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現行法上では、出版者は著作権者との間に出版権 [e-gov.go.jp]に基づく出版契約を結んで、独占的に出版する権利を得ています。(紙の契約書がないことは往々にしてありますが)
しかし、現行の出版権は「印刷その他の機械的又は化学的方法により文書又は図画として複製する権利」であるため、電磁的方法である電子書籍を含みません。 ですので、出版契約書上で別項を立てて電子化権を取得していますが、独占権にはなっていません。(書協の出版契約書ひな形 [jbpa.or.jp]の20
著作者に出版者の存在が必要だとどこまで思わせられるかが、鍵でしょうか。
当方も同意です。 書いたものを世に出したいなら、同人誌などがあります。
しかし、出版社に編集者という職種の方々がいるわけで、当方のような悪文を書くような者には編集者に見てもらわないと、壊滅的な文で世に恥をさらす羽目になるので出版社は必要だと思います。 そういうところから「プロの編集者」というのでしょうか、ライターに誤解の少ないわかりやすい文を書かせ、時にはコーチをするような人が望まれているのではないかと。
すなわち、チェックなく垂れ流しもできるのが web や同人誌のいいところでしょう。 編集者の目というフィルタを越えられたモノも依然として求められ続けると思います。 キンドルにしろ他の電子ブックリーダにしろ、出版社にしろ、読み物サイトにしろ、腕のいい編集者を擁することができて、それをライターたちが必要という状況が残るなら生き残れると思います。
私は読者としてちゃんとした編集や校正が必要と考えているので、電子化→省力化→手抜き、という流れを危惧してしまう。
「人月の神話」の20周年版は、TeX出力でふりがなが失敗して重なっているのとか誤字脱字が多く、著者校正しかしていない感がありあり。非常にもったいないと感じた。
編集、校正、組版や製本などに興味を持って専門書などを読むと、一読者として意識しなかった工夫が多々あるのがわかってためになった。特に、校正や組版ルールを徹底する場合、著者がやるより第三者のほうが絶対効率がいい。単なる活字の並びとしてチェックする頭のモード切替が必要なんで。自分の書いた文章をそんな風に読める著者ばかりではないし。
電子書籍をAmazonで売るなら、マーケットプレイス式に出版社を選べるといいな。ある著作についていろんな編集会社が仕上げたバージョンを選べるようにする。買った人が評価する仕組みもすでにあるから、ちょっと高くてもいい出版社から買うようになるとか。
なんかたくさん言いたいことがあって散漫になっちゃった。こういうのをうまくまとめるため、はたで意見を言ってくれる人って、それなりに必要。
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
えげつないなぁ (スコア:5, 参考になる)
現行法上では、出版者は著作権者との間に出版権 [e-gov.go.jp]に基づく出版契約を結んで、独占的に出版する権利を得ています。(紙の契約書がないことは往々にしてありますが)
しかし、現行の出版権は「印刷その他の機械的又は化学的方法により文書又は図画として複製する権利」であるため、電磁的方法である電子書籍を含みません。
ですので、出版契約書上で別項を立てて電子化権を取得していますが、独占権にはなっていません。(書協の出版契約書ひな形 [jbpa.or.jp]の20
Nullius addictus iurare in verba magistri
出版社は必要か? (スコア:3, すばらしい洞察)
当方も同意です。 書いたものを世に出したいなら、同人誌などがあります。
しかし、出版社に編集者という職種の方々がいるわけで、当方のような悪文を書くような者には編集者に見てもらわないと、壊滅的な文で世に恥をさらす羽目になるので出版社は必要だと思います。 そういうところから「プロの編集者」というのでしょうか、ライターに誤解の少ないわかりやすい文を書かせ、時にはコーチをするような人が望まれているのではないかと。
すなわち、チェックなく垂れ流しもできるのが web や同人誌のいいところでしょう。 編集者の目というフィルタを越えられたモノも依然として求められ続けると思います。 キンドルにしろ他の電子ブックリーダにしろ、出版社にしろ、読み物サイトにしろ、腕のいい編集者を擁することができて、それをライターたちが必要という状況が残るなら生き残れると思います。
Re:出版社は必要か? (スコア:1)
私は読者としてちゃんとした編集や校正が必要と考えているので、電子化→省力化→手抜き、という流れを危惧してしまう。
「人月の神話」の20周年版は、TeX出力でふりがなが失敗して重なっているのとか誤字脱字が多く、著者校正しかしていない感がありあり。非常にもったいないと感じた。
編集、校正、組版や製本などに興味を持って専門書などを読むと、一読者として意識しなかった工夫が多々あるのがわかってためになった。特に、校正や組版ルールを徹底する場合、著者がやるより第三者のほうが絶対効率がいい。単なる活字の並びとしてチェックする頭のモード切替が必要なんで。自分の書いた文章をそんな風に読める著者ばかりではないし。
電子書籍をAmazonで売るなら、マーケットプレイス式に出版社を選べるといいな。
ある著作についていろんな編集会社が仕上げたバージョンを選べるようにする。買った人が評価する仕組みもすでにあるから、ちょっと高くてもいい出版社から買うようになるとか。
なんかたくさん言いたいことがあって散漫になっちゃった。こういうのをうまくまとめるため、はたで意見を言ってくれる人って、それなりに必要。