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経済物理学というのは(新古典派)経済学とはだいぶ異なる学問分野で、互いに互いをあてにならないと見なしている傾向にあります。(新古典派)経済学は各プレイヤーのインセンティブ構造を仮定して、その結果として生じる均衡状態の性質を用いて現実を説明する演繹法を用いた理論体系です。もちろんその体系の妥当性をデータを用いて検証することも行われていますが、前者の理論的洞察が(新古典派)経済学の核にあるでしょう。他方、経済物理学は主として多量のデータを用いて現実を説明する事に主眼が置かれている物理学の一分やであり、どのような確率過程や分布
> そして、想定しなかった状況の変化の結果として生じた指標の変化が、想定していた状況の変化の結果と異なるものであったとしても、それは理論の妥当性を損ねるものであるとも考えません。
それを自覚していない経済学者(モドキ)が多いから、(新古典派)経済学が使えないお遊びになる原因なんだよね。
ですね。「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。「でもモデルの中では間違ってなかった」というのは、工学あるいは実用上言い逃れにならない。単に「使えない」ってだけ。
まあ、その程度のことすら自覚していない経済学者なんかいないはず。そこまでバカの集団じゃありません。でも、自覚と同時に、そう言い逃れする厚顔無恥さも持ち合わせている人種なんでしょう。
> 「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。モデルというのは現実の全ての要素を含めるものではなく、焦点を当てた部分の関係を整理するために用いるものです。従って、良くできたモデルであっても、現実の現象に影響を与える要素の多くは含まれていないのが普通です。
モデルで想定していなかった事象によってモデルに基づく予想が外れるというのは、例えば政府の公共支出の規模とGDPの関係を説明するモデルに基づき、政府の補正予算によって公共支出が増えるので、GDPが増加すると予測をしたときに、海外で金融機
ある状況をよく描写出来るモデルを作成したが、それが他の状況で役に立たなかった事を厚顔無恥と呼ばれるのは大変心外です。
最初から「現実の経済には、このモデルに含まれていない要素がたくさんあるから、『それなり』程度にしか当たりません」と主張するのなら、厚顔無恥とは呼びません。でも、はじめて大ハズレを引くまでは「このモデルは当たります」って言うよね。そういう厚顔無恥な経済学者ばかりが目立つのかもしれないけど。
Ryo.Oさんは現実を完全に説明ないモデルを作成する全ての学者の仕事を厚顔無恥とお考えでしょうか。
いえ。最初からそのモデルの限界を明示して、かつそのモデルが実用上十分有用なら、それはそれで問題無いわけです。あるいは、あるモデル化によって、予測が困難であることを示す、というのでも構わないと思います。#「Ryo.Oさん」って誰よ?
>最初から「現実の経済には、このモデルに含まれていない要素がたくさんあるから、『それなり』程度にしか当たりません」と主張するのなら、厚顔無恥とは呼びません。でも、はじめて大ハズレを引くまでは「このモデルは当たります」って言うよね。このモデルが当たる、という事を主張している学術論文を読んだことがありません。通常は、この論文は既存の研究になかったこのような要素を入れたのでその分説明力が上がっている、という言い方をします。トレーニングを積んでいる学者であれば裏にそれ以外は考慮していない事を理解できますが、一般の方がそれを誤解してしまう事はあるかもしれません。そうした一般の人の誤解を招くような言説を繰り返す者であれば厚顔無恥な詐欺師と呼ばれても仕方ないかもしれませんが、そうした方が学術研究として認められている業績をあげ続けている狭い意味での経済学者であることは少ないはずです。Ryo.Fさんが何所で経済学者の言説を目にしているかわかりませんが、経済学者に限らず一般向けの雑誌、新聞、テレビなどによく出演している学者が狭い意味での学者であることは少ないです。たとえば、マスコミでよく見る研究や専門と無関係の言説を繰り返す脳科学者、心理学者、数学者等が良い例です。
そうした学者に騙されないための簡易な方法として、その方の名前をGoogle Scholarで調べてみるというのは大変便利な方法です。ScopusやEconolit等の学術論文DBが利用できるならもちろんそちらの方が好ましいです。
Ryo.OというのはTypoでした、申し訳ありません。
通常は、この論文は既存の研究になかったこのような要素を入れたのでその分説明力が上がっている、という言い方をします。
お言葉ですが、それは言葉遊びに過ぎません。経済学界(?)では意味のある言いかえかも知れませんが、それ以外のところでは必ずしもそうではない、ということを知るべきでしょう。説明力が上がったけれども、未来の予測には使えないよ、というのでは、(前にも書いた [srad.jp]通り)工学的に見て意味がありません。
