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あまりにも基本的な調査なので,いちいち国勢調査の成果としては表記されませんね。残念なことです。国や自治体が出す「世帯当たりの〜」や「都道府県ごとの〜」という指標は,ほとんど国勢調査が基礎データとして利用されています。
例えば,都道府県や市町村の人口は住民登録でも把握できますが,政策立案上は国勢調査の結果が公式的に扱われることが多いです。これは,ホームレスや不法滞在に近い外国人などは住民登録しませんが国勢調査の対象となっており,より精確なデータと見なされるためです。同時に各種統計やデータと国勢調査の「ズレ」自体がひとつの現実として把握できます。
かつては人口に比例する国庫の補助金欲しさに,自治体職員が10月1日(調査基準日)の深夜,市区町村の境界にたむろするホームレスを相手に必死に調査票を書いてもらうことがあったらしいです。
また,居住地,世帯構成,収入,就業状況が紐付けされた形でデータとなっているので,地方間比較や世代間比較,収入と居住地の関係など,様々な指標が提供されます。
需要予測が外れるのは文系(それも多くは経済学部ですらなく法学部出の)の官僚が数学的には何の保証もない「グラフの補外」を平然とやらかすからだと思う。そこには国勢調査の誤差どころでない極めて乱暴な「誤差」が入り込んでいる。
半導体関連の講演に経産省の地方局の官僚がきたときだったとおもうが、初めてそういう講演を見たとき、彼らが揃いも揃ってあまりに自信タップリに需要グラフを指数関数的な未来へ力強く延伸するのでなんか秘密の情報でもあるのかいなと思ったものだ。が、どうやらそうではなく単に既知の連続関数(指数関数とか)と勝手にみなして(それもキチンとあてはめをする
需要予測が外れるのは文系(それも多くは経済学部ですらなく法学部出の)の官僚が数学的には何の保証もない「グラフの補外」を平然とやらかすからだと思う。
「グラフの補外」が何も保証しないのは自明だとはいえ、文系であろうと理系であろうとなんらかの予測をするさいには「何の保証もない」「グラフの補外」をしなくちゃいけないでしょう? 需要予測、天気予報、etc。
そこまで大規模でなくても、単純な力学で求められる質点の自由落下の予測でさえ「何の保証もない」のですから。
で当たる予測と外れる予測の違いって、予測モデルの確度や入力に使う現時点や過去の状態値の持つ誤差の程度によるものが大きいでしょ。
もちろん条件を限定すれば補外しても大きく外れない場合はあります。例えば何回か微分してもなお連続であるなど、強い連続性のある関数になっていると言えるようなら少しくらいなら外へ伸ばしても大きくは外れないでしょう。でもこの場合、補外の精度を支えているのは導関数の積分で、誤差は未来へ行けばいくほど累積しますので何年も先といった長期予想は無理でしょう。補間のように両端が決まっていて間を埋めているのとは条件がかなり違います。(とはいえこれも導関数までくらいはちゃんと調べている場合の話で目分量で似ている関数を想定しているだけである場合には補外はまったく無謀で、当たったとしたらそれは単なるマグレです。)
指数関数に似た挙動も条件を限定すればあり得なくはありません。例えば新技術、新サービスなどの新興市場なら供給が圧倒的に不足しているので短期間であれば指数関数類似な上昇も可能でしょう。
けれどもいずれの場合もかなり事例ごとに細かな限定が必要で、その限定から離れてグラフが独り歩きするのは危険です。他に手段がなければ不確かでもないよりはましな場合もあるでしょうから不確かな予測をしてもいいのですが、予測の確からしさについての情報も対にして記録しておかなければいけません。大して根拠がない予測ならそうであることを明記しておく必要があります。
さて、日本の国勢調査の統計にも不備があるとしても、(そしてそれが可能な限り正されなければならないとしても)このような補外による予測のように何割~何倍ものスケールで違うほどひどくはないように思いますので、この辺の予測手法の持つ危うさとは桁が違う話だと思います。
というわけで公共事業等の需要予測がしばしば過大になるのは国勢調査の誤差より需要の予測手法の乱暴さ(あるいはその乱暴な予測手法に対する過剰な信頼)によるところが大きいと考えたわけです。
方法論の問題はご指摘の通りだと思います。しかし、各種の需要予測があてにならないより重要な問題は、予測の正しさがそもそも求められていないからだと考えています。シンクタンクに勤めていた際に需要予測の作成を求められましたが、しばしば予測の確からしさよりも、予測結果の都合の良さを求められました。この手の話は自分の職場やクライアントが特殊ということではなく、多かれ少なかれあちこちである話とも聞きます。
このような場合に自分がとった対策として、1・至極まっとうな予測結果が出せるモデルを構築する2・そのモデルの中で、クライアントの望んでいる結果が出るような外生的な変化を発見するという報告書の作成を行いました。他のシンクタンクのレポート等を見るに、仕事に誇りを持っている分析者であれば、似たような対策をとっているのではないかと思います。
現在大学で経済統計という授業を教えていますが、学生には役所やシンクタンクの分析はその結果だけを見るのではなく、その調査手法や結果を導き出したシナリオ等を見ことを勧めています。
ちなみに、方法論の問題ではもっと単純に、役人をやっている友人から「大臣が急に言い出したから慌てて数値を作ってみた」とかいう話も聞きます。この手の当て推量は方法論としては全くでたらめですが、実務の世界ではかなり重宝される能力のようです。
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何のため? (スコア:0)
集めたデータを使ってこんな成果が出てます、って聞いたことないです。
そもそも要らないじゃないの?
