アカウント名:
パスワード:
アフリカとか中南米とかのキリスト教徒なんか凄いぜぇ。 以前に崇拝してた神々をそっくりキリストやマリアや聖人にマッピングし直して 崇拝してんだからさ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
最初のバージョンは常に打ち捨てられる。
誰も書いてないようなので書いておきますが… (スコア:4, 興味深い)
いっさい誓ってはならない。
# それにしてはキリスト教徒はやたらとあちこちで誓って
# いるような気がするんだが・・・気のせいか?
(´д`;)
Re:誰も書いてないようなので書いておきますが… (スコア:0)
WTCに飛行機が突っ込んだとき、「左の頬」は何処へ行っていたのか。やはり、否定されている筈の「目には目を」が出てくるのでわ、と思うわけですよ。
#このハンムラビ法典からの文が本来、復讐上限規定であることは本趣旨と何ら関係ない。
ということは.... (スコア:0)
# ということでAC
Re:ということは.... (スコア:1, 参考になる)
右の頬を叩くのは、叩く側が右手の甲で叩くので叩かれる方は右の頬を叩かれるの。
要は本気で叩くつもりがないわけ。(多分、一般的な右利きを前提に話をしている筈)
怒りのビンタ(本気)の場合、手のひら側で叩くほうが力を込められるから、普通はそちら(相手の左頬側へのビンタ)を一発目にもってくるでしょ。だから、右の頬を叩くのは相手を侮辱するために叩いているワケで、要は喧嘩売って挑発しているワケ。
そんな「邪悪な」奴らの挑発をいちいち相手にするな、喧嘩を買うな、まともに争うなと。これがもともとの教えの意味。
「叩きたいなら左の頬だって叩けばいい、だがそんなことをしてもお前の挑発には絶対に乗らないぞ」と、内心でムカついてる場合でもそういう応対をせいと言うのな。
では、本気で叩いてきた場合はどうするか。
わざわざ砂袋にされる必要はないので、さっさと「逃げるほうが賢明」です。(当然だわな)
実際、後のほうで「もしもひどい迫害が自分のいる町で起きたら、さっさと別の町に逃げるように」と教えていますからね。(マタイ伝10章23節)
また出てきてしまった :-)
Re:誰も書いてないようなので書いておきますが… (スコア:0)
さらに関係ないけど (スコア:0)
思うのですが、教会においてある図画や像ってどういう扱いなのかしら。
あ、そうかすべての偶像崇拝を捨てるから
ヒーロー(宇宙飛行士)を攻撃したってこと?
#ちがうか
Re:さらに関係ないけど (スコア:1)
キリスト教原理主義者の中には、やはり、偶像を破壊して回ったりする連中もいるですよ。
Re:さらに関係ないけど (スコア:0)
>思うのですが、教会においてある図画や像ってどういう扱いなのかしら。
それに向かって祈っているならまさしく偶像なんだが、当人はというと
「キリストに近づくための助け」とかいう理由で崇めているらしいぞ。
「聖人」ってのに祈願するのもそれが理由だそうだ。いきなりボスに近づくのはアレなんでまず周りにお願いするんだと。実際、イコン(アイコン)とかは芸術作品である前に、もともとそういうモンとして作られたんだろ?
そもそも、生きていない偶像も、生きている偶像(教祖様?総統閣下?)もない宗教ってほとん
FYI:殺人禁止!? (スコア:1)
「人を殺してはいけない」というルールが共有されたことは、人類の歴史に一度もありません。代わりに「仲間を殺すな」と「仲間のために人を殺せ」という血讐のルールがあり続けてきました。
宮台真司,1998年,『これが答えだ!』飛鳥新社 p.118
なのだそうです。
あくまでも、法律学ではなく、社会学の立場からの見方ということです。
だからどうしたと言われても苦しいんですが、同書には、
宗教は社会よりも大きい
という記述もあったりして、なんというか、その場その場での都合の良し悪しもさることながら、意識に上ってこないところで、世の中のルールを規定しているもの(法則?)があるようですね。
Re:さらに関係ないけど (スコア:1)
キリスト教が普及できたのは、そういう風に土地の神様を取り込んできたことも理由の一つでしょう。
Re:さらに関係ないけど (スコア:0)
禅宗なんかは偶像が無さそうですね。
偶像 (スコア:0)
十字架ももちろん偶像。
現在のキリスト教と言ってる人たちのほとんどは
聖書に反してる行為を行っています。
それで、救われると思ってるからかわいそうなもんです。
きっと (スコア:0)
Re:きっと (スコア:2, 参考になる)
> キリスト教徒なんじゃないかな?今「誓って」る連中は。
キリスト教徒だったら基本的に「新約(新しい契約)」に 入るでしょ。
旧約(古い契約)はモーセの律法契約だし。
ちなみに旧約の教えを守っているのはユダヤ教徒ね。
マタイ5章(山上の垂訓)の34節にある 「いっさい誓ってはならない」ってのは、気安く重要なモノにかけて 誓いを立てて、その重大さに気づいていない連中を戒めるために 言われたのだったと思ったが。
だから、その後の場所(37節)で「(誓ったりしなくても)あなた がたの”はい”は”はい”を、”いいえ”は”いいえ”を意味 するようにしなさい。」と教えたわけで。
おそらく、お手軽に自分の約束にハクを付ける ため、そういう迷惑な誓いを乱発していた連中がいたのだと思われ。
後の方もしっかり読むと、この言葉の真意がよくわかる筈。
この部分は当時のユダヤ教の宗教指導者達がやっていた教え方を 一つ一つ取り上げて自分の教えることと違っている部分を説明 している箇所なんだが、なかなか興味深いので一度通して 5章から7章ぐらいまで読んでみるといいかも。
当時のラビ達の教えをとりあえず「高校の授業」 程度とすると、イエスの教えていることは「大学の授業」 ぐらい教えている内容に差があることが わかると思うゾ。(難易度というよりは、扱う分野と切り口が違う) もっとも、「名門大学」の授業に比較するのは無理があるな。 そもそも、彼が教えていたのは無学な普通の人が主だったし、 エリート養成が目的じゃないからね。
信者なのでAC :-)
Re:きっと (スコア:0)
> いない連中を戒めるために 言われたのだったと思ったが。
いいえ。マーフィーの法則に気づかせるためです。
失敗する可能性のあるものは失敗し、
結局 (スコア:0)
Re:結局 (スコア:0)
古代ペルシャの王はアフラマズダを信奉するゾロアスター教徒だが、
その統治は宗教的には寛容であるというのが特徴だったような。
「アフラマズダは最高の神であるゆえ、他の神々もみな味方につくので
他人が何を