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住民がボランティアで道路を造れば費用が抑えられます。そこで、それを無理に舗装せず砂利道のままにすれば造るのが簡単な上にさらに費用が抑えられます。しかも道路維持も住民ボランティアが行ってくれるので、維持費用もかかりません。
砂利道効果はそれにとどまらず、・車の耐用年数が下がることで買い換え需要が喚起できる・豪雨の時も水が地面に吸収されるので洪水被害を減らせる・アスファルト粉塵公害が発生しない・無理に歩きやすくしないので、足腰の健康増進になるいいことずくめです。
> 住民がボランティアで道路を造れば費用が抑えられます。> そこで、それを無理に舗装せず砂利道のままにすれば造るのが簡単な上に> さらに費用が抑えられます。
歩道なら確かにそうですね。ただし、車道では無理だけど。
> しかも道路維持も住民ボランティアが行ってくれるので、> 維持費用もかかりません。
これは、ボランティアやNPOが維持費を肩代わりしているのであって、維持費がかからないわけではないですよ。<自分の時間を割いてくれているだけ。
>・豪雨の時も水が地面に吸収されるので洪水被害を減らせる
これはあまり関係無いかも。場合によっては治水の関係から、別の災害がおきやすくなる
とある自治体で穴ぼこ補修をそれで実験してみたところがあって、税金から出したのは材料費だけで作業はボランティアでだいぶ安くついたそうな。
いろいろ苦しい自治体の市町村道くらいではやってもいいかと思いますよ...。設計がいらない、今あるものを治すだけなら、ですが。
田舎ですがボランティアはすでにやってます。いや、ボランティアじゃないな。でないと「出不足金」を取られるので、賦役と言った方がいいかもしれません。(もちろん徴収は強制ではありませんし、ほんのわずかな金額ですが)これらの行動を「道造り」と言って、基本は定期的にみなで集まって、草刈り・標識の塗り直し・カーブミラーの清掃等々の軽作業なのですが、そのなかの精鋭(?)が集まって道や崖等の修復を行います。
さすがに常に待機しているわけではありませんし、活動の機会も限られていますから、緊急に修復が必要な所は町の職員がやっているそうですが、田舎道で、ただ舗装がぼろぼろになってきたような場所は、この「道造り」の集まりで修復してしまいます。プロほどは行きませんが、農家のおいさんなどは現代のサンダーバードと言われるぐらい(突っ込みは受け付けませんw)何でも乗れないと・扱えないとできなかったりでわりと器用で何でもこなしてしまいます。こうした人が中心になるので、結構しっかりと補修ができてしまいます。さすがに崩れてしまったとか、空洞が見つかったとか、上下水道が絡むとか、基礎からやり直す必要がある場合は業者に依頼ですが、まぁそもそもが田舎道ですから、補修はだいぶこれでやってしまっています。
あまり人通りがない道路でも、例えば舗装がしてないとその下の土手や道に影響があるから舗装が必要といった場所では、道を慣らし、幅を整えて、簡単な沈下をして砂利をまくところまでは道造りでやって、仕上げの沈下と簡易舗装は業者に依頼、と言ったこともやりました。
ただし、要注意なのは勾配設計などですね。日本は高温多湿で雨が多いですし、急峻な所も少なくありません。こうなると道路は大雨が降るとちょっとした川になるのですが、この時しくじると水たまりができ、いくらプロがした舗装でもそこから破損したりします。なので、こうしたボランティア的活動も、ある程度の技術と慣れが必要だったりします。
また、日本の道路に舗装道が多いのは、雨対策というのも大きいんじゃないかな。平地というものがまともにない国ですから、広大な平地を持ち、気候も異なる諸外国と簡単には比較できないと思います。林道や堤防道路なんかも、走りやすさより道そのものやその回りのがけ・土手等の保護のために舗装されています。こうした賦役にかり出されている身からすると、ミシガン州の例をそのまま日本に適用するのは大変危険だと思います。
家の辺りにもありますね。賦役。
近所の砂利道は、砂利道を利用している各家庭で集まって補修しています。材料は自治体に出してもらっていますけどね。出なかった場合は罰金・・・というかお金で解決となります。ただし毎回出ないということだと、村八分になります。砂利道に限らず道路周辺の除草や清掃は賦役となっています。
「賦役」ですか。ピラミッド建築に駆り出された人々をイメージしてしまいまいした。「働け!ピシーピシー」みたいな。
国にお金がなくなってくると、だんだん公共事業もこういう昔ながらの手弁当に置き換えられてくるのかもしれませんね。
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
日本でも (スコア:0)
