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日本語圏と英語圏の文化の違いを認めたうえで片方の文化を”残念”と言ってしまうのはフェアではないのでは?文化に良いも悪い無いでしょうに。
ざっと見ましたけど、アメリカナイズされた人が「日本をもっとオープンにしましょう!」とか言って周りから浮いているような印象を受けました。
日本人はそんな気質じゃないから。そういう考え方はヤメてほしい。こういう考え方が日本人の自信を奪っていく。ただでさえ自信を持てない気質なのに。
SNSについては日本とアメリカの土地サイズを比較して、SNSの必要性が薄いんじゃないかって思っています。ただ、今の10代の子達のように生まれたときから携帯があるような人たちはいつでもどこでも繋がっていたい世代でしょうから、インフラになりうるかもしれないですね。
# 最後に「上に」「上に」って上ってドコ!?# cd .. こんな感じ?
## 最後までよくわからん文章だった…
この手の「日米比較のお話」で思い出すのは1995年前後の「ウェブ上の日本語日記」です。「世界に発信する場所に個人の日記を書くなんてバカだ!」とウェブ日記をこきおろす日本人同士の批判が多数でした。もしも当時から日記プログラムを改良発展させていたならブログブームは日本主導になったかも知れない。(その後、日記とブログの決定的な違いもウヤムヤなまま)で、今のウェブの日本での「主流」が何なのかはさておき、ウェブ上のサブカルチャー、多いに結構ですよ。その中で今後発展する物を見極めれば良いだけの事。悪い部分を見て「くだらない」と言うのは誰でもできますが良い部分を見つけて「これが良い」と言うのは手間と知恵が必要です。
いやいや、パソコン通信の時代から日記としか思えないものを書いちゃうヒトは居たわけで。流れに割り込んでなんともフォロー不能な日記を自己完結的に書いて、結果的に黙殺される人達が。そういう日記=悪という伝統?もあって、読み手を意識できない日記HP作者は嫌われたんじゃないかと。
それはアメリカでも一緒だったと思うけど、BBSではなく自分専用のスペースでやるなら自由だし、自己表現としてそれもありだろう、という方向で、個人サイトで日記を書くのは普通になったけど、でも毎回htmlを更新するのは面倒だし、日記は一方通行、という下地があってブログが受けたんだと思う。
ブログはコメントやトラックバックがある点で一方通行な日記とは別のものだよね。ところが日本ではなぜか、人の日記に勝手にコメントするな、覗くな、と言う人が多くてそれが罷り通る。結局国民性の問題なんじゃないの?
#批判はさせろ、でも反論は受け付けない、というブロガーさんたちは、国際的にみてナイーブ過ぎると思う。
つーか、はてなの成功(と単なる米国の模倣の失敗)はその日本と外国の差異にこそ有ったと思うのですけどね。
>文化に良いも悪い無いでしょうに。
それも悪平等主義。文化に良い悪いは「有るかも知れない、無いかも知れない」というだけのことでしょう。
#あと「良し悪しがヘタにあったら火種になるから困るんで出来れば無いほうがいい」とは言えるけど、それはあくまで願望。
>こういう考え方が日本人の自信を奪っていく。ただでさえ自信を持てない気質なのに。
自信をもてない「から」甘く扱え、ってのは、幾らなんでも日本人に申し訳ない扱いではないか?
>土地サイズ
あまり関係ないでしょう。個人が行き来するための距離について考えるなら、どちらの国土も十分でかいです。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
すでに比較文化論になってる~ (スコア:5, すばらしい洞察)
日本語圏と英語圏の文化の違いを認めたうえで
片方の文化を”残念”と言ってしまうのはフェアではないのでは?
