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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
軍人/政府の意向? (スコア:0)
軍人というか、政府の意向には、そりゃあ、逆らえないでしょう。
科学者はたいてい政府の庇護(職、研究施設、研究資金)のもとに
研究してるんだから。まして、宇宙開発などの大プロジェクトや、
軍事研究ともなれば。
他の国なら、いやならやめるとか亡命するとか手はあるかもしれないけど。
たとえば日本が核武装とかの道を選択したとして、科学者はそれに
従うでしょうか?
Re:軍人/政府の意向? (スコア:1)
ですから、政府の文官とは本来緊張関係がある存在です。政府の威光も、軍部の支持が重要なのです。
また、地方の部隊の独立性がかなり強く、一部軍閥化しているという話も聞きます。
西側のように、シビリアンコントロールがしっかりとれているのとは全然違います。
日本にたとえると、核武装の道を選択するとしたら、それは国民の負託を受けた議会の決断ということなので、
従う科学者も少なくないのでは?
Re:軍人/政府の意向? (スコア:1)
いや,そんなことを言ったら,歴史的にも現状の世界でも,「君主の軍」だったり「豪族の軍」「藩閥の軍」なことの方がむしろ当然であって,「国民の軍」な例の方が少ないのではないでしょうか?
# 「国民の軍」「民主主義国の軍」の方が,加減を知らないという例なら,顕著にあるかも。
> シビリアンコントロールがしっかりとれている
アドルフ・ヒトラーだって (元伍長だけど),「シビリアン」でしたね。
科学者や技術者,技能者,工員が「従う」のは,上が「シビリアン」だから,ではないのではないでしょうか?
"Patriotism is the last refuge of a scoundrel." - Samuel Johnson
Re:軍人/政府の意向? (スコア:0)
多寡をおっしゃるのなら、根拠を出してください。
> > シビリアンコントロールがしっかりとれている
> アドルフ・ヒトラーだって (元伍長だけど),「シビリアン」でしたね。
そのとおりです。
なぜ欧州があれほどまでにナチスをタブーにするか、という理由でもあります。
ですが、
> 科学者や技術者,技能者,工員が「従う」のは,上が「シビリアン」だから,ではないのではないでしょうか?
意味不明です。
元コメントの方も含め、シビリアンコントロールという概念が生じた経緯くらいは勉強してください。
Re:軍人/政府の意向? (スコア:1)
> > むしろ当然であって,「国民の軍」な例の方が少ないのではないでしょうか?
> 多寡をおっしゃるのなら、根拠を出してください。
「文明」と (現代において) 呼ばれるものがあってからの時間において,「国民軍」が存在し得たのがわずかでしかないという,言い換えれば,「国民軍」というのは,デモクラシー (とされるもの) が支配する国家,或いは,近代民族国家でこそ成立するもの,だというわたしの理解が誤っていなければ,「近代民主主義」とされる国家と,そうでない国家をみるだけで充分かと思いますが,あえて。
# デモクラシーが戦争 (の結末) を極端化するのだろう,とは思いますが,かといって,
# 批判も言論の自由もデモクラシーも,「「言ってはいけないこと」を言う」自由も,
# 否定する動機にはまだ足りないわたしです。
歴史的にみても,「君主」「豪族」「藩閥」或いは宗教団体や派閥が,軍 (「荘園の武士」でも「僧兵」でも,現代的には「武装勢力」「過激派」でも構いませんが) を掌握していたのであって,「「民衆」のもの」ではなかったことは,大方事実だろうと思いますが。
古代の「文明」とされる勢力の軍が,特定の「王」によるものでなかったでしょうか?
構成員とされる兵に,「市民」「非征服民」「植民地人」「奴隷」の区別がなかったでしょうか?
