アカウント名:
パスワード:
公開するとあーしろ、こーしろとうるさくないですか?GPLと書いてあっても、自分でやらない人が多い。この間なんか、コンパイルの仕方を教えろというメールがしつこくきて、いやになった。
> 公開するとあーしろ、こーしろとうるさくないですか?
よほど便利なものや「それしかない」ものを公開しないと、あーしろ、こーしろなんて言われないと思うんですが。
ちなみに、「他人の目にさらすのがよい」というのは私も賛同で、なぜなら最低限のドキュメントを作らないといけないからです。(どれくらいを「最低限」とするかは、まさしくソフトウェア本体の機能をどれくらいをもって「最低限」と定義するか、というのと全く同じ問題です)。
コンパイルの仕方を教えてくれ、というメールが来るのは、ドキュメントの不備も考えられます。ドキュメントにあるのに読まないのなら突っぱねれば
>よほど便利なものや「それしかない」ものを公開しないと、>あーしろ、こーしろなんて言われないと思うんですが。
甘い。「それしかない」のかどうかを探索する目が脆弱な人は、いちど食いついたソフトに拘泥する。「ほかのソフトに」欲しい機能を求める旅をやめ、「そのソフトに」その機能が付くまで粘着する。
あと、それとは別の問題として、Aにbという機能が無くて困っているとき、逆にBにはaという機能が無いからBに乗り換えてもやっぱり困る、という場合も結構ある。「aとbの両方を実装してるモノが欲しいな」と。この場合Aの作者に言うのと、Bの作者に言うのと、どっちがいいんだろうな?(自分でCを作るとか誰かに作らせるとかって手も有るが、更にハードルは高いだろう)
>(どれくらいを「最低限」とするかは、まさしくソフトウェア本体の機能をどれくらいをもって「最低限」と定義するか、というのと全く同じ問題です)
私のドキュメントについての印象はちょっと違うな。「親切なユーザ」というものが居るような気がする。
「親切なユーザ」はDocがオタクくさく記述不足でも自力で補完して読み取ってくれる。
そうでないユーザはやたらめったら懇切丁寧に「前提知識が皆無でも(おいおい無理言うな!)」わかるように書かないとキレるか使うのを止める。
自分の経験では困ったことに職場で後者に出くわすことが多かった。業務(といってもソフト屋ですから周囲も専門家のはず)をちょいとだけ改善するようなものを自発的に作って(少なくともコア機能はきちんと動く状態で)出すということをよくやるんだが、初心者かいな?と首をかしげるような要求ばかり突きつけられて、そこまで作ってられんわ!という状況になることが多い。
結局業務は改善されんorz「頭のおかしい人」は職場にも結構居たりする、と。
> 「頭のおかしい人」は職場にも結構居たりする、と。
ソフトウェアを作るのは技術ですが、フリーソフトウェアやオープンソースは文化ですから。職場において、同じような技術を共有する人が、同じような文化も共有できているはずと思うのは幻想だと思います。
あるいは、もっと一般的に、好意や親切心に基づく行いをどのように受け止めたらよいか、ということが理解できるかどうか、ということでしょうか。自分から他人に自発的に親切にしたことがない人は、親切にしてくれる他人の心情が理解できなくて(あるいは、この人は他人に親切にすることが喜びなのだと単純に理解して)、いつまでもどこまでも無限に親切にしてくれると誤解してしまったりするのかもしれません。
むしろ、職場のほうが「(フリーソフトウェア文化の観点から見て)頭のおかしい人」が多いのは当然じゃないでしょうか。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
他人の目 (スコア:4, すばらしい洞察)
一番いいと経験上考えます。
他人の目は、フリーソフトとして公開できるところまで行かなくても、友人に
なんとなく見せるだけでも大丈夫です。
友人に見せることを前提にすると、どこがいい加減でよくて、どこが無いと
いけないかは自ずと決まってきます。枝葉が実装されてなくても言葉で説明できる
部分は説明で済ませても、見せたいものの本質は伝わりますし。
あとは、自分で再利用する場合を想定しても、手を抜けない部分がある程度
見えてくるかな。
タレコミの主旨とはずれるけれど、趣味の場合、キッチリ仕上がっている
必要はまったくないと思います。
Re: (スコア:0)
公開するとあーしろ、こーしろとうるさくないですか?