Re: (スコア:1, 参考になる)
あまりにも基本的な調査なので,いちいち国勢調査の成果としては表記されませんね。残念なことです。
国や自治体が出す「世帯当たりの〜」や「都道府県ごとの〜」という指標は,ほとんど国勢調査が基礎データとして利用されています。
例えば,都道府県や市町村の人口は住民登録でも把握できますが,政策立案上は国勢調査の結果が公式的に扱われることが多いです。これは,ホームレスや不法滞在に近い外国人などは住民登録しませんが国勢調査の対象となっており,より精確なデータと見なされるためです。同時に各種統計やデータと国勢調査の「ズレ」自体がひとつの現実として把握できます。
かつては人口に比例する国庫の補助金欲しさに,自治体職員が10月1日(調査基準日)の深夜,市区町村の境界にたむろするホームレスを相手に必死に調査票を書いてもらうことがあったらしいです。
また,居住地,世帯構成,収入,就業状況が紐付けされた形でデータとなっているので,地方間比較や世代間比較,収入と居住地の関係など,様々な指標が提供されます。
Re: (スコア:0)
集計方法の統計を基にしているからなんですね。
責任の所在を明らかにする必要 (スコア:5, 興味深い)
需要予測が外れるのは文系(それも多くは経済学部ですらなく法学部出の)の官僚が
数学的には何の保証もない「グラフの補外」を平然とやらかすからだと思う。
そこには国勢調査の誤差どころでない極めて乱暴な「誤差」が入り込んでいる。
半導体関連の講演に経産省の地方局の官僚がきたときだったとおもうが、
初めてそういう講演を見たとき、
彼らが揃いも揃ってあまりに自信タップリに
需要グラフを指数関数的な未来へ力強く延伸するので
なんか秘密の情報でもあるのかいなと思ったものだ。
が、どうやらそうではなく単に既知の連続関数(指数関数とか)と勝手にみなして
(それもキチンとあてはめをする
Re: (スコア:-1)
「グラフの補外」が何も保証しないのは自明だとはいえ、文系であろうと理系であろうとなんらかの予測をするさいには「何の保証もない」「グラフの補外」をしなくちゃいけないでしょう? 需要予測、天気予報、etc。
そこまで大規模でなくても、単純な力学で求められる質点の自由落下の予測でさえ「何の保証もない」のですから。
で当たる予測と外れる予測の違いって、予測モデルの確度や入力に使う現時点や過去の状態値の持つ誤差の程度によるものが大きいでしょ。
Re:責任の所在を明らかにする必要 (スコア:1)
もちろん条件を限定すれば補外しても大きく外れない場合はあります。
例えば何回か微分してもなお連続であるなど、強い連続性のある関数になっていると言えるようなら
少しくらいなら外へ伸ばしても大きくは外れないでしょう。
でもこの場合、補外の精度を支えているのは導関数の積分で、
誤差は未来へ行けばいくほど累積しますので何年も先といった長期予想は無理でしょう。
補間のように両端が決まっていて間を埋めているのとは条件がかなり違います。
(とはいえこれも導関数までくらいはちゃんと調べている場合の話で目分量で似ている関数を想定しているだけである場合には
補外はまったく無謀で、当たったとしたらそれは単なるマグレです。)
指数関数に似た挙動も条件を限定すればあり得なくはありません。
例えば新技術、新サービスなどの新興市場なら供給が圧倒的に不足しているので短期間であれば指数関数類似な上昇も可能でしょう。
けれどもいずれの場合もかなり事例ごとに細かな限定が必要で、その限定から離れてグラフが独り歩きするのは危険です。
他に手段がなければ不確かでもないよりはましな場合もあるでしょうから
不確かな予測をしてもいいのですが、予測の確からしさについての情報も対にして記録しておかなければいけません。
大して根拠がない予測ならそうであることを明記しておく必要があります。
さて、日本の国勢調査の統計にも不備があるとしても、(そしてそれが可能な限り正されなければならないとしても)
このような補外による予測のように何割~何倍ものスケールで違うほどひどくはないように思いますので、
この辺の予測手法の持つ危うさとは桁が違う話だと思います。
というわけで公共事業等の需要予測がしばしば過大になるのは国勢調査の誤差より
需要の予測手法の乱暴さ(あるいはその乱暴な予測手法に対する過剰な信頼)によるところが大きいと考えたわけです。
Re:責任の所在を明らかにする必要 (スコア:1)
方法論の問題はご指摘の通りだと思います。
しかし、各種の需要予測があてにならないより重要な問題は、予測の正しさがそもそも求められていないからだと考えています。
シンクタンクに勤めていた際に需要予測の作成を求められましたが、しばしば予測の確からしさよりも、予測結果の都合の良さを求められました。
この手の話は自分の職場やクライアントが特殊ということではなく、多かれ少なかれあちこちである話とも聞きます。
このような場合に自分がとった対策として、
1・至極まっとうな予測結果が出せるモデルを構築する
2・そのモデルの中で、クライアントの望んでいる結果が出るような外生的な変化を発見する
という報告書の作成を行いました。
他のシンクタンクのレポート等を見るに、仕事に誇りを持っている分析者であれば、似たような対策をとっているのではないかと思います。
現在大学で経済統計という授業を教えていますが、学生には役所やシンクタンクの分析はその結果だけを見るのではなく、その調査手法や結果を導き出したシナリオ等を見ことを勧めています。
ちなみに、方法論の問題ではもっと単純に、役人をやっている友人から「大臣が急に言い出したから慌てて数値を作ってみた」とかいう話も聞きます。
この手の当て推量は方法論としては全くでたらめですが、実務の世界ではかなり重宝される能力のようです。