ただ、考古学のように、過去のことを研究するのみで、成り立つ学問もありますし、実用をまったく考慮しない純粋数学のような学問もありますので、存在価値ゼロ、とまでは言いません。
しかし、ならば最初から実学ではない、と宣言すべきでしょう。そもそも、現実の経済を対象としてモデル化することの意味を問い直すべきかも知れません。
私は門外漢ですが、経済学はそこまで「使えない」学問だとは思っていません。おそらく少なくとも、「使える」ことを目指しているんだろうと思っています。ならば、上の様な下らない言葉遊びは止めて、どのくらい「使える」かを真剣に論じるべきです。
> お言葉ですが、それは言葉遊びに過ぎません。経済学界(?)では意味のある言いかえかも知れませんが、それ以外のところでは必ずしもそうではない、ということを知るべきでしょう。> 説明力が上がったけれども、未来の予測には使えないよ、というのでは、(前にも書いた通り)工学的に見て意味がありません。工学でも極所的によく説明するが、大域的には説明できないモデルはよく用いられています。また、特定の変数間の影響のみを予測するモデルもよく用いられています。このとき、大域的な変化やモデルに含まれていなかった変化が起こってモデルの予測が外れたとき、結果的にこのモデルがこの状況では使えなかったと言うことが事後的に判明することも、十分意味のある研究です。説明力があるモデルというのはそのモデルの想定の範囲内であれば未来の予測に使えるということであり、モデルの想定外の現象については何も語りません。そして、想定外の現象を予測できないモデルは意味がないと見なす事も、実学ではないと見なすこともなく、既存のモデルが想定していなかった変化をどうやってモデルに組み込むかを考えるのが学問だと思うのですが。
これまでのコメントを見るに、ある状況を想定していないモデルが、その状況を説明するモデルとして使えないということや、その状況のモデル化として誤りであったということは共通見解のようですが、Ryo.Fさんの発言は想定していない状況があるモデルが使えない、意味がない、という趣旨に読めます。もしそうお考えなのであれば、まさしくそれは新古典派経済学と経済物理学の間にあるスタンスの違いになるでしょう。
おっしゃる事は理解できるのですが。
説明力があるモデルというのはそのモデルの想定の範囲内であれば未来の予測に使えるということであり
結局、未来を予測することを目指すと言っているのですか?そうではないのですか?前のコメント [srad.jp]では
このモデルが当たる、という事を主張している学術論文を読んだことがありません。
と書いていますよね?経済学界に身を置いていない人間から見ると、意味のない言い換えによって何かを誤魔化そうとしている様に見えます。疑りすぎでしょうか?
まさしくそれは新古典派経済学と経済物理学の間にあるスタンスの違いになるでしょう。
そんなことは経済学界の外から見ればどうでもいいことです。
そういうことに興味があるわけです。私は、経済学はまさに使えることを目指しているのだと理解しています。新古典派経済学とやらは、そうではないのでしょうか?経済学界内部の小さな諍いには興味はないのです。そもそも論としてどうなんでしょうか?
> 結局、未来を予測することを目指すと言っているのですか?そうではないのですか?未来を予測する事を目指している人もいるかもしれませんが、私はそうではありません。理想的なサイコロの目が予測出来ないように、そもそも経済現象には原理的に予測不可能な事が存在します。そして、過去に成立していた関係が、未来永劫成立しつつけると考える根拠もありません。従って、これまでをよく説明してきたモデルが結果的に外れたとしても、それを使えないと見なさないという事です。
Ryo.Fさんの「使える」が100%無謬の予測が可能という水準であれば、Ryo.Fさんにとって経済学は永遠に使えないものでしょう。しかし、政策や企業戦略に経済学が用いられているように、多くの場で経済学は使われています。それは、結果として予測が外れたとしても、可能な範囲で仕組みを整理する事が有益であるからです。
そして、繰り返しになりますが、経済学に限らず多くの学問は結果として予測が外れる事はありますが、可能な範囲で仕組みを整理する事を研究活動としています。
理想的なサイコロの目が予測出来ないように、そもそも経済現象には原理的に予測不可能な事が存在します。
理想的なサイコロの目は確率的に予測できます。一方、確率論によらない決定論的な過程の積み重ねであっても、確率論的にしか予測できない、と言う場合もあります。…という様な話は理解できますから、
Ryo.Fさんの「使える」が100%無謬の予測が可能という水準であれば
そういうレベルの話はしなくて結構です。
経済学に限らず多くの学問は結果として予測が外れる事はありますが、可能な範囲で仕組みを整理する事を研究活動としています。
「(予測が外れることはあるが)予測を目標とする」ということと「予測を目標としない」は違うんですが、どっちなんです?WizUさんの言説は傍目には、予測なんかすると外れちゃうことがあるから、表向きには「予測を目標としない」ということにしとこうかなあ、という様に読めてしまいます。
