アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
大学教員に限るが (スコア:1, 興味深い)
当然「研究だけで教育はしない」という教員は論外だが、その一方で「教育はやるが研究はしない」という教員に何かを教えてもらいたいとは思わない。大学で教える事はいわゆる「教科書にない」部分も結構あるので、先生自身が日々努力している=研究している必要があると思う。できれば、自分の研究以外の事も勉強して教える教員がベストだけど、最低でも自分の専門分野の研究を真面目に、情熱を持っている教員に教えてもらいたい。
自分の経験を見返すと、やっぱり良い研究を行っている先生の講義は
Re: (スコア:0)
Re:大学教員に限るが (スコア:1, すばらしい洞察)
「教育内容」と「研究内容」は乖離しているかもしれないが、授業のときに、「ここで教える内容は現在こんな形になっている」とか「実はみんなに今日話した内容には一部問題あって、その問題がついこの前解けたんだよ」など自分の学んでいることが最前線に繋がっている事を教えてくれる教員が大学には必要だと思います。
子供ならまだしも成人に近い年齢の人間が無味乾燥な勉強をしてもおもしろくないし、意欲もわかない。でも、「おおこれが最前線につながるのか」とか「おお、これがあの技術の基礎なのか」と体験談に基づく話を聞くと意欲が沸いてきませんか?こんな「教科書にない」話を情熱を持って話せるのは研究をバリバリやっていて、最前線の研究内容に精通している教員でなければ無理なんだと思います。
よく「教育は技術だ」なんて言うけど,技術は練習で習得出来ます。だから研究やっているけど教育したことが無い先生は数年の訓練で教育ができるようになる可能性があると思います。でも情熱や、実体験に基づく知識、そして最前線で研究する能力は「教育だけしている教員」には絶対に真似できないし、訓練して体得できる物ではないと見ていて思いました。
やっぱり大学教員のもっとも重要な資質は「学問に対する情熱」と「研究能力」ではないかと、自分に影響したいろいろな先生たちをみていて思います。
#結局「教育がうまい」だけの先生の言葉って、その時は良いけど、後々残らないというか意味がないんですよね。
#あまり授業はうまくなくても、もがいて道を作っている先生の方の後ろ姿の方がなんか後から効いてきます。