GPLと書いてあっても、自分でやらない人が多い。
この間なんか、コンパイルの仕方を教えろというメールが
しつこくきて、いやになった。
Re: (スコア:0)
> 公開するとあーしろ、こーしろとうるさくないですか?
よほど便利なものや「それしかない」ものを公開しないと、
あーしろ、こーしろなんて言われないと思うんですが。
ちなみに、「他人の目にさらすのがよい」というのは私も
賛同で、なぜなら最低限のドキュメントを作らないといけない
からです。(どれくらいを「最低限」とするかは、まさしく
ソフトウェア本体の機能をどれくらいをもって「最低限」と
定義するか、というのと全く同じ問題です)。
コンパイルの仕方を教えてくれ、というメールが来るのは、
ドキュメントの不備も考えられます。ドキュメントにあるのに
読まないのなら突っぱねれば
Re:他人の目 (スコア:1, 参考になる)
>よほど便利なものや「それしかない」ものを公開しないと、
>あーしろ、こーしろなんて言われないと思うんですが。
甘い。
「それしかない」のかどうかを探索する目が脆弱な人は、
いちど食いついたソフトに拘泥する。
「ほかのソフトに」欲しい機能を求める旅をやめ、
「そのソフトに」その機能が付くまで粘着する。
あと、それとは別の問題として、
Aにbという機能が無くて困っているとき、
逆にBにはaという機能が無いからBに乗り換えてもやっぱり困る、という場合も結構ある。
「aとbの両方を実装してるモノが欲しいな」と。
この場合
Aの作者に言うのと、Bの作者に言うのと、どっちがいいんだろうな?
(自分でCを作るとか誰かに作らせるとかって手も有るが、更にハードルは高いだろう)
>(どれくらいを「最低限」とするかは、まさしくソフトウェア本体の機能をどれくらいをもって「最低限」と定義するか、というのと全く同じ問題です)
私のドキュメントについての印象はちょっと違うな。
「親切なユーザ」というものが居るような気がする。
「親切なユーザ」はDocがオタクくさく記述不足でも自力で補完して読み取ってくれる。
そうでないユーザはやたらめったら懇切丁寧に「前提知識が皆無でも(おいおい無理言うな!)」わかるように書かないとキレるか使うのを止める。
自分の経験では困ったことに職場で後者に出くわすことが多かった。
業務(といってもソフト屋ですから周囲も専門家のはず)をちょいとだけ改善するようなものを自発的に作って(少なくともコア機能はきちんと動く状態で)出すということをよくやるんだが、
初心者かいな?と首をかしげるような要求ばかり突きつけられて、
そこまで作ってられんわ!という状況になることが多い。
結局業務は改善されんorz
「頭のおかしい人」は職場にも結構居たりする、と。
Re: (スコア:0)
> 「頭のおかしい人」は職場にも結構居たりする、と。
ソフトウェアを作るのは技術ですが、フリーソフトウェアやオープンソースは文化ですから。
職場において、同じような技術を共有する人が、同じような文化も共有できているはずと
思うのは幻想だと思います。
あるいは、もっと一般的に、好意や親切心に基づく行いをどのように受け止めたらよいか、
ということが理解できるかどうか、ということでしょうか。自分から他人に自発的に親切に
したことがない人は、親切にしてくれる他人の心情が理解できなくて(あるいは、この人は
他人に親切にすることが喜びなのだと単純に理解して)、いつまでもどこまでも無限に
親切にしてくれると誤解してしまったりするのかもしれません。
むしろ、職場のほうが「(フリーソフトウェア文化の観点から見て)頭のおかしい人」が多い
のは当然じゃないでしょうか。