繰り返しになりますが、他の方はどうか知りませんが、私は将来の予測をすることを目標としていません。良くできたモデルはその中の変数の関係をよく説明するため、結果として将来の状況を的中させることもあります。しかし、全ての変数をモデルの内生変数とすることは困難であるため、将来の予測をすることは現在の経済学には重荷であると考えています。また、自分の存命中にそれが可能になるとも考えていません。
丁度日本経済学会(日本の新古典派経済学の最大の学会です)が会員に対し、今の経済危機に対してどの様に考えているのかのアンケートを採っています。今回の金融危機を経済学が予測可能であったかどうか、経済学に対する考え方が変わったかどうか、等の質問がありました。近い将来日本経済新聞に結果が載るらしいので経済学者全般についてはそちらを参考にすると良いでしょう。
将来の予測をすることは現在の経済学には重荷であると考えています。
つまり、実学でもないし、工学的な応用に耐えない、ということですね。その様な立場であれば、確かに「山師」ではありません。引用が前後しますが、
私は将来の予測をすることを目標としていません。<<略>>しかし、全ての変数をモデルの内生変数とすることは困難であるため
私見ですが、志が低いように感じられます。そもそも経済学と言うのは何なのか、と問いたくなりますね。
クラークは、Boys, be ambiciousと言ったそうですが、その言葉通り野心的に活動した結果、失敗して詐欺で訴えられたそうです。有罪にはなりませんでしたが。まあ、詐欺師になっちゃのはいけませんが、究極の目標が高すぎるからと言って、それを無かった事にしてしまうのも酷く寂しい話です。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
経済学者という名の山師ですかね (スコア:0)
1ヶ月近くあれば、別な要因で下がった可能性も捨てきれないでしょう。
(特に中国では)
株価などは、人為的に変動しやすいから、もし、正確な変動予測というものが
あったとしても、その通りにはならないでしょう。
本当に
経済学者、地震の予知、占い師の言うことには、眉に唾付けて、
話半分で聞かないといけないね。
Re: (スコア:5, 参考になる)
経済物理学というのは(新古典派)経済学とはだいぶ異なる学問分野で、互いに互いをあてにならないと見なしている傾向にあります。
(新古典派)経済学は各プレイヤーのインセンティブ構造を仮定して、その結果として生じる均衡状態の性質を用いて現実を説明する演繹法を用いた理論体系です。
もちろんその体系の妥当性をデータを用いて検証することも行われていますが、前者の理論的洞察が(新古典派)経済学の核にあるでしょう。
他方、経済物理学は主として多量のデータを用いて現実を説明する事に主眼が置かれている物理学の一分やであり、どのような確率過程や分布
Re: (スコア:0)
> そして、想定しなかった状況の変化の結果として生じた指標の変化が、想定していた状況の変化の結果と異なるものであったとしても、それは理論の妥当性を損ねるものであるとも考えません。
それを自覚していない経済学者(モドキ)が多いから、(新古典派)経済学が使えないお遊びになる原因なんだよね。
Re: (スコア:1)
ですね。
「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。
「でもモデルの中では間違ってなかった」というのは、工学あるいは実用上言い逃れにならない。単に「使えない」ってだけ。
まあ、その程度のことすら自覚していない経済学者なんかいないはず。そこまでバカの集団じゃありません。
でも、自覚と同時に、そう言い逃れする厚顔無恥さも持ち合わせている人種なんでしょう。
Re: (スコア:1)
> 「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。
モデルというのは現実の全ての要素を含めるものではなく、焦点を当てた部分の関係を整理するために用いるものです。
従って、良くできたモデルであっても、現実の現象に影響を与える要素の多くは含まれていないのが普通です。
モデルで想定していなかった事象によってモデルに基づく予想が外れるというのは、例えば政府の公共支出の規模とGDPの関係を説明するモデルに基づき、政府の補正予算によって公共支出が増えるので、GDPが増加すると予測をしたときに、海外で金融機
Re: (スコア:2)
ある状況をよく描写出来るモデルを作成したが、それが他の状況で役に立たなかった事を厚顔無恥と呼ばれるのは大変心外です。
最初から「現実の経済には、このモデルに含まれていない要素がたくさんあるから、『それなり』程度にしか当たりません」と主張するのなら、厚顔無恥とは呼びません。でも、はじめて大ハズレを引くまでは「このモデルは当たります」って言うよね。
そういう厚顔無恥な経済学者ばかりが目立つのかもしれないけど。
Ryo.Oさんは現実を完全に説明ないモデルを作成する全ての学者の仕事を厚顔無恥とお考えでしょうか。
いえ。最初からそのモデルの限界を明示して、かつそのモデルが実用上十分有用なら、それはそれで問題無いわけです。
あるいは、あるモデル化によって、予測が困難であることを示す、というのでも構わないと思います。
#「Ryo.Oさん」って誰よ?
