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「認識不足だ!」って糾弾されるのが怖いから「ない」とは断言しないけど,本当にいまだに出身場所とか家系による差別ってあるんでしょうか?
自分のまわりで「俺,○○の末裔!」とか言うやつらですらよくよく聞くと「爺さんが言ってたから」という程度だし,自称「代々生粋の江戸っ子」でもよくよく聞くと「爺さんは東京生まれだけど…」という程度です.なので大阪生まれちょっとだけ大阪育ちの身でありながら,「部落問題」という話を聞くと「出身についての情報をよく保存し得たのだなぁ」と感心する程度なのです.
そりゃそっち系の副読本も読まされましたが,何にもしてない俺らにいわれてもなぁ,と.ええ,先生にそう言ったら「何にもしてないことが悪いことなんだ」って言われましたが.しかしその差別されているという状況が目に見える形で学年に存在しない以上理解しようがない・・想像しろと言われるならするけど,それって「江戸時代のくらし」とか読まされて「へ~昔は苦労したんだなぁ」と思うのと同じなので,その感想を述べて怒られてもなぁ,と理不尽さだけが残りました.
「部落問題」というのは、今現在も確かに存在していますね。 そして僕の幼少のころにも当然存在していました。 幼少のころ、僕は京都に近く、車で30分以内に大企業の工場がいくつもある、閑静な新興住宅街に住んでいました。 その住宅街は大きな川と山に挟まれたなだらかな坂地となっていて、 周辺地域から察するに、昔からあった村落の田んぼ部分をつぶして作った住宅街でしたが、 山間の古い地名に「イモダニ(谷)」と付いていたり、また、川の対岸では製鉄関係の遺跡がいくつも発見されたりしている地域でした。 (それがこの後の話に関係あるかどうかは知りませんし、郷土史を調べたこともないです。念のため。)
そして僕が中学生ぐらいだったある日、近所(実際うちから歩いて3分以内)に暴力団の幹部が引っ越してきたことがありました。 住宅街に住んでいるのは企業の本社工場で働く研究者やエンジニア、医者、大学教授などが多く、 暴力団が街に住んでいることに心の中で反発こそしていても、プラカードを持ったりすることはありえませんでした。 そこで町内会で「住宅街からドブ川を挟んですぐ隣にある小さな被差別部落に話をつけてもらう」ということになり、 少しばかり(恐らく100万もしていない)のお金を被差別部落の顔役の方に渡して、暴力団の幹部には住民の希望通り引っ越してもらいました。 僕の予想ではその幹部の引っ越し費用等々ではるかにお金がかかってるはずなので、恐らくお金のほとんどが幹部に渡っただろうと思います。
という話だけだとここにぶら下げる意味が無いのでもう一つエピソードを。 (下手な文章なので長くてすいません。面倒なら読み飛ばしてください。)
僕がまだ3歳にも満たず、母から聞いた記憶にも残ってないエピソードになりますが、 最初に言った通りなだらかな坂地の住宅街ですが、僕の住む家の前は結構急な坂道になっていました。 父は趣味の車いじりをしながら僕を遊ばせていたらしいのですが、 まだ脳みそが単なる大豆ぐらいに子供だった僕は、急にガレージから道へ飛び出したそうです。 そこに運悪く、二人乗りで原付に乗った若者達が坂道を結構なスピードで下りてきて、僕に接触しかけたそうです。 父は道に飛び出していき、住宅街の下り坂でスピード超過、よりによって二人乗りとは何事だ!と怒鳴ったのですが、 若者達は「文句あんのか!俺達は朝鮮人やぞ!」と逆に怒鳴り返してきたそうです。 ※注:朝鮮人は今の話と関係ない!と思われるかもしれませんが、最後まで読んでください。すみません。 近くで町工場をやっていた父は、「子供の居る前だから、文句あるならいくらでも相手してやるからいつでもうちの会社まで来い!」といって 名刺を渡して若者達を帰らせたそうです。 その若者たちは、実は先ほどの話でも出てきた住宅街のすぐ隣の被差別部落に住んでいたそうです。 工場には、同じく被差別部落に住んでいる人も働いていたらしく、その人伝手で先ほどと同じ顔役の方に話をつけてもらったそうですが、 その際の結末は、「若者達も悪かったとはいえ、飛び出したという部分などで若者達も納得がいっていない部分がある。 若者達に関してはこちら側で然るべき処分があるだろうが、痛み分けということで小遣い程度を渡してやってくれないか。」ということで、 父は顔役の方を介して二人各々に千円を渡すということで話がついたそうです。
