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歴史を遡ってみると、いわゆる絶対王制のころ、王の権力は「神から授かった」なんていわれていましたよね。ところが、ここではどの神か、どの宗教の神かなどについての言及が全くありません。となると、Godは宗教的ではない何か別の点で超越した存在と考えた方が自然です。
ではGodはどんな意味なのか? 英語の「Oh, God!」という表現(何かをいわれた時などに反応として出る)を考えると、Godは話し手の中に内在するものを指しているようです。なお
絶対王制が何か特定の宗教を指定してましたっけ? また、ある絶対王制が特定の宗教を仮定していたのならば、客観的な歴史として論じる時にすら宗教の名前が一切出てこないというのは変ですよ。
今それを確かめたければ、「Oh, God!」と口走った人に、そのGodがどの宗教のものか聞いてみるがよいでしょう。まず答えられません。
当時の宗教がどうだったかなんていうのは問題ではありません。ここでの問題は、絶対王制がとっくの昔に潰れてしまった現在に至るまで、絶対王制当時と全く同じ用法でGodを使っていることです。それゆえ、何か宗教から離れた意味をGodが持っていなければ説明がつかないのです。
ガキのころ(っていっても17歳だけど)日本を飛び出していた時、東南アジア出身の知り合いもよくGodをnativeとほぼ同じ用法で使っていました。彼は別に基教文化の人ではなかったので、この主張は理解できません。
また、単に思考の拠り所に止めたのは、そうでないと無信教の人はいったい何を拠り所とすればよいか分からなくなってしまうためです。現実には仕事を拠り所とする人、趣味を拠り所とする人などいろいろあります。それらを含めて一般的に説明するためには、単に拠り所とする必要があります。
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
アメリカ人としては (スコア:5, 参考になる)
国旗に対する「忠誠の誓い」と直訳すると、すごく日本人には抵抗を感じる表現になるとおもいますが、現地のニュアンスでいうと、「自由と平等の国であるアメリカの一員であることを誓う」というかんじで、アメリカが自由でなくて平等でもなければ抗議をするという信条を思い出させてくれる、なかなか良い文章なのです。
今回の裁判をおこした人も、そういうアメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動したのでしょう。
問題となったのは、最後の部分にある、"one nation, under God" で、「神のもとに一つの国」という 195
50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
歴史を遡ってみると、いわゆる絶対王制のころ、王の権力は「神から授かった」なんていわれていましたよね。ところが、ここではどの神か、どの宗教の神かなどについての言及が全くありません。となると、Godは宗教的ではない何か別の点で超越した存在と考えた方が自然です。
ではGodはどんな意味なのか? 英語の「Oh, God!」という表現(何かをいわれた時などに反応として出る)を考えると、Godは話し手の中に内在するものを指しているようです。なお
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:0)
他の神の存在を認めない宗教では、ただ神(The God)といえば何を指すかは一意に定まるので、何の修飾/限定も行う必要がないのです。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
絶対王制が何か特定の宗教を指定してましたっけ? また、ある絶対王制が特定の宗教を仮定していたのならば、客観的な歴史として論じる時にすら宗教の名前が一切出てこないというのは変ですよ。
今それを確かめたければ、「Oh, God!」と口走った人に、そのGodがどの宗教のものか聞いてみるがよいでしょう。まず答えられません。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
当時の宗教がどうだったかなんていうのは問題ではありません。ここでの問題は、絶対王制がとっくの昔に潰れてしまった現在に至るまで、絶対王制当時と全く同じ用法でGodを使っていることです。それゆえ、何か宗教から離れた意味をGodが持っていなければ説明がつかないのです。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
> それゆえ、何か宗教から離れた意味をGodが持っていなければ説明がつかないのです。
なんで?
キリスト教文化圏の人にとっては「God」というとヤハウェ以外を指さないから、としか考えられないけど。
> Godは「話し手が持っている思考の拠り所」であると考えるのが自然でしょう。
というのは正解だと思うけど、「話し手が持っている思考の拠り所」が宗教から離れている、というのは必ずしも真ではないよ。
ある人がある宗教を信じている場合、その人の思考の拠り所がその宗教(もしくはその宗教での「神」)であることはむしろ自然だと思うけど。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
ガキのころ(っていっても17歳だけど)日本を飛び出していた時、東南アジア出身の知り合いもよくGodをnativeとほぼ同じ用法で使っていました。彼は別に基教文化の人ではなかったので、この主張は理解できません。
また、単に思考の拠り所に止めたのは、そうでないと無信教の人はいったい何を拠り所とすればよいか分からなくなってしまうためです。現実には仕事を拠り所とする人、趣味を拠り所とする人などいろいろあります。それらを含めて一般的に説明するためには、単に拠り所とする必要があります。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:0)
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
それは単に「英語では、こういうときにこう言う」と思っていたからでは?
でも、よく考えたら「Oh God!」などは単なる慣用句として使われてるような気がするな。
この場合、言葉の成り立ちとは離れて、「思考の拠り所」なんてのはどっかいってるんじゃないかと思われ。
この言葉が成り立ったときは「思考の拠り所=神」だったんだと思うけど、
現代では慣用句なだけで、使うときに「思考の拠り所」を意識してる人は少ないのでは?
#意識してる人がいるとすれば、それは「神」を意識してると思う。
> また、単に思考の拠り所に止めたのは、そうでないと無信教の人はいったい何を拠り所とすればよいか分からなくなってしまうためです。
だから「必ずしも真ではない」と書いたのだが。
#私は無神論者なんで。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:0)
そういや、Foundationシリーズの後の方のFoundation世界では、
間投詞の「Oh! My God!」の「God」にあたる語として「セルダン」が使われてたような気が。
「God」に特定宗教の含意が最初からなかったとするなら、
Asimovもわざわざこんな置き換えはしなかっただろう、と思う。
本当に「セルダン」