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
>最初から「現実の経済には、このモデルに含まれていない要素がたくさんあるから、『それなり』程度にしか当たりません」と主張するのなら、厚顔無恥とは呼びません。でも、はじめて大ハズレを引くまでは「このモデルは当たります」って言うよね。
このモデルが当たる、という事を主張している学術論文を読んだことがありません。
通常は、この論文は既存の研究になかったこのような要素を入れたのでその分説明力が上がっている、という言い方をします。
トレーニングを積んでいる学者であれば裏にそれ以外は考慮していない事を理解できますが、一般の方がそれを誤解してしまう事はあるかもしれません。
そうした一般の人の誤解を招くような言説を繰り返す者であれば厚顔無恥な詐欺師と呼ばれても仕方ないかもしれませんが、そうした方が学術研究として認められている業績をあげ続けている狭い意味での経済学者であることは少ないはずです。
Ryo.Fさんが何所で経済学者の言説を目にしているかわかりませんが、経済学者に限らず一般向けの雑誌、新聞、テレビなどによく出演している学者が狭い意味での学者であることは少ないです。
たとえば、マスコミでよく見る研究や専門と無関係の言説を繰り返す脳科学者、心理学者、数学者等が良い例です。
そうした学者に騙されないための簡易な方法として、その方の名前をGoogle Scholarで調べてみるというのは大変便利な方法です。
ScopusやEconolit等の学術論文DBが利用できるならもちろんそちらの方が好ましいです。
Ryo.OというのはTypoでした、申し訳ありません。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
通常は、この論文は既存の研究になかったこのような要素を入れたのでその分説明力が上がっている、という言い方をします。
お言葉ですが、それは言葉遊びに過ぎません。経済学界(?)では意味のある言いかえかも知れませんが、それ以外のところでは必ずしもそうではない、ということを知るべきでしょう。説明力が上がったけれども、未来の予測には使えないよ、というのでは、(前にも書いた [srad.jp]通り)工学的に見て意味がありません。
ただ、考古学のように、過去のことを研究するのみで、成り立つ学問もありますし、実用をまったく考慮しない純粋数学のような学問もありますので、存在価値ゼロ、とまでは言いません。
しかし、ならば最初から実学ではない、と宣言すべきでしょう。そもそも、現実の経済を対象としてモデル化することの意味を問い直すべきかも知れません。
私は門外漢ですが、経済学はそこまで「使えない」学問だとは思っていません。おそらく少なくとも、「使える」ことを目指しているんだろうと思っています。
ならば、上の様な下らない言葉遊びは止めて、どのくらい「使える」かを真剣に論じるべきです。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
> お言葉ですが、それは言葉遊びに過ぎません。経済学界(?)では意味のある言いかえかも知れませんが、それ以外のところでは必ずしもそうではない、ということを知るべきでしょう。
> 説明力が上がったけれども、未来の予測には使えないよ、というのでは、(前にも書いた通り)工学的に見て意味がありません。
工学でも極所的によく説明するが、大域的には説明できないモデルはよく用いられています。
また、特定の変数間の影響のみを予測するモデルもよく用いられています。
このとき、大域的な変化やモデルに含まれていなかった変化が起こってモデルの予測が外れたとき、結果的にこのモデルがこの状況では使えなかったと言うことが事後的に判明することも、十分意味のある研究です。
説明力があるモデルというのはそのモデルの想定の範囲内であれば未来の予測に使えるということであり、モデルの想定外の現象については何も語りません。
そして、想定外の現象を予測できないモデルは意味がないと見なす事も、実学ではないと見なすこともなく、既存のモデルが想定していなかった変化をどうやってモデルに組み込むかを考えるのが学問だと思うのですが。
これまでのコメントを見るに、ある状況を想定していないモデルが、その状況を説明するモデルとして使えないということや、その状況のモデル化として誤りであったということは共通見解のようですが、Ryo.Fさんの発言は想定していない状況があるモデルが使えない、意味がない、という趣旨に読めます。
もしそうお考えなのであれば、まさしくそれは新古典派経済学と経済物理学の間にあるスタンスの違いになるでしょう。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
おっしゃる事は理解できるのですが。
説明力があるモデルというのはそのモデルの想定の範囲内であれば未来の予測に使えるということであり
結局、未来を予測することを目指すと言っているのですか?そうではないのですか?前のコメント [srad.jp]では
このモデルが当たる、という事を主張している学術論文を読んだことがありません。
と書いていますよね?
