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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
問題ありません (スコア:-1, 荒らし)
被害者意識も無いですし、別に悪いことしませんから
監視カメラぐらい別にどうでもよいです。
/.って監視カメラには、異常に反応する人達ばかりですが
日常的に、なにかやましいことでもしてるんですか?
反監視 (スコア:2, 興味深い)
規律=訓練的権力は、監視、処罰、試験という道具を使って、人々を「生産的」にさせようとします。
ここでの生産とは、経済的生産のみならず、学校での成績、工場での能率、病院での健康、軍隊での破壊力をさえ意味します。
私見では、この、従来の権力観(権力とは「国家」や「組織」が「所有」するものだ、といったような)とは異なった「人と人との関係に常に存在する」規律=訓練的権力が、資本主義にも共産主義にも存在する「労働(生産)至上主義」、もっと言えば「労働(生産)原理主
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:反監視 (スコア:1)
権力と統制は、過度にならない範囲では少しのイノベーションと、大部分の秩序でもって社会全体の生産性を極大化します。
勿論、抑制とコントロールは必要ですが、権力と統制が皆無ならば、そもそも世界は今の人口を養うことすらできないでしょう。
多数の豊かさと引き替えに、抑圧され、ドロップアウトしていく少数が居ることは、甘受せざるを得ない痛みだと思います。
勿論、自分がその少数の側であれば、こんなふうに語ることはできないでしょうし、その少数をどのように扱うかが、
その社会の持続可能性に大きな違いをもたらすと思います。
すなわち、監視も権力も統制も秩序も、どこでバランスをとるかの問題であって、今回のような具体的なテーマそれぞれに対する
態度の集積がその総体としてその水準を記述するとしかいえないのではないでしょうか。
そんなわけでこの件についての私の意見は、「べつにどちらでもいい」だったりしますが。