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#! /usr/bin/env rubyflag = 0;nums = 1..100nums.each { |num| if (num == num / 3 * 3) print "Fizz" flag = 1; end if (num == num / 5 * 5) print "Buzz" flag = 1; end if (flag == 0) print num
#! /usr/bin/gosh(use srfi-13)(define (count n m) (if (= n m) (cons n m) (cons n (count (+ n 1) m))))(map (lambda (n) (let ((str "")) (set! str
余計な事をして下手をうたなければOKなんでしょうけど、
これも言われる通りですし、
本当は出題者の意図を正しく汲み取れるか試されてるのかも知れませんぜ?
これもまた想定すべきでしょうね。 大元のコメントでオブジェクト設計の話が出てきた理由は私にも判ってない訳なんですが、そもそも面接でどの様に回答するかはケースバイケースで、臨機応変に対処できるのが一番なのでしょう。今回のコメントは、その中の一つとしてこんな対応もあり得るというだけのもので…
なんてこった、そうでしたか。真意は闇の中ですね。
なんか思考回路そのものが違うのを思い知らされる事ありますよね。
素養の違いと言うより、対応している問題への取り組み方の違いではないでしょうか?
普通のプログラムに、schema や haskell とかは大袈裟じゃないっすかね?
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
C? (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:C? (スコア:0)
って感じらしいですよ。なぜここでC#が出てくるのかわかりませんが。
Re:C? (スコア:1, すばらしい洞察)
設計時点から意識して作ってないとボロボロになるんですよね
言語としてのC++できますとかC#できますとかより
オブジェクト設計がキッチリできますって言う方のが大事
まぁこの手の概念と違ってコンピュータ系の言語なんて
そこそこ使えるレベルなら、すぐ覚えられるので
何でも良いって話もありますが
Re:C? (スコア:0)
「オブジェクト設計ができる」能力を判定されている事が理解できない人が多数いたよね
Re:C? (スコア:0)
理解できん。説明してくれ
Re:C? (スコア:-1, フレームのもと)
Re:C? (スコア:0)
「Fizz Buzz」を書けるかどうかは、
"「オブジェクト設計ができる」能力"とやらには、
まったく関係がないよね?
「プログラムが書ける」能力をみてるんだと思うんだけど。
Re:C? (スコア:1)
それには全く同意なのですが、これが面接での話であることを考慮すると、この問いに対してオブジェクト設計された回答をすることでそれなりのアピールになるという考えはあり得るのではないでしょうか。
例えば、「できるだけ早く作れということであれば、
Re:C? (スコア:1)
(日曜だし、このストーリはコメント多いしね、そもそもオフトピだし、当たり前か。でもこれからのスキルと言えば scheme ですよ!!)
処理系は gauche です。
Re:C? (スコア:0)
いまさら scheme ですか、勉強家だなぁ。
# 俺は添削できないですよ。
面接の回答にプラスアルファをつけて、
オブジェクト指向もOKですぜとアピールできるって話しでしたか。
余計な事をして下手をうたなければOKなんでしょうけど、
本当は出題者の意図を正しく汲み取れるか試されてるのかも知れませんぜ?
Re:C? (スコア:1)
これも言われる通りですし、
これもまた想定すべきでしょうね。
大元のコメントでオブジェクト設計の話が出てきた理由は私にも判ってない訳なんですが、そもそも面接でどの様に回答するかはケースバイケースで、臨機応変に対処できるのが一番なのでしょう。
今回のコメントは、その中の一つとしてこんな対応もあり得るというだけのもので…
Re:C? (スコア:0)
なんてこった、そうでしたか。真意は闇の中ですね。
> プログラマの素養の違いを見せ付けられた気がしました。
Haskeller や、Lisper とか、特に純粋に数学側からやって来た人々は、
何の苦もなくカリー化したりラムダにしたり、
アッセンブラやC/C++を好んでモノリシックに使う工業系の出身者とは、
なんか思考回路そのものが違うのを思い知らされる事ありますよね。
奴らはなんでそんな回りくどいのか…とか。
純粋に高度な数学的問題を解くツー
Re:C? (スコア:1)
面目ありません…
仰る通りですね。特に、今回のお題の様に、短い時間に限定されて発想を試されるような場合に顕著ですね。
そしてそれが経験や学習によって培われたものだろうと思うところに悔しさを感じながら尊敬の念を抱きます。
一部の人には最初から備わっているものなのかもしれませんが。
素養という言葉が余り宜しくなかったみたいです。
才能とか、予め備わっているものの様なつもりではなく、上に書いたような「経験や学習によって培われた能力」をイメージしていました。
ですから「対応している問題への取り組み方の違い」というものも含まれるつもりでいます。
そしてこの「取り組み方の違い」というものの影響が大きいととても感じているのでした。
言語も適材適所というご意見には賛同します。しかし、それは問題領域の違いだけでなく、対応する側の人材や投資可能なコストなどの問題も含めた大局的な判断によるものかもしれません。
確かに、大袈裟という捉え方もあると思いますが、人によっては逆に効率的という見方をすることもあるのでは?(慣れや考え方、環境などの問題で、優劣を示すものではありません)