Crohn病にしても統合失調症にしても、「治療が難しい疾患」ではあっても「有効な治療法が存在しない疾患」ではありませんし、すぐには死なないまでも放置すれば死にかけたり(下血が続くとか自殺しそうになるとか)ひどくQOLを落としたりする病気です。 ですから、新薬の臨床試験については、「これまでのあらゆる治療に抵抗する症例を対象にする」か、でなければ「対照群をこれまでに最も有効と考えられる薬物とし、非劣性を証明する」というデザインにならざるを得ません。難治性症例を対象にすれば個体差がどうしても大きくなりますし、症例数も稼げません。対照群が実薬である場合、当然真の差は小さいですから、やはり(非劣性の証明にしても)症例数が多く必要ということになりますよね。 いきおい、Type II errorの可能性は上がってしまうことになります。
プラシーボ効果というよりは... (スコア:1, すばらしい洞察)
製薬会社が、金にものを言わせて(もしくは、子飼いの医者の影響力で)、効果があまりない薬でもが、
効果がある様に結果をだしていただけではないかな。
それが最近、製薬会社に力がなくなったのか、それとも膨大な開発費用を早く回収しようと、以前よりも効果が少ないものも
治験に回るようになっただけだったりして。
Phase III のコントロールは完全なプラセボとは限らない (スコア:4, 参考になる)
別にヘルシンキ宣言 [med.or.jp]をわざわざ持ち出さなくても、「有効な治療法はあるけど治療しないと死ぬ病気にプラセボを投与する臨床試験」が倫理的に認められないのは理解できますよね。
Crohn病にしても統合失調症にしても、「治療が難しい疾患」ではあっても「有効な治療法が存在しない疾患」ではありませんし、すぐには死なないまでも放置すれば死にかけたり(下血が続くとか自殺しそうになるとか)ひどくQOLを落としたりする病気です。
ですから、新薬の臨床試験については、「これまでのあらゆる治療に抵抗する症例を対象にする」か、でなければ「対照群をこれまでに最も有効と考えられる薬物とし、非劣性を証明する」というデザインにならざるを得ません。難治性症例を対象にすれば個体差がどうしても大きくなりますし、症例数も稼げません。対照群が実薬である場合、当然真の差は小さいですから、やはり(非劣性の証明にしても)症例数が多く必要ということになりますよね。
いきおい、Type II errorの可能性は上がってしまうことになります。
もちろん過去の治験が杜撰であった可能性もありますが、「他に有効な治療法ができてきたので、よほど画期的な新薬以外は世の中に出せなくなってきた」というだけの可能性もあります。
# どこにぶらさげていいか分からないのですがとりあえずここに。
Re:プラシーボ効果というよりは... (スコア:1)
2001年から2006年というとバイオベンチャーブームが始まって終焉した期間とかぶる。
あの頃は、最初はITやってますと言ってたベンチャーが
投資家からのプレッシャーで新薬開発に舵を切って次々と失敗していった時期だけど
その辺も関係するんじゃないのかな。