アカウント名:
パスワード:
うっすらとインデックスのみを覚えておけばいい、という程度の記憶なら人間はもっとたくさんのことを知れますし、覚えられます。
新たな体系を生み出すような人は、昔も今も極一部ではないでしょうかね
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
Scientia est potentia. (スコア:5, 興味深い)
たとえば、昔の知識人というものは、古典をそらんじているのが当然でした。
四書五経から何かを引用しながら自説を説いたり、ラテン語の警句を混ぜてみたり、
聖書の言葉に沿って何かを言ってみたり。
印刷術の普及によって古典の丸暗記というものが必ずしも必須の条件ではなくなり、
そしてさらにインターネットの普及によってこの書き込みの表題のようなラテン語の警句を
三分前にググって知ったくせに「私前から知ってましたけど何か?」というような顔で
コピペすることが可能になりました。
果たして、それは知的能力の衰退を意味するのでしょうか?
私はそうは思いません。
ググるという行為は、暗記という作業をアウトソーシングしたにすぎません。
そもそも知らなければググれないんですから。
うっすらとインデックスのみを覚えておけばいい、という程度の記憶なら
人間はもっとたくさんのことを知れますし、覚えられます。
「じゃあなんでこんなバカが増えたの?」
という人もいるかもしれません。
しかし、それは逆なのです。たぶん。
暗記にせよ本の購入私有にせよ、それは一面ではハードルなわけです。
かつては働かなくても生活ができ、日がな一日書物の暗記に没頭できるような人々しか
知識人にはなれませんでした。
高価なランプの下でずっと本を読めるような一部の人々しか知的活動はできませんでした。
論文を書いたり雑誌に寄稿したり本を出版したりするようなことも、経済的なハードルが大きかったでしょう。
しかし知識の収集・検索ということが「暗記・本の所有」というハードルから開放され
自説の開陳・発信という行為がインターネットで極めて簡単になされる昨今は、
かつてはフィルタリングされていたバカが発言する場を得たので人類は総じてバカになったように見えるだけでしょう。
人類の利口/バカ比というのは大して変わってないと思います。
かつては「カネがあって、本を暗記したり読んだりするような苦痛に耐えられるような利口なひと」
しか発言できなかったのが、技術の進歩により誰もがそれができるようになった、というだけの話に思えます。
Re:Scientia est potentia. (スコア:3, 興味深い)
そのバカの発言も尊重しなければならないため、社会全体がバカのために奉仕しなくてはいけなくなった。
もっとも、一部の利口を装ったバカのために社会全体が疲弊するほど奉仕させられたことも一度や二度ではないのだから、
これも民主化の暗黒面と諦めて受け容れるしかないのかな。
Re:Scientia est potentia. (スコア:3, 興味深い)
「うっすらとインデックスを覚えて」いれば十分、という知的活動もあると思いますが、ある分野に特化した深い知識の集積の上に成り立つ知的活動もあるとおもいます。
例えば、simonさんも挙げられていた論語。朱熹や王陽明は論語の解釈を深化させ、独自の体系である朱子学や陽明学を起こしました。これは、インデックスのうっすらとした記憶と外部記憶では成し得なかったでしょう。おそらく、彼らは丸暗記するほど論語を読み込んだはずです。
また、孔子を題材とした小説は多数存在しますが、その中の優れた作品は、論語はもちろん、大量の研究書を読み込んだ上で書かれた筈です。
もちろん、そうやって生み出された体系・小説に対して「うっすらとインデックスを覚えて」いれば、それなりに偉そうな顔はできますが、自分で新たな体系・小説を生み出すことはできないでしょう。
Re: (スコア:0)
文化レベルは最高点ではなく、平均で判断するべきという話がありますが
平均の底上げには役立ってますよ、きっと
庶民は読み書きの出来なかった時代
読み書きは出来るが本を買えなかった時代
本は買えるが膨大な知識の整理が容易ではなかった時代
なんかと比べると、今は全体としては賢い人が増えたんじゃないですかね
これを、例えば大学生のような(以前から知識を吸収していた)母集団を取り上げて考えると
そのレベルが下がっているとは思いますが
Re:Scientia est potentia. (スコア:1)
ただ、今までは、新たな体系を打ち立てない程度の知的活動でも十分知的と言えたけど、調べることのコストが低くなったために、調べれば解る程度のことを言うだけでは、ちっとも知的とは言えなくなったんじゃないかな。知的活動のインフレと言うかなんと言うか。
Re:Scientia est potentia. (スコア:1, 興味深い)
しかしまた、知識の価値はインターネットによって低下している
知識価値の低下は、知的能力の上昇よりも激しく起こっている
故に、我々の知的能力は"相対的"に低下している
こんな感じかな?
Re: (スコア:0)
#無自覚を装ってるようにみえて、じつはやっぱり自覚が無いだけ?
