさんが、
我が子の安全を、見知らぬ第三者の目に頼っていた昔が変だったのではないだろうか?
と書かれていたので、otkさんの指摘に賛同し、それに付け加えて「RFIDを使った監視システムを運用する人たちだって、見知らぬ第三者には違いない」という見解を述べたまでです。「(近所の子供に声をかけていたような時代の)隣近所のおじちゃん・おばちゃん」をも「見知らぬ第三者」と捉えるならば、今回導入されるシステムの運用に携わる人たちも当然そう捉えるしかないでしょう、と。要するに「昔が変だった」という見解に反対しているということです。
子供の安全に付いての責任を明記されて個人特定されている第三者と、そうでないものの(それも危険度が高いと一般的に思われている者と)安全性が同一として見るってのもどうかと思います。
「そうでないものの(それも危険度が高いと一般的に思われている者と)」というのは誰のことでしょうか。もし「その辺りの不審者」ということであれば、私はそんな主張はしていません。私は「(昔の)隣近所のおじちゃん・おばちゃん」と「RFIDによる監視システムを運用する人たち」とを比較しただけです。もし「(昔の)隣近所のおじちゃん・おばちゃん」ということであるならば、「危険度が高いと一般的に思われてる」という部分に違和感を覚えます。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:1)
RFIDも扱うIT技術者の自分が言うのも何だが――
私が小学生の頃は、下校途中の駄菓子屋で買い食いするのが日常だったものだが、
我が子が通っている小学校では寄り道厳禁。
登下校くらい、子どものプライバシーがあってもいいと思うのだが‥‥。
登下校時の事故/事件を防ぐため――と学校側は主張するのだが、それはおかしい。
通学路とか隣近所の大人が子どもをちゃんと見ていれば、
事故/事件が起きる可能性は、私が子どもの頃と大差ないはずである。
そう。現代は、地域の大人が子どもを見る責任を放棄しているのである。
隣近所のおじちゃん/おばちゃんは、挨拶もしなけりゃ、
子どもに声もかけてくれない。
なんで、こんな大人が増えちゃったのだろうか?
もしかして、システムが社会を完全管理してくれると信じている
ビッグ・ブラザーに洗脳された大人が増えているのではないだろうか。
Re:ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:0)
技術の発展により、ようやくそういった不確実で未熟な状況を抜け出せるようになったのではあるまいか。
Re:ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:2, すばらしい洞察)
隣近所のおじちゃん・おばちゃんは「見知らぬ」第三者ではなかったと思いますよ。
Re:ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:1)
そうですね。むしろこのRFID監視システムの管理技術者を初めとする、監視システムが吐き出す結果全体を知りうる立場にある人たちの方がよほど「見知らぬ第三者」に近いのでは。
誰それさん家の○○ちゃんだ、と思って子供を見ているおじちゃん・おばちゃんと、IDナンバーのみで識別される児童の動きをポイントポイントでチェックする(システムを作る)だけの管理技術者(プライバシーの面からはむしろこういう実装にすべきでしょう)と、一体どちらがまともに子供の安全を見てくれるのでしょうか……というのは情緒的に過ぎますかね。
# 正直に私の印象を述べると、実は
# 「どっちも期待するほどには頼りにならない」なんですがね。
## なぜって、今どきの親御さんが期待するのは
## 「100%の安全」なんでしょうから。
べつに排他的な関係ではないのだから、地域コミュニティも復活させつつ相互補完すればよい、という考え方もあるでしょうが、難しいでしょうね。
Re:ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:0)
Re:ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:0)
>## 「100%の安全」なんでしょうから。
これは確かだと思うが、それを必須と言って喧伝するのは、大抵反対者の人達では?
「こんなものでは100%の安全は得られない」
って意見が散見されておりますが。
で、親の立場の意見からは、
「少しでも安全性が増えるのなら・・・」
って意見の方が良く見える。
それに、「見知らぬ第三者」と言って画一視していますが、その辺りの不審者も「見知らぬ第三者」だけども、警らする警官も「見知らぬ第三者」な訳で。
子供の安全に付いての責任を明記されて個人特定されている第三者と、
Re:ビッグ・ブラザーの陰謀? (スコア:1)
議論の流れを見ていただけますか。papa-pahooさんが
と述べたコメントに対する返事として、#1027116 のACさんが、
と書かれていたので、otkさんの指摘に賛同し、それに付け加えて「RFIDを使った監視システムを運用する人たちだって、見知らぬ第三者には違いない」という見解を述べたまでです。「(近所の子供に声をかけていたような時代の)隣近所のおじちゃん・おばちゃん」をも「見知らぬ第三者」と捉えるならば、今回導入されるシステムの運用に携わる人たちも当然そう捉えるしかないでしょう、と。要するに「昔が変だった」という見解に反対しているということです。
「そうでないものの(それも危険度が高いと一般的に思われている者と)」というのは誰のことでしょうか。もし「その辺りの不審者」ということであれば、私はそんな主張はしていません。私は「(昔の)隣近所のおじちゃん・おばちゃん」と「RFIDによる監視システムを運用する人たち」とを比較しただけです。もし「(昔の)隣近所のおじちゃん・おばちゃん」ということであるならば、「危険度が高いと一般的に思われてる」という部分に違和感を覚えます。