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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
太平洋戦争では (スコア:1)
自国の兵士のblogの規制とかしてたんですね
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惑星ケイロンまであと何マイル?
Re:太平洋戦争では (スコア:5, 参考になる)
>情報を収集していたなんて話もありましたが
ええ、餓島戦では戦死者の手帳(日記)を回収したり(ムカデ高地付近)
捕虜からの尋問等で。その中には、日本兵の本音がつらつらと。
某兵士の日記、昭和17年10月24日第三次飛行場総攻撃で戦死と思われる。
のちに米軍語学情報将校により手帳が回収される
昭和17年10月22日
「ジャングル通過、行軍昼夜を問わず、畜生、畜生、と吐き捨てながら歩く」
「今日は食事無し、水があっただけでも幸いだ」
「朝、敵機の爆撃を受く、恐ろしくて逃げ出したくなる」
昭和17年10月24日(海上では海軍呼応・南太平洋海戦前夜)
「午後17時総攻撃指令、突撃まで後10分、神よ、私を護り給え。
(自ページ日記白紙)
これら日本兵士の日記には、米軍では禁止されていた(そもそも日記も禁止です)
作戦内容、組織、編成が事細かにかかれており、しかも上層部にたいする本音や
弱音まで事細かに書かれていました
米軍は情報収集に力を入れました。
昭和16年6月、米国はサンフランシスコに日本語学校を設立、
日本語が出来る語学情報将校の育成につとめました
当時、白人の間では(別の意図無し)日本語に堪能な人は、全米で数十人に満たなかったため
それを一万名に増員し、陸海と海兵隊、それと情報部に配置する計画を立てたのです。
敵、日本を知る努力をしたわけです。 あとこれ系のことはみなさんも知る努力をしてください。
(参考 1993年 NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争
敵を知らず己を知らず・ガダルカナル 当時のVHSテープから引用)
>自国の兵士のblogの規制とかしてたんですね
私としては、モバイルの性能が発達し、戦場からblog更新が出来る環境が整っていることと、
作戦遂行中の軍に所属している、各将兵が日々のことを書き連ねることとは、
キチンと切り分けて考えなければならないと思いますね。
いっしょくたにすると、収拾不能の泥仕合になりますから。
軍という組織で、且つ作戦遂行中ならば、
各参加将兵は規制以前に、それは事実上の情報漏洩であり、
利敵行為と、とらえられても仕方がありません
しかし、駐留中の何気ない事を書く分には規制はいらないでしょう。
その辺をぐちゃぐちゃにしてませんか?最近のこういうお話は。
余録
語学情報将校少尉 ジョン・アースキン
日本軍捕虜から「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花」という歌を聞かされ
その日本兵は遠い目をして「これが日本人のこころだ」と教えてもらったそうな。
彼は今も、それを口ずさんでいるそうな(生存しているかは不明、14年前だし)
情報部 ロバート・シュリー大尉の見解
日本将兵が捕虜になるぐらいなら死ねと戦陣訓で教えられたのは、
そうでもしないと、あの無謀な白兵突撃のシステムが成り立たなかった為だ。
技術力、武装の貧弱さを、精神力で補おうとしたのでしょう。
しかし、死んで得るのが名誉だけでは、自ずと限界がありましょう。
#1993年~94年に放映されたNHKドキュメント太平洋戦争、全六集は再放送すべきと思う
#第一集 大日本帝国のアキレス腱 シーレーン
#第二集 反省無き戦場 ガダルカナル
#第三集 エレクトロニクスが戦を制す マリアナ・サイパン
#第四集 責任無き戦場 インパール
#第五集 踏み躙られた南の島 レイテ・フィリピン
#第六集 一億玉砕への道 日ソ終戦工作
#ちゃんと伝えないから、珍説が跋扈し、同じ事を繰り返す。
#太平洋戦争における諸問題は、1988年には殆ど結論が出ているのに
#修正主義という衣を纏った、安ぶしん共は、常にメシの種の為だけに珍説を流す
ヒィィィィ (スコア:2, 興味深い)
のちに更改に立ち会った外資系コンサルタントにより手帳が回収される
2007年10月22日
「単体テスト通過、昼夜を問わず、畜生、畜生、と吐き捨てながらキーを叩く」
「今日は食事無し、水があっただけでも幸いだ」
「朝、仕様変更の噂爆撃を受く、恐ろしくて逃げ出したくなる」
2007年10月24日(会議室では社会保険庁呼応・データ移送部分リリース前夜)
「午後29時リリース指令、最終結合テストまで後10分、神よ、私を護り給え。
(自ページ日記白紙)
余録
コンサルタント A氏
日本エンジニアから「案件の大和心を人とはば 朝日さしこむPGのタコ部屋」という歌を聞かされ
その日本エンジニアは遠い目をして「これが日本人のこころだ」と教えてもらったそうな。
彼は今も、それを口ずさんでいるそうな
コンサルタント B氏
日本エンジニアが鬱病になるぐらいなら失踪しろと社内訓で教えられたのは、
そうでもしないと、あの無謀な白兵突撃のシステム開発が成り立たなかった為だ。
案件推進力、福利厚生の貧弱さを、精神力で補おうとしたのでしょう。
しかし、死んで得るのがなすりつけられる汚名だけでは、自ずと限界がありましょう。
Re:太平洋戦争では (スコア:0)
日本では昔から日記を書く人が多かった、という話もありますし。現代でもこの習慣は健在ですね。何でも書いちゃいます。
・万引き・泥棒しました
・カンニングしました
・飲酒運転・信号無視・スピード違反
・患者キモイ
・ひき逃げしちゃったよ