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「人工知能」を巡る理想の変遷を思い出すなぁ。最初は「人間の知能の働きを解明してやるッ!」と鼻息が荒かった。「人間の知能を観察・推察し、それを模倣すれば必ずや知性を手に入れるであろう」と頑張った。
が、頑張りはたいてい報われぬもの。途中から堕落。もとい方針転換。「人間の知能を真似なくても、機能が似てれば大丈夫だよ」を経て、「特定の目的に対してスマートに機能すればお金もらえるよ」というレヴェルまで、じわじわ後退した。
髪の生え際が後退しつつある人を見るたびに、人工知能を巡る理想の後退を思い出すのです。どんなにふさふさでも、後退する日が必ず来るんだよね、と。
汎用的な人工知能を考えるとき、フレーム問題が付いて回ると言います。で、こういう考え方はとっくに試行された後だとは思うのですが、私が普段考えていることとして、人工知能にも本能と肉体があれば、フレーム問題を(ある程度?)回避できるのではないかということがあります。我々人間は、動物としての本能を持っていますし、それら本能を満たすための最適化が進められた肉体を持っているわけです。肉体があり、その上で動作する本能があるからこそ、周囲のあらゆるものに自動的に優先順位が付き、肉体レベルで優先度が低いとされた情報は意識に上る前に切捨てられます。
最近のロボット研究の潮流がまさにそれで、肉体を持って直接感覚として世界の情報を摂取しないと知能が生まれないという仮定のもと、ロボットという肉体を持たせることが人工知能の研究の発展に結びつく、というものです。トピック本文のリンク先を辿って、松原先生のインタビューを読めばそのことに言及されていると思います。微小単位での「反応」の総合が本能であり知能であるというのもすでに研究は走っていて、様々な試みがなされています。2007年の世界SF大会での瀬名秀明さん主催の企画をまとめた本 [senahideaki.com]が出ていますので、そちらをご参照いただくとかいつまんだ説明があります。パネルディスカッションをおこしたものなので話が冗長かつバラバラな部分もあり、食い足りないかもしれませんが。
途中までですが、インタビューを読みました。むー、やはり本職の方々はとっくに通り過ぎていた地点でしたか。
私の考えは、「人間はあらゆるものに好悪のランク付けを行っていて、それを元に考えたり行動したりしている。その好悪は元を辿れば動物的な本能に基づいて評価されている。動物的な本能は、体の器官がてんでに勝手に主張するところから発生しているものがかなりの部分ある」というところから出発していたのですが、わりといい線行っていたのかなと勝手に喜んでいます。しかし、うーむ、アイデア的に車輪の再発明もいいところで、読み進むたびに悔しさ半分と
知能と本能はほとんど双対ですから、結局何も解決したことにはなりません。
「本能」と相対する「知能」を「知性」と言い換えると、「本能」が「肉体(もしくは種)」を守るために生じた「知能」であるとするならば、「知性」は「知能」を守るために生じた「知能」ということではないでしょうか。
最初は、「知能」は「肉体」を守るための手段であったのが、そのうち、「知能」が「知能」を守るようになって、「肉体」を壊してさえ、「知能」そのものを維持しようとする。例えば、寝食をおろそかにして、物事に没頭することがありますが、これは、健康を害するのを「本
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
この道はいつか来た道 (スコア:2, おもしろおかしい)
「人工知能」を巡る理想の変遷を思い出すなぁ。
最初は「人間の知能の働きを解明してやるッ!」と鼻息が荒かった。
「人間の知能を観察・推察し、それを模倣すれば必ずや知性を手に入れるであろう」と頑張った。
が、頑張りはたいてい報われぬもの。
途中から堕落。もとい方針転換。
「人間の知能を真似なくても、機能が似てれば大丈夫だよ」を経て、「特定の目的に対してスマートに機能すればお金もらえるよ」というレヴェルまで、じわじわ後退した。
髪の生え際が後退しつつある人を見るたびに、人工知能を巡る理想の後退を思い出すのです。
どんなにふさふさでも、後退する日が必ず来るんだよね、と。
Re: (スコア:2, 参考になる)
汎用的な人工知能を考えるとき、フレーム問題が付いて回ると言います。
で、こういう考え方はとっくに試行された後だとは思うのですが、私が普段考えていることとして、人工知能にも本能と肉体があれば、フレーム問題を(ある程度?)回避できるのではないかということがあります。
我々人間は、動物としての本能を持っていますし、それら本能を満たすための最適化が進められた肉体を持っているわけです。肉体があり、その上で動作する本能があるからこそ、周囲のあらゆるものに自動的に優先順位が付き、肉体レベルで優先度が低いとされた情報は意識に上る前に切捨てられます。
Re: (スコア:3, 参考になる)
最近のロボット研究の潮流がまさにそれで、肉体を持って直接感覚として世界の情報を摂取しないと知能が生まれないという仮定のもと、ロボットという肉体を持たせることが人工知能の研究の発展に結びつく、というものです。トピック本文のリンク先を辿って、松原先生のインタビューを読めばそのことに言及されていると思います。微小単位での「反応」の総合が本能であり知能であるというのもすでに研究は走っていて、様々な試みがなされています。2007年の世界SF大会での瀬名秀明さん主催の企画をまとめた本 [senahideaki.com]が出ていますので、そちらをご参照いただくとかいつまんだ説明があります。パネルディスカッションをおこしたものなので話が冗長かつバラバラな部分もあり、食い足りないかもしれませんが。
Re: (スコア:1)
途中までですが、インタビューを読みました。むー、やはり本職の方々はとっくに通り過ぎていた地点でしたか。
私の考えは、「人間はあらゆるものに好悪のランク付けを行っていて、それを元に考えたり行動したりしている。その好悪は元を辿れば動物的な本能に基づいて評価されている。動物的な本能は、体の器官がてんでに勝手に主張するところから発生しているものがかなりの部分ある」というところから出発していたのですが、わりといい線行っていたのかなと勝手に喜んでいます。
しかし、うーむ、アイデア的に車輪の再発明もいいところで、読み進むたびに悔しさ半分と
Re:この道はいつか来た道 (スコア:1, すばらしい洞察)
それは1970年代のミンスキーの「心の社会」理論と同じですね。
> ともあれ、人工知能に、人工知能自身に認識できない程度に根源的な段階から、本能的な欲求(この場合は自己の保存)を与えてやらないと、
ここが一番難しいところです。
知能と本能はほとんど双対ですから、結局何も解決したことにはなりません。
Re: (スコア:0)
「本能」と相対する「知能」を「知性」と言い換えると、「本能」が「肉体(もしくは種)」を守るために生じた「知能」であるとするならば、「知性」は「知能」を守るために生じた「知能」ということではないでしょうか。
最初は、「知能」は「肉体」を守るための手段であったのが、そのうち、「知能」が「知能」を守るようになって、「肉体」を壊してさえ、「知能」そのものを維持しようとする。例えば、寝食をおろそかにして、物事に没頭することがありますが、これは、健康を害するのを「本