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>新聞会社や地域放送は生き残りをかけ、「何を伝えるべきか」ではなく「人々は何を耳にしたいか」に頼るようになってしまった。
インターネットの普及において、最も注目すべき事象のひとつに「人と情報、あるいは情報と情報の距離が短くなった」というものがあると思います。
結果として、掲題の既存メディアが「伝えたい」と考える事柄や意見だけでなく旧来では視聴者がアクセスしなかったはずの情報が伝わってしまう状況が生まれました。
良し悪しは別として、既存メディアが使命としていた大衆への情報フィルタリングの主導権が個人に回帰し、個人により送受を取捨選択出来る時代になってしまいました。
選択肢として、既存メディアの情報フィルタリングによる送受信だけでなく自分の興味のある事柄を発信する人、受信する人が増えて結果として、本来は(既存メディアが)興味のなかった事柄に触れる機会も増えるという状況が生まれました。
例えば、中国のチベット問題は、当初は日本人の多くが興味がなかったと思われますがインターネットで目に触れて「興味を持った」「識った」人が多かったと推測します。
言うなれば、既存"マス(多数への)"メディア vs "マス(多数の)"イデオロギーという情報の貴族社会から大衆社会への転換が行われようとしているのではないでしょうか。
貴族や政治に対して、大衆が既存メディアを得たように既存メディアに対して、個人はインターネットを手に入れたのです。
そのため、個人による情報発信と既存メディアでは求められる立場も役割も違います。にもかかわらず文頭のような本末転倒な手法で大衆の耳目を集める行為に転換するのは、一種の自己否定ではないでしょうか。
既存メディアには(これまでの)自身の存在価値を否定することなく、それぞれ堂々と変わらぬ意志を貫いて欲しいと考えます。
存続すべき価値があるフィルタリング(取捨選択)が出来るならば、社会と個人から十分に支持は得られるはずです。
#推敲なし、一発投稿!
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
それらは既存メディアの問題でしかないのでは? (スコア:2)
>新聞会社や地域放送は生き残りをかけ、「何を伝えるべきか」ではなく「人々は何を耳にしたいか」に頼るようになってしまった。
インターネットの普及において、最も注目すべき事象のひとつに
「人と情報、あるいは情報と情報の距離が短くなった」というものがあると思います。
結果として、掲題の既存メディアが「伝えたい」と考える事柄や意見だけでなく
旧来では視聴者がアクセスしなかったはずの情報が伝わってしまう状況が生まれました。
良し悪しは別として、既存メディアが使命としていた大衆への情報フィルタリングの主導権が
個人に回帰し、個人により送受を取捨選択出来る時代になってしまいました。
選択肢として、既存メディアの情報フィルタリングによる送受信だけでなく
自分の興味のある事柄を発信する人、受信する人が増えて
結果として、本来は(既存メディアが)興味のなかった事柄に触れる機会も増えるという状況が生まれました。
例えば、中国のチベット問題は、当初は日本人の多くが興味がなかったと思われますが
インターネットで目に触れて「興味を持った」「識った」人が多かったと推測します。
言うなれば、既存"マス(多数への)"メディア vs "マス(多数の)"イデオロギーという
情報の貴族社会から大衆社会への転換が行われようとしているのではないでしょうか。
貴族や政治に対して、大衆が既存メディアを得たように
既存メディアに対して、個人はインターネットを手に入れたのです。
そのため、個人による情報発信と既存メディアでは求められる立場も役割も違います。
にもかかわらず文頭のような本末転倒な手法で大衆の耳目を集める行為に転換するのは、
一種の自己否定ではないでしょうか。
既存メディアには(これまでの)自身の存在価値を否定することなく、
それぞれ堂々と変わらぬ意志を貫いて欲しいと考えます。
存続すべき価値があるフィルタリング(取捨選択)が出来るならば、
社会と個人から十分に支持は得られるはずです。
#推敲なし、一発投稿!