文化に良いも悪い無いでしょうに。
ざっと見ましたけど、アメリカナイズされた人が「日本をもっとオープンにしましょう!」とか言って
周りから浮いているような印象を受けました。
日本人はそんな気質じゃないから。そういう考え方はヤメてほしい。
こういう考え方が日本人の自信を奪っていく。ただでさえ自信を持てない気質なのに。
SNSについては日本とアメリカの土地サイズを比較して、SNSの必要性が薄いんじゃないかって思っています。
ただ、今の10代の子達のように生まれたときから携帯があるような人たちは
いつでもどこでも繋がっていたい世代でしょうから、インフラになりうるかもしれないですね。
# 最後に「上に」「上に」って上ってドコ!?
# cd .. こんな感じ?
## 最後までよくわからん文章だった…
Re:すでに比較文化論になってる~ (スコア:2, すばらしい洞察)
英語圏でのwebの利用方法は英語圏での文化を背景としたもので、
その使われ方が梅田さんのいう最先端に見えるだけなんじゃないでしょうか。
日本語圏の文化を背景にしたwebの活用方法の一つがサブカルなんであって、
それが英語圏との差別化になっているように思います。
また日本の若年層ではケータイの方が活用されていますし、
"Web"という括りで単純に比較するには前提が異なりすぎると感じます。
Re:すでに比較文化論になってる~ (スコア:2)
才能を持っている人、権力を持っている人こそ
公開の場でガチンコで戦って、白黒付ける・勝ち上がる事が
人類社会の発展につながるし、見ていても面白いという事?
> 文化に良いも悪い無いでしょうに。
長期間の選考過程を経て当選した、オバマ大統領のアメリカと
超短期間の潜行過程を経て、良く分からない内に選ばれた、麻生総理や鳩山党首の日本。
これは文化の差というより、社会が持っている選考技術の差によるものという気も。
Re: (スコア:0)
アメリカの先行技術とやらもろくなもんじゃないな。
Re: (スコア:0)
しっかりしてるところがすばらしいね。
日本は「政治評論は好きだけど投票には行かない(選挙権を行使しない)」っていう不思議な層が
無視できないほどたくさんいる国。
江戸時代から脈々と受け継がれるお上意識は今後も変わらないだろうな。
今平凡なモノの中に、将来の宝あり (スコア:2)
この手の「日米比較のお話」で思い出すのは
1995年前後の「ウェブ上の日本語日記」です。
「世界に発信する場所に個人の日記を書くなんてバカだ!」と
ウェブ日記をこきおろす日本人同士の批判が多数でした。
もしも当時から日記プログラムを改良発展させていたなら
ブログブームは日本主導になったかも知れない。
(その後、日記とブログの決定的な違いもウヤムヤなまま)
で、今のウェブの日本での「主流」が何なのかはさておき、
ウェブ上のサブカルチャー、多いに結構ですよ。
その中で今後発展する物を見極めれば良いだけの事。
悪い部分を見て「くだらない」と言うのは誰でもできますが
良い部分を見つけて「これが良い」と言うのは手間と知恵が必要です。
Re: (スコア:0)
いやいや、パソコン通信の時代から日記としか思えないものを書いちゃうヒトは居たわけで。
流れに割り込んでなんともフォロー不能な日記を自己完結的に書いて、結果的に黙殺される人達が。
そういう日記=悪という伝統?もあって、読み手を意識できない日記HP作者は嫌われたんじゃないかと。
それはアメリカでも一緒だったと思うけど、BBSではなく自分専用のスペースでやるなら自由だし、
自己表現としてそれもありだろう、という方向で、個人サイトで日記を書くのは普通になったけど、
でも毎回htmlを更新するのは面倒だし、日記は一方通行、という下地があってブログが受けたんだと思う。
ブログはコメントやトラックバックがある点で一方通行な日記とは別のものだよね。
ところが日本ではなぜか、人の日記に勝手にコメントするな、覗くな、と言う人が多くてそれが罷り通る。
結局国民性の問題なんじゃないの?
#批判はさせろ、でも反論は受け付けない、というブロガーさんたちは、国際的にみてナイーブ過ぎると思う。
Re: (スコア:0)
つーか、はてなの成功(と単なる米国の模倣の失敗)はその日本と外国の差異にこそ有ったと思うのですけどね。
Re: (スコア:0)
>文化に良いも悪い無いでしょうに。
それも悪平等主義。
文化に良い悪いは「有るかも知れない、無いかも知れない」というだけのことでしょう。
#あと「良し悪しがヘタにあったら火種になるから困るんで出来れば無いほうがいい」とは言えるけど、それはあくまで願望。
>こういう考え方が日本人の自信を奪っていく。ただでさえ自信を持てない気質なのに。
自信をもてない「から」甘く扱え、ってのは、幾らなんでも日本人に申し訳ない扱いではないか?
>土地サイズ
あまり関係ないでしょう。
個人が行き来するための距離について考えるなら、どちらの国土も十分でかいです。