実際に若者たちが朝鮮人だったのか、それとも日本人の部落民だったのかは知りませんが、 その被差別部落には誰でも知っている京都の川の名前と同じ名字を持つ人が何家庭も住んでいたので、 その被差別部落自体は日本人の被差別部落だったのだろう、と思っています。(ちなみに朝鮮部落と呼ばれる被差別部落もあります) 顔役の方も単なる集落の村長さん的な存在ではなく、裏社会にもしっかり顔の利く人だったのでしょう。
こういったのを含めて、何度か被差別部落と接触してきた僕の実体験から思うに、被差別部落の出身だから差別されているという人というのは、 実は被差別部落から別の場所に引っ越して二代経てしまえば、知り合いが居たり本人が明言するか、よほど調べない限り、解りようが無いです。 ではなぜ差別的な扱いを受けている(と主張する)のかといえば、「被差別部落に住んでいるから」です。 そこには「その家系が歴史的に」だとか、「(何かに)抵抗しているから」と思っている人は恐らく少ないのでは無いでしょうか。 僕たちが彼らをどの時点で線引きするかと言えば、「住んでいるのが被差別部落である」の一点です。 素行の悪い人間はそれこそ街を歩いていても何処にでもいますし、 モンスターペアレントと呼ばれるような、子供を利用したある種の利権的な考え方で自分の家族が優遇されようとされる人間も増えているようですが、 僕たちが彼らに向ける視線は軽蔑であったり怒りであったり、ネガティブな感情が大部分だと思います。 そのなかで、この不況の最中に職の斡旋を受けていて、場合によっては高級車に乗っているのにも関わらず生活保護を受け続けていて、 さらに住居は格安で借りていて、駐車場まで付いていたりすることもあったりするのはネガティブな感情で見ることになって当然かと思います。 もちろんそうでなくお金が無かったりの理由で被差別部落に住んでる人はいますが、 そういった人は非常にハングリーで、状況が改善されればすぐに引っ越していきます。 そして、先ほども言いましたが、一度出てしまえば明言しない限り普通の人には出身がどこか調べ上げることなんてまず無いですし、 逆に被差別部落に長くとどまっている人たちに対して背後を気にしたり、敬遠したりするのは当然かと思います。 要は、「被差別部落出身だから」という差別は既にある程度風化しているのが実情です。 あるとするならば転職などに際して調査会社などの調査でそのことがネックになることもあるかも知れませんが、 これは時間が経てば解決される問題でしょう。わざわざ祖父や曾祖父の出身地を調べることはないでしょうし。 それに、そもそもそういった理由で採用を見送る企業には就職しない方が良いでしょうし。 #本当はまだまだ言いたいことはあります。親の友人の子の結婚予定の相手が被差別部落出身だった話だとか。 #長くて申し訳ないので、これで終わりにします。ほんと、長くてすみません。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
いまだに差別ってある? (スコア:2, 興味深い)
「認識不足だ!」って糾弾されるのが怖いから「ない」とは断言しないけど,本当にいまだに出身場所とか家系による差別ってあるんでしょうか?
自分のまわりで「俺,○○の末裔!」とか言うやつらですらよくよく聞くと「爺さんが言ってたから」という程度だし,自称「代々生粋の江戸っ子」でもよくよく聞くと「爺さんは東京生まれだけど…」という程度です.なので大阪生まれちょっとだけ大阪育ちの身でありながら,「部落問題」という話を聞くと「出身についての情報をよく保存し得たのだなぁ」と感心する程度なのです.
