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中国は、根っからのコピー大国であることを証明しただけ。中国共産党も、どっかのコピーで、そのうち、コピー元に著作権料を払うさ。
資本論の議論では「著作権」っていうのはまさに社会的共有すべき「生産手段」に属するものだと思いますが…
# 資本論の2巻以降はエンゲルスがっせdrftgyふじこlp
中国もベルヌ条約と万国著作権条約を結んでいる以上、正しく行動しないと他の国々から突っ込がみ入ると思いますよ。特に万博ともなると、世界中が注目してますから。
> そもそも私有財産を認めないのが共産主義ですから。
あんたねぇ、中国が改革開放路線に進路を修正して何年経ってると思うのよ?
> しぶしぶ払っているだけ。
いや、資本主義国での支払いでもしぶしぶ払う人は多いと思うよ。
> もうコピー元は消滅ソ連共産党の後継であるロシア連邦共産党 [kprf.ru]はまだ存在してます [wikipedia.org]が何か?
元が消滅しているなら、それはコピーではない。
と弾言。
つまりムーブだったと。ダビング10じゃなくてよかった・・・?
コミュニズムを共産主義、ソシアリズムを社会主義と訳したのは日本人。中国では当初別の訳語が定着していた。孫文なんかの演説では民生主義とか言ってるし。国民党と共産党の共通の祖先である”中華革命党”が大日本帝国海軍の特務機関に支援されていた関係で事実上の活動拠点が日本にあった時代があり、その時に研究が先行していた日本のテキストで学習したものと思われる。当時の日本ではマルクス主義は禁止されていたが研究は容認されていたので、ドイツ語、英語に次いで多くの研究書が刊行されていた。その後、犬養政権による中華革命党及びその支持者に対する弾圧、関係者の清朝への引き渡しで中華革命党の壮士は日本を離れていく。その後、上海で産声をあげた中国共産党の幹部には日本帰りが多かった。その後の国民党との闘争や内部の権力闘争で日本帰りは次々倒れていきソ連帰りや生え抜きに主導権を奪われていく。”共産党”という呼称だけは残ったけど。
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
甘い! (スコア:0, フレームのもと)
中国は、根っからのコピー大国であることを証明しただけ。
中国共産党も、どっかのコピーで、
そのうち、コピー元に著作権料を払うさ。
Re:甘い! (スコア:1, すばらしい洞察)
「知的所有権」云々は、資本主義国の身勝手な言い分、
貿易等の力関係があるので、しぶしぶ払っているだけ。
Re:甘い! (スコア:3, 参考になる)
世間知らずもほどほどにしないとダメだと思うんです。
資本論を読めとまではいいません。ここ [jcp.or.jp]とかここ [jcp.or.jp]などの解説では満足しませんか?
#ただのネガキャンだとは思いますが
少し…頭冷やそうか…
Re: (スコア:0)
資本論の議論では「著作権」っていうのはまさに社会的共有すべき「生産手段」に属するものだと思いますが…
# 資本論の2巻以降はエンゲルスがっせdrftgyふじこlp
Re:甘い! (スコア:1)
中国もベルヌ条約と万国著作権条約を結んでいる以上、正しく行動しないと他の国々から突っ込がみ入ると思いますよ。特に万博ともなると、世界中が注目してますから。
Re: (スコア:0)
> そもそも私有財産を認めないのが共産主義ですから。
あんたねぇ、中国が改革開放路線に進路を修正して何年経ってると思うのよ?
> しぶしぶ払っているだけ。
いや、資本主義国での支払いでもしぶしぶ払う人は多いと思うよ。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
> そのうち、コピー元に著作権料を払うさ。
もうコピー元は消滅していますが……
Re: (スコア:0)
> もうコピー元は消滅
ソ連共産党の後継であるロシア連邦共産党 [kprf.ru]はまだ存在してます [wikipedia.org]が何か?
Re: (スコア:0)
元が消滅しているなら、それはコピーではない。
と弾言。
Re: (スコア:0)
つまりムーブだったと。ダビング10じゃなくてよかった・・・?
Re: (スコア:0)
コミュニズムを共産主義、ソシアリズムを社会主義と訳したのは日本人。
中国では当初別の訳語が定着していた。
孫文なんかの演説では民生主義とか言ってるし。
国民党と共産党の共通の祖先である”中華革命党”が大日本帝国海軍の特務機関に支援されていた関係で事実上の活動拠点が日本にあった時代があり、その時に研究が先行していた日本のテキストで学習したものと思われる。
当時の日本ではマルクス主義は禁止されていたが研究は容認されていたので、ドイツ語、英語に次いで多くの研究書が刊行されていた。
その後、犬養政権による中華革命党及びその支持者に対する弾圧、関係者の清朝への引き渡しで中華革命党の壮士は日本を離れていく。
その後、上海で産声をあげた中国共産党の幹部には日本帰りが多かった。
その後の国民党との闘争や内部の権力闘争で日本帰りは次々倒れていきソ連帰りや生え抜きに主導権を奪われていく。
”共産党”という呼称だけは残ったけど。