経済学界に身を置いていない人間から見ると、意味のない言い換えによって何かを誤魔化そうとしている様に見えます。疑りすぎでしょうか?
まさしくそれは新古典派経済学と経済物理学の間にあるスタンスの違いになるでしょう。
そんなことは経済学界の外から見ればどうでもいいことです。
そういうことに興味があるわけです。
私は、経済学はまさに使えることを目指しているのだと理解しています。新古典派経済学とやらは、そうではないのでしょうか?経済学界内部の小さな諍いには興味はないのです。そもそも論としてどうなんでしょうか?
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
> 結局、未来を予測することを目指すと言っているのですか?そうではないのですか?
未来を予測する事を目指している人もいるかもしれませんが、私はそうではありません。
理想的なサイコロの目が予測出来ないように、そもそも経済現象には原理的に予測不可能な事が存在します。
そして、過去に成立していた関係が、未来永劫成立しつつけると考える根拠もありません。
従って、これまでをよく説明してきたモデルが結果的に外れたとしても、それを使えないと見なさないという事です。
Ryo.Fさんの「使える」が100%無謬の予測が可能という水準であれば、Ryo.Fさんにとって経済学は永遠に使えないものでしょう。
しかし、政策や企業戦略に経済学が用いられているように、多くの場で経済学は使われています。
それは、結果として予測が外れたとしても、可能な範囲で仕組みを整理する事が有益であるからです。
そして、繰り返しになりますが、経済学に限らず多くの学問は結果として予測が外れる事はありますが、可能な範囲で仕組みを整理する事を研究活動としています。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
理想的なサイコロの目が予測出来ないように、そもそも経済現象には原理的に予測不可能な事が存在します。
理想的なサイコロの目は確率的に予測できます。一方、確率論によらない決定論的な過程の積み重ねであっても、確率論的にしか予測できない、と言う場合もあります。
…という様な話は理解できますから、
Ryo.Fさんの「使える」が100%無謬の予測が可能という水準であれば
そういうレベルの話はしなくて結構です。
経済学に限らず多くの学問は結果として予測が外れる事はありますが、可能な範囲で仕組みを整理する事を研究活動としています。
「(予測が外れることはあるが)予測を目標とする」ということと「予測を目標としない」は違うんですが、どっちなんです?
WizUさんの言説は傍目には、予測なんかすると外れちゃうことがあるから、表向きには「予測を目標としない」ということにしとこうかなあ、という様に読めてしまいます。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
繰り返しになりますが、他の方はどうか知りませんが、私は将来の予測をすることを目標としていません。
良くできたモデルはその中の変数の関係をよく説明するため、結果として将来の状況を的中させることもあります。
しかし、全ての変数をモデルの内生変数とすることは困難であるため、将来の予測をすることは現在の経済学には重荷であると考えています。
また、自分の存命中にそれが可能になるとも考えていません。
丁度日本経済学会(日本の新古典派経済学の最大の学会です)が会員に対し、今の経済危機に対してどの様に考えているのかのアンケートを採っています。
今回の金融危機を経済学が予測可能であったかどうか、経済学に対する考え方が変わったかどうか、等の質問がありました。
近い将来日本経済新聞に結果が載るらしいので経済学者全般についてはそちらを参考にすると良いでしょう。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
将来の予測をすることは現在の経済学には重荷であると考えています。
つまり、実学でもないし、工学的な応用に耐えない、ということですね。
その様な立場であれば、確かに「山師」ではありません。
引用が前後しますが、
私は将来の予測をすることを目標としていません。<<略>>しかし、全ての変数をモデルの内生変数とすることは困難であるため
私見ですが、志が低いように感じられます。そもそも経済学と言うのは何なのか、と問いたくなりますね。
クラークは、Boys, be ambiciousと言ったそうですが、その言葉通り野心的に活動した結果、失敗して詐欺で訴えられたそうです。有罪にはなりませんでしたが。
まあ、詐欺師になっちゃのはいけませんが、究極の目標が高すぎるからと言って、それを無かった事にしてしまうのも酷く寂しい話です。