そりゃそっち系の副読本も読まされましたが,何にもしてない俺らにいわれてもなぁ,と.ええ,先生にそう言ったら「何にもしてないことが悪いことなんだ」って言われましたが.しかしその差別されているという状況が目に見える形で学年に存在しない以上理解しようがない・・想像しろと言われるならするけど,それって「江戸時代のくらし」とか読まされて「へ~昔は苦労したんだなぁ」と思うのと同じなので,その感想を述べて怒られてもなぁ,と理不尽さだけが残りました.
屍体メモ [windy.cx]
Re: (スコア:4, すばらしい洞察)
ここで皆さんの書き込みを見てて、こわいなあと思うのは、今でも残っている差別(差別意識)を
「それは彼らが(利権団体などを作っていて)こわいから」と、「彼ら」の問題にしてしまっていること。
確かに、変な利権だの圧力だの、良いことだとは欠片も思いません。
でも、そういう団体を作って抵抗しなければならなかった歴史的経緯もあるわけですよね。間違いなく。
(そろそろ、あちこち「見直す」必要はあるでしょうし、歴史的経緯をたてにとった不法行為は罰せられる
べきです。そこで甘い顔をしろという意味じゃありません。)
でも、
きっと昔、”本当の
みの3号
〜愚か者にも三分の理〜
Re:いまだに差別ってある? (スコア:1)
「部落問題」というのは、今現在も確かに存在していますね。
そして僕の幼少のころにも当然存在していました。
幼少のころ、僕は京都に近く、車で30分以内に大企業の工場がいくつもある、閑静な新興住宅街に住んでいました。
その住宅街は大きな川と山に挟まれたなだらかな坂地となっていて、
周辺地域から察するに、昔からあった村落の田んぼ部分をつぶして作った住宅街でしたが、
山間の古い地名に「イモダニ(谷)」と付いていたり、また、川の対岸では製鉄関係の遺跡がいくつも発見されたりしている地域でした。
(それがこの後の話に関係あるかどうかは知りませんし、郷土史を調べたこともないです。念のため。)
そして僕が中学生ぐらいだったある日、近所(実際うちから歩いて3分以内)に暴力団の幹部が引っ越してきたことがありました。
住宅街に住んでいるのは企業の本社工場で働く研究者やエンジニア、医者、大学教授などが多く、
暴力団が街に住んでいることに心の中で反発こそしていても、プラカードを持ったりすることはありえませんでした。
そこで町内会で「住宅街からドブ川を挟んですぐ隣にある小さな被差別部落に話をつけてもらう」ということになり、
少しばかり(恐らく100万もしていない)のお金を被差別部落の顔役の方に渡して、暴力団の幹部には住民の希望通り引っ越してもらいました。
僕の予想ではその幹部の引っ越し費用等々ではるかにお金がかかってるはずなので、恐らくお金のほとんどが幹部に渡っただろうと思います。
という話だけだとここにぶら下げる意味が無いのでもう一つエピソードを。
(下手な文章なので長くてすいません。面倒なら読み飛ばしてください。)
僕がまだ3歳にも満たず、母から聞いた記憶にも残ってないエピソードになりますが、
最初に言った通りなだらかな坂地の住宅街ですが、僕の住む家の前は結構急な坂道になっていました。
父は趣味の車いじりをしながら僕を遊ばせていたらしいのですが、
まだ脳みそが単なる大豆ぐらいに子供だった僕は、急にガレージから道へ飛び出したそうです。
そこに運悪く、二人乗りで原付に乗った若者達が坂道を結構なスピードで下りてきて、僕に接触しかけたそうです。
父は道に飛び出していき、住宅街の下り坂でスピード超過、よりによって二人乗りとは何事だ!と怒鳴ったのですが、
若者達は「文句あんのか!俺達は朝鮮人やぞ!」と逆に怒鳴り返してきたそうです。
※注:朝鮮人は今の話と関係ない!と思われるかもしれませんが、最後まで読んでください。すみません。
