アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
文系ネタは要らない (スコア:-1, オフトピック)
ここも、床屋政談に励む、技術のギも無いオッサンのたまり場になってしまうのだろうか。
Re: (スコア:2, 興味深い)
理系の独断場なんだがな。
Re:文系ネタは要らない (スコア:3, 興味深い)
特に短期的なお金の流れを捉えるミクロ経済学がアメリカを中心にはびこっていて、マクロ経済学やいわゆる「国家(規模)の経済」を語れる経済学者は絶滅状態。日本にある某文系(商業)大学もマクロの専任教授は1人という有様。
もっともグローバル化を叫び、学問から市場までミクロ経済学の優位性を唱えたアメリカでさえ、ここ数年はオールタナティブな経済学を模索する風潮が生まれていたのに、逆に日本は経済学の大家がここ数年退官して、後任の若手がバブル期のアメリカで金融工学を学んだ「エリート」ばかり。竹中平蔵とか。そのあたり。
学問が経済に直結するわけでないけど、日本経済の将来はとても不安。
Re:文系ネタは要らない (スコア:1, 興味深い)
ぱっと名前が思い浮かぶ大物のアメリカ人経済学者は「なぜ自分の研究には意味があるのか」「このアプローチ(new classical的な方法)のどこが優れていてどこに欠点があるか(もちろん発表では欠点はあまり言わない。)」をきちんと説明できるよ。少なくとも今のfirst journalにおいてはmacroeconomicsの分野の研究ではintroductionとconclusionが長くなっている。もちろんかつてよりも1ページ増やすことによるjournal側の費用負担が劇的に減ったことも大きいけれど(経済学系じゃない皆さんも昔はこんな図は載せてもらえず削らされたよなあ、あんまり丁寧に説明するほどのスペースもらえなかったよ、なんて経験あるでしょう。)、自分の研究をちゃんと経済学の文脈に位置づけ現実との接点はどこにあるのかも語ると長くならざるを得ない。現実との接点を意識しているよ。だからこそ自分の理論を実証するために現実をオモチャにしているなんて言われちゃうわけでもあってね。
モデルは数理的な言葉によって書かれるものだけど、その後ろには何らかの洞察がある。工学者だって優れている人はモデルに書き下す前にどこからどこまでをモデルに入れれば自分の目的には十分か考察して作るでしょう?それって自分の扱いたい事象についての洞察を持っているからできること。モデル以前の先入観というか個人的な世界観に囚われていると見る向きもあるけどね。
数理モデルばかり気になっちゃう人は経済学に向いていないよ。あくまでモデルは道具。一部にはもちろんその道具をよりよく改良する方向に走ってる人もいて彼らのおかげで他の人が助けられてるし。
あと金融工学の話で竹中平蔵が出るのもどうなのよ。彼は経済学における伝統的な金融の理論を使って話をしていた。金融工学なんてやっていないよ。伝統的な金融の理論は「金が上手く流れないと世の中で生産が落ち込んで損だ」って話をしていて、もう少し新しい世代の金融の理論は「じゃあ、金が上手く流れないのは結局なんでだ?」ってので個人の合理的行動について考察している。金融工学はそんなことを扱わなくて「いかに自分の持っている資本を効率的に運用するか」について考察している。まったく別の分野だよ。金融工学は政策的な分野じゃないよ。
ついでに言うとmicroeconomicsが短期的な金の流れを分析するなんてどこで吹き込まれたんだい?microeconomicsはある主体の合理的な行動とそれによって成立する市場の仕組みを議論するもの。短期とか長期とかそんな軸の上に立っていないよ。ていうか昔、ケインジアン華やかなりし頃に長期と短期でミクロとマクロを分けようとしたけれど、あなたの言い分とは逆で、短期的な人間の非合理的にも見える行動や制約を織り込んで議論するのが(Keynesian流の)macroeconomicsで、一方長期的に制約を取り払い合理的な行動の結果辿りつくであろう世界を議論するのがmicroeconomicsと分類されたよ。短期がマクロ、長期がミクロと目されてた。今の考え方でも昔の考え方でもあなたの主張はおかしい。
Re: (スコア:0)
俺は今回の件は大安売りしたMBA、つまり欲の皮の張った文系というか体育会系のせいだと思ってるがね。ヲタクな経済学者に責任負わせるには影響力無さすぎ。
Re: (スコア:0)