住民がボランティアで道路を造れば費用が抑えられます。
そこで、それを無理に舗装せず砂利道のままにすれば造るのが簡単な上に
さらに費用が抑えられます。
しかも道路維持も住民ボランティアが行ってくれるので、
維持費用もかかりません。
砂利道効果はそれにとどまらず、
・車の耐用年数が下がることで買い換え需要が喚起できる
・豪雨の時も水が地面に吸収されるので洪水被害を減らせる
・アスファルト粉塵公害が発生しない
・無理に歩きやすくしないので、足腰の健康増進になる
いいことずくめです。
Re: (スコア:0)
> 住民がボランティアで道路を造れば費用が抑えられます。
> そこで、それを無理に舗装せず砂利道のままにすれば造るのが簡単な上に
> さらに費用が抑えられます。
歩道なら確かにそうですね。ただし、車道では無理だけど。
> しかも道路維持も住民ボランティアが行ってくれるので、
> 維持費用もかかりません。
これは、ボランティアやNPOが維持費を肩代わりしているのであって、
維持費がかからないわけではないですよ。<自分の時間を割いてくれているだけ。
>・豪雨の時も水が地面に吸収されるので洪水被害を減らせる
これはあまり関係無いかも。
場合によっては治水の関係から、別の災害がおきやすくなる
補修ならボランティアでも (スコア:0)
とある自治体で穴ぼこ補修をそれで実験してみたところがあって、
税金から出したのは材料費だけで作業はボランティアでだいぶ安くついたそうな。
いろいろ苦しい自治体の市町村道くらいではやってもいいかと思いますよ...。
設計がいらない、今あるものを治すだけなら、ですが。
Re:補修ならボランティアでも (スコア:3, 参考になる)
田舎ですがボランティアはすでにやってます。いや、ボランティアじゃないな。でないと「出不足金」を取られるので、賦役と言った方がいいかもしれません。(もちろん徴収は強制ではありませんし、ほんのわずかな金額ですが)
これらの行動を「道造り」と言って、基本は定期的にみなで集まって、草刈り・標識の塗り直し・カーブミラーの清掃等々の軽作業なのですが、そのなかの精鋭(?)が集まって道や崖等の修復を行います。
さすがに常に待機しているわけではありませんし、活動の機会も限られていますから、緊急に修復が必要な所は町の職員がやっているそうですが、田舎道で、ただ舗装がぼろぼろになってきたような場所は、この「道造り」の集まりで修復してしまいます。プロほどは行きませんが、農家のおいさんなどは現代のサンダーバードと言われるぐらい(突っ込みは受け付けませんw)何でも乗れないと・扱えないとできなかったりでわりと器用で何でもこなしてしまいます。こうした人が中心になるので、結構しっかりと補修ができてしまいます。
さすがに崩れてしまったとか、空洞が見つかったとか、上下水道が絡むとか、基礎からやり直す必要がある場合は業者に依頼ですが、まぁそもそもが田舎道ですから、補修はだいぶこれでやってしまっています。
あまり人通りがない道路でも、例えば舗装がしてないとその下の土手や道に影響があるから舗装が必要といった場所では、道を慣らし、幅を整えて、簡単な沈下をして砂利をまくところまでは道造りでやって、仕上げの沈下と簡易舗装は業者に依頼、と言ったこともやりました。
ただし、要注意なのは勾配設計などですね。日本は高温多湿で雨が多いですし、急峻な所も少なくありません。こうなると道路は大雨が降るとちょっとした川になるのですが、この時しくじると水たまりができ、いくらプロがした舗装でもそこから破損したりします。なので、こうしたボランティア的活動も、ある程度の技術と慣れが必要だったりします。
また、日本の道路に舗装道が多いのは、雨対策というのも大きいんじゃないかな。平地というものがまともにない国ですから、広大な平地を持ち、気候も異なる諸外国と簡単には比較できないと思います。林道や堤防道路なんかも、走りやすさより道そのものやその回りのがけ・土手等の保護のために舗装されています。
こうした賦役にかり出されている身からすると、ミシガン州の例をそのまま日本に適用するのは大変危険だと思います。
Re:補修ならボランティアでも (スコア:1)
家の辺りにもありますね。賦役。
近所の砂利道は、砂利道を利用している各家庭で集まって補修しています。材料は自治体に出してもらっていますけどね。出なかった場合は罰金・・・というかお金で解決となります。ただし毎回出ないということだと、村八分になります。砂利道に限らず道路周辺の除草や清掃は賦役となっています。
Re: (スコア:0)
「賦役」ですか。
ピラミッド建築に駆り出された人々をイメージしてしまいまいした。
「働け!ピシーピシー」みたいな。
国にお金がなくなってくると、だんだん公共事業もこういう
昔ながらの手弁当に置き換えられてくるのかもしれませんね。