近くで町工場をやっていた父は、「子供の居る前だから、文句あるならいくらでも相手してやるからいつでもうちの会社まで来い!」といって
名刺を渡して若者達を帰らせたそうです。
その若者たちは、実は先ほどの話でも出てきた住宅街のすぐ隣の被差別部落に住んでいたそうです。
工場には、同じく被差別部落に住んでいる人も働いていたらしく、その人伝手で先ほどと同じ顔役の方に話をつけてもらったそうですが、
その際の結末は、「若者達も悪かったとはいえ、飛び出したという部分などで若者達も納得がいっていない部分がある。
若者達に関してはこちら側で然るべき処分があるだろうが、痛み分けということで小遣い程度を渡してやってくれないか。」ということで、
父は顔役の方を介して二人各々に千円を渡すということで話がついたそうです。
実際に若者たちが朝鮮人だったのか、それとも日本人の部落民だったのかは知りませんが、
その被差別部落には誰でも知っている京都の川の名前と同じ名字を持つ人が何家庭も住んでいたので、
その被差別部落自体は日本人の被差別部落だったのだろう、と思っています。(ちなみに朝鮮部落と呼ばれる被差別部落もあります)
顔役の方も単なる集落の村長さん的な存在ではなく、裏社会にもしっかり顔の利く人だったのでしょう。
こういったのを含めて、何度か被差別部落と接触してきた僕の実体験から思うに、被差別部落の出身だから差別されているという人というのは、
実は被差別部落から別の場所に引っ越して二代経てしまえば、知り合いが居たり本人が明言するか、よほど調べない限り、解りようが無いです。
ではなぜ差別的な扱いを受けている(と主張する)のかといえば、「被差別部落に住んでいるから」です。
そこには「その家系が歴史的に」だとか、「(何かに)抵抗しているから」と思っている人は恐らく少ないのでは無いでしょうか。
僕たちが彼らをどの時点で線引きするかと言えば、「住んでいるのが被差別部落である」の一点です。
素行の悪い人間はそれこそ街を歩いていても何処にでもいますし、
モンスターペアレントと呼ばれるような、子供を利用したある種の利権的な考え方で自分の家族が優遇されようとされる人間も増えているようですが、
僕たちが彼らに向ける視線は軽蔑であったり怒りであったり、ネガティブな感情が大部分だと思います。
そのなかで、この不況の最中に職の斡旋を受けていて、場合によっては高級車に乗っているのにも関わらず生活保護を受け続けていて、
さらに住居は格安で借りていて、駐車場まで付いていたりすることもあったりするのはネガティブな感情で見ることになって当然かと思います。
もちろんそうでなくお金が無かったりの理由で被差別部落に住んでる人はいますが、
そういった人は非常にハングリーで、状況が改善されればすぐに引っ越していきます。
そして、先ほども言いましたが、一度出てしまえば明言しない限り普通の人には出身がどこか調べ上げることなんてまず無いですし、
逆に被差別部落に長くとどまっている人たちに対して背後を気にしたり、敬遠したりするのは当然かと思います。
要は、「被差別部落出身だから」という差別は既にある程度風化しているのが実情です。
あるとするならば転職などに際して調査会社などの調査でそのことがネックになることもあるかも知れませんが、
これは時間が経てば解決される問題でしょう。わざわざ祖父や曾祖父の出身地を調べることはないでしょうし。
それに、そもそもそういった理由で採用を見送る企業には就職しない方が良いでしょうし。
#本当はまだまだ言いたいことはあります。親の友人の子の結婚予定の相手が被差別部落出身だった話だとか。
#長くて申し訳ないので、これで終わりにします。ほんと、長くてすみません。
ドウシテオレハ、ココニイルンダ!