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フロンガスがオゾンを破壊する現象は、簡単に証明できるけど、二酸化炭素が地球全体の平均気温を上げる現象の証明は、そうはいかない。
一方で「(今の気温-氷河期の気温) >> (今の気温-産業革命前の気温)」は疑う人がいないので自然変動説は直感的には説得力があるわけで。
結局のところ懐疑論批判といっても「以上の事柄を総合的に勘案すると地球温暖化は事実であることは疑いようが無い」みたいな、むしろ頭の悪そうな言い方しかできんわけで、温暖化が事実であっても懐疑論を封殺するのは不可能なんじゃないかな。
それよりも、懐疑論と付き合いながら対策を講じる道に進むほうが正しいのでは?
というか懐疑論批判を本にまとめるってのは科学者としては十分「付き合ってる」と思うけど…。
法律で禁止しろとか、立場を利用して圧力をかけるとか、権威を笠に黙殺するとか、馬鹿にして笑い飛ばすとかではなく誠実に批判や反論するってのは科学者の行動として実に王道なような…。相手の存在を認めているという意味では立派に「共存」してるといえるでしょう。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
批判よりも共存はいかが? (スコア:0)
フロンガスがオゾンを破壊する現象は、簡単に証明できるけど、
二酸化炭素が地球全体の平均気温を上げる現象の証明は、そうはいかない。
一方で「(今の気温-氷河期の気温) >> (今の気温-産業革命前の気温)」は
疑う人がいないので自然変動説は直感的には説得力があるわけで。
結局のところ懐疑論批判といっても「以上の事柄を総合的に勘案すると
地球温暖化は事実であることは疑いようが無い」みたいな、むしろ頭の悪そうな
言い方しかできんわけで、温暖化が事実であっても懐疑論を封殺するのは
不可能なんじゃないかな。
それよりも、懐疑論と付き合いながら対策を講じる道に進むほうが正しいのでは?
相手の「存在」はみとめているから批判や反論をするのだろう (スコア:2, すばらしい洞察)
というか懐疑論批判を本にまとめるってのは科学者としては十分「付き合ってる」と思うけど…。
法律で禁止しろとか、立場を利用して圧力をかけるとか、権威を笠に黙殺するとか、馬鹿にして笑い飛ばすとかではなく
誠実に批判や反論するってのは科学者の行動として実に王道なような…。
相手の存在を認めているという意味では立派に「共存」してるといえるでしょう。