Re: (スコア:0)
シンクライアント化する人間 (スコア:3, 興味深い)
学生の頃私も以前そう考えていました。
「これからは答えがググれる世界。知識なんて覚えるだけ無駄、医者も弁護士も商売あがったりだね!」と。
そうやって「意識して記憶する」という努力を怠りながら知識のつまみ食いだけを続けること数年、
最近どうにも限界が感じられるようになってきました。
調べ物していて、深さ優先で探索中にスタックの戻り先ポインタ失って「はて何を調べていたっけ?」となる
ことなどしょっちゅうで、間違ってブラウザを閉じたり、あるいはブラウザが落ちたりすると
何のためにどのページを見ていたのかすらも、みるみるおぼろげになってしまうこともしばし。
何か複雑な思考に耽ろうにも、考えているそばからキャッシュ・ミスヒット連発で
逐一メモを取らないと思考の本題を見失うのではないかという心配しなければならない始末。
まるで自分という存在が、現在という一瞬一瞬にのみ存在している一次元セルオートマトンに思えてきたり、
あるいはメモリの少ないPCが、何をするにも逐一HDDにアクセスしてガリガリと音を立てつつ
ちっともアプリが動かない様子にも似ていると思えたり。
知識をアウトソーシングしすぎると、何をするにもバックエンドDBとの通信が必要な
中身のないシンクライアントみたいな人間になってしまいます。
バックエンドDBとの通信には必ずオーバーヘッドがあるわけで、知識をオン・メモリで
持ってる人に比べパフォーマンスに雲泥の差があることを痛感します。
せめてサマリというキャッシュだけでも意識して記憶するようにしないといけないと
思っているのですがどうにもこうにも・・・。
# もしかしてこれが歳のせいというやつ・・・なのか・・・orz
Re:シンクライアント化する人間 (スコア:1)
検索で出てくるのは少し悩めば解決することが多いけど時間の節約にはなります。
でも、 本当に知りたいことは検索してもBBSに投げても片付きません。
ネットの情報は、そのまま信じられずウラを取る時間も結構かかります。
使うときはネット中駆け回って集めてから組み立て直して資料化する作業も大変です。
本やノートなら「あそこにある」と覚えておけばすむこともありますが、ネットだと消えちゃうし。
逆にネットで探せないと「おっ、これは飯の種かも」と思うんだけど、そういうのも結構本に載っていたりします。
今でも体系的に書かれている本を読んで進めながら突抜けられることが多いです。
とはいえ、まずググッちゃうんですが。
スタックが壊れて戻れず暴走するのは同じ。
大昔ぁし、Cの教授に「思考が止められたらなんにもならん。キーはブラインドで打て」と言われました。
サターンデッドヒートで、ジュニアが酒飲んで対数表飛ばして、「暗算で出せるけど覚えてれば瞬時に使える」(意訳)というのもあったし、 キモは記憶しとかないと閃かないぁと思う今日この頃です。
Re:Scientia est potentia. (スコア:1)
ただ、知識を記憶として保持するのではなく、思考の一部にしないとけないと出来ない発想というのは確かにあるわけで。
それは必ずしも整然とした理論ででてくるわけではなく、思いつきやこんな感じで行けそう等でもあるわけで。
それは頭にある知識にさまざまな状況を代入して「こんな感じになる」を拡張する作業なので、調べる作業や暗記とは違うような気もしなくもない。
しかし、頭の中がインデックスだけで外部へのアウトソーシングが激しいとこの手の発想はなかなか難しくなるような。
Re:Scientia est potentia. (スコア:1)
相対的に増えた点はそうだと思います。比較対象は文章のプロが書いた文言ですし。
ただ人間の記憶の仕組みと、言語化されたネット上の仕組みは決定的に異なるので、
全ての知識をアウトソーシングすることは当分困難と思います。
例え脳内に外部記憶野を持つ時代になっても、思考の材料は脳自体が記憶していることに
由来すると思いますし、そもそも考えるという段階に至るまでに相当な知識が必要なはずです。
脳が外部記憶に適応して巨大なインデックスになるのか、はたまた外部記憶が脳の記憶と再生の
システムに介入してくるのかは興味深いことだと思います。
得るための労力が減ると、軽んじる人が多い (スコア:1)
「知った気になる」のが一番の問題。
何かを知ろうとした際、
そのものの掘り下げや、そこからの横の広がりなどを
自然に考えて実行する傾向の人にとっては、
ネットの情報量・検索性はかなりパワフルなツールでしょう。
一方で、google 検索で目についたものを選び、
ざっと読んだだけで「○○? 知ってるよ(笑)」と
言ってしまう人の場合、ネットの有用性はかなり寂しいものになります。
#簡単に知ったかぶりできる、という点では有用ですが。
もっとも、これらはネット普及以前、
本からメインに知識を得る頃から同じではあります。
ただ、本から知識を得るよりも遥かに簡単であるため、
「物事を知るには、単純な答え以外の周辺知識も重要」という
理屈を知らない(主に若い)人が、これに慣れてしまうと
「知ったつもり」になる傾向が加速してしまう気がします。
自分は知らない、と思っている人よりも
中途半端な認識で自分は知ってる、と思い込んでいる人の方が
遥かに始末が悪い。
Re: (スコア:0)
適切なときに適切な名台詞を引用できる現代人もいます。捨てたもんじゃありません。
「やつはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを」
「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」
「地球か…、何もかも皆懐かしい…」
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
Re: (スコア:0)
やるならもうちょっと気の効いた反論しろよ。
Re: (スコア:0, オフトピック)
俯瞰しよう。何事も俯瞰しなくちゃ駄目だ。