ところで,ある講演でポパーは,彼が反証可能性という概念が科学にとって重要であると考えるに至ったひとつのきっかけとして心理学者アドラーとの議論があると語っている. 彼が,アドラーの唱える個人心理学(individual psychology)に反すると思えるような事例を報告しても,アドラーは,その患者を診ることさえせずに容易にそれを個人心理学で説明したのである. そこでアドラーになぜそれほど確信をもてるのかを聞くと,彼は,「これまでの私の千の経験からだ Because of my thousandfold experience」と答えたという. これを聞いてポパーは,確証は科学にとって重要でないと考えるにいたった.
性善説に立脚? (スコア:4, おもしろおかしい)
>しかし、アドラー心理学では、やる気がないという発想はしません。基本的に、やる気がない人は存在しないという前提に立っています。
とありますが、これってある意味の「性善説」ですよね?
個人的には「人は生まれながらにしてXXである」って決め付けちゃってる(あるいは前提の仮説として半ば希望的に定義されている)学説にはある種の宗教じみた違和感を感じるのですが…。
それとも冒頭の数行で「読む気力をくじかれている」自分は「良く訓練されたくじかれ者」なのでしょうか?
# 壊れるヤツはIT業界者だ!
# 壊れないヤツは良く訓練されたIT業界者だ!
# まったくここは地獄だぜ! ワハハハハ!
---- ばくさん!@一応IT土方
Re:性善説に立脚? (スコア:5, 参考になる)
彼が提唱した科学の「反証可能性」は、アドラーの個人心理学が耐え難いほど疑似科学だったために考え付いたものらしい。
このサイト [geocities.jp]から引用すると、 まあ、フロイトを含めて当時の心理学全体がそんな感じだったんだと思うが、未だに「個人心理学」を「勇気の心理学」とか「愛の心理学」って言ってセミナーなんかで使っている状況だから、宗教って言っても過言ではないわな。