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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
奇を衒ったビールを作る前にやることがある (スコア:1, 参考になる)
既存の製品の中にも好いものがある。それらももっと宣伝し、もっと売ってもらいたい。
確かな醸造技術があるのに、マーケティング部門がこういった邪道にのめりこむ。
キワモノや安物ばかり造らせていては宝の持ち腐れだ。
こういったことはサッポロに限ったことではないのだが、それにしても勿体ないことだ。
Re: (スコア:0)
Re:奇を衒ったビールを作る前にやることがある (スコア:1, 興味深い)
アサヒのドライは好きではないが、ビールを日本食に合うように改良を重ねた結果の一つの到達点としては評価できると思う。背景にある食文化を無視すれば、アサヒのドライは、アルコールの入っている水のようなものであって、本場のビールとは全くの別物。ただ、何かを食べながら飲むのが普通なので、飲むときに食べるものを無視して、ビールの味を語ってもあまり意味はない。
一般的に、日本食の味は水溶性であるのに対し、欧米食の味は脂溶性である。欧米食では、水を1杯飲んだところで、その味が消えたりはしないわけで、欧米のビールにはそれなりの味わいが要求される。一方、日本食の味は水で簡単に流れてしまうし、口の中にしつこく味が残り続けるようでは、食べ物の味が分からなくなってしまうわけで、さらりとした味わいが要求される。そういう、「日本食に合うビール」という点においてはアサヒのドライは評価していいと思う。
ただ、私の場合、和食系統のものを食べるときは日本酒。ビールにクリアな喉越しなんて必要ない。
まあ、良くも悪くも日本は外国のものを真似て、別物に仕立ててしまうことが得意であり、それが新しいものを作り出す原動力にもなっていて、それ故、ガラパゴス化しているのも事実。諸外国にもそういう傾向はあるけど、背景にある文化がお互いに近すぎて、その国独自のものを作り出すことが難しい。
日本のガラパゴス化を不安視する向きもあるけど、一方で、ガラパゴス化しないと日本の存在価値もない。そのガラパゴス化を進めるのが「消費者」であり、結果としてもたらされたのが、「アサヒのドライ」なのだから、それの否定は、日本の存在価値の否定に等しい。まあ、「本場では...」とか言っている人が本当の「本場」を知らなくて、そこでさらにガラパゴス化が進んでいたりもするが。
Re: (スコア:0)
あれが気にならない人が多いというのが意外です。
仲間内ではそれが理由でアサヒのビールを避けています。
発泡酒も同様の理由で駄目ですね。
というわけでアサヒのビールを避ける理由は私の場合「とてもまずい」からなのでした。
それなのに文化だの雁屋だの本物志向だの言われちゃうのは心外なのでおおっぴらにはアサヒ嫌いを公言しないようにしています。