# もしかして,古代ローマに対峙したフランクやケルト,ゲルマン,それともインドのマガダや,チンギスハーンに従った人々を「国民軍」というのであれば,わたしとは「国家」「国民」の概念が異なっているのかもしれません。
また,ルネサンスのイタリア諸国 (「イタリア」という概念の存在以前) や,オスマン・トルコのような,或いは,ハプスブルク家のような勢力,それにフリードリヒII世のプロイセンあたりまでの軍隊は,基本的に傭兵でしょうし,傭兵によって成り立っている軍は今でもあります (「軍事顧問団」とか呼ばれる場合も含めて)。
# チェーザレ・ボルジアが「イタリア国軍」を夢見たという物語もありますね。あれはあれで,ロマンティック。
ナポレオンのフランス軍 (彼らは「国民軍」だったかもしれない) の対峙した「反革命国家」の軍隊であっても,基本的には傭兵だったはずです。ナポレオンに負けたヴェネツィアだって,海軍のメインは「市民」だったにしろ,他は傭兵でしたし,結果的に勝ったロシアであっても,「君主の軍」だったでしょう。
現代の世界の「民主主義国家」においても,「国民皆兵」であったり (それは逆説的に「国民軍」ではないとも言えるかもしれない),普通選挙が当然とされるように (「普通」)「徴兵」が当然であったり,社会階層や所得に無関係に「志願」がされているとは思えません。
# インドネシアでの学生暴動であっても,中共の最近の「天安門事件」であっても,
# 体制反駁に目覚めた「学生」とそれを制圧した「兵士」とは,おそらく同じ若者であっても,
# *親の* 経済格差はあったであろうと。
## 日本の「安保闘争」でも,そんな格差は在ったか無かったか。
イラクやレバノン,パレスチナ,或いはソマリアといった (日本からは) 地理的に遠い地域については,気づきにくいことかもしれませんが,人種・民族的には近いはずのアメリカ大陸「原住民」や「エスキモー」,また,チベットやビルマや (そうだな,アイヌ (あえてそう書く) や琉球,といった「他者」であったり「自者」であったりする人たちに,同じような「国民軍」というような「同一性」を簡単に求められるのか。
…いや,まぁ,「国民軍」,というか「国民」という言葉に疑問を持たない方には,「だったら,国民ってなんなのよ?」,「「民族」ってなんなのよ?」,「「文化」って何なのよ?」とたたみ掛けるしかないのですけれど。
ついでですが,「日本」(「やまと」であろうと「ひのもと」であろうと) においても,「『日本』という『国家』」が意識されたのは,(聖徳太子や他の指導者がどう想っていたのかはともあれ),たかだか明治以降のことでしょう。水戸学派とかが云々して,それを明治政府が利用することになるまでは,一般の民衆にあった「くに」の意識は,「民族国家」ではなかったはずです。明治の徴兵以前に,日本に「国民軍」があったのでしょうか?
> > > シビリアンコントロールがしっかりとれている
> > アドルフ・ヒトラーだって (元伍長だけど),「シビリアン」でしたね。
> そのとおりです。
> なぜ欧州があれほどまでにナチスをタブーにするか、という理由でもあります。
> ですが、
「シビリアン」が,たかが「衆愚」でしかない場合もあり得ることを承知した上での「言論制限」は勿論として,それでも「衆愚」を防がなければないという自省ではないのでは?
「反ユダヤ」による無節操 (それは,ナチス以前からも存在した) のであれば,以前も以後も同じような「ロジック」や「感情」 (「反移民」とか) はあるわけです。それでも,そういう「感情」には,冷静に対処しようという努力もあれば,ネオナチを危険視する反応だってあるわけです。
他にも AC [srad.jp] 氏に,気になるところがあるのであれば,こちらの見落としかもしれませんし,過誤かもしれませんが,「国民軍」がたかだか「最近の認識」であることに,まだ変われるところはありませんね。
> > 科学者や技術者,技能者,工員が「従う」のは,上が「シビリアン」だから,ではないのではないでしょうか?
> 意味不明です。
> 元コメントの方も含め、シビリアンコントロールという概念が生じた経緯くらいは勉強してください。
"Patriotism is the last refuge of a scoundrel." - Samuel Johnson
Re:軍人/政府の意向? (スコア:0)
Re:軍人/政府の意向? (スコア:0)
というよりも、第二次世界大戦終了後に再開された国共内戦の過程で、日本軍敗退から国民政府の支配権復興の間隙を突いて、共産主義勢力が地方軍閥に見返りを与えて取り込んでいったと見るのが正解です。
国民党の支配力が低下していた隙に素早く地方軍閥を自陣営に取り込めたからこそ、ごく短期間に内戦に勝利し大陸全土の支配権を手に入れられたのです。
取り込んだ軍閥配下の人材に治安維持や地方行政をやらせましたがその後、文革期までに大半は粛清されたようです。
それでも軍管区の幹部が地方ボス化する状況そのものには変化が見られません。