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間違ったものを伝えておきながら訂正は広めない、というのはどこかで似たような話があったなと思ったら、Twitterでのデマの拡散もこんな感じですね。デマは【拡散希望】という言葉にのせられて色んな人が勝手な正義感から広めますけど、それがデマだと分かった訂正ツイートは全然広がらない。マスコミだけが酷いんじゃなくて、この国の人がみんなそういう性格なんですよ。
国民性で片付けるのはいささか乱暴だけれども、即時的・直接的に自分とは無関係な情報・知識について、なんとなく気に食わないから怒り、許せないという感情だけで発言したり行動しているのは事実ですね。
当事者ですらないというのに義憤に駆られるという事そのものが可笑しい事なのだと気が付いていない。これは最近のマスコミ報道にも言えるし、市民ジャーナリズムだとかTwitterのようなメディアでも、そう「感じた」から、そうに違いない、という程度の「感覚的」な情報の流布をしている、という事実を指し示しています。まるでオピニオンを求められているかのような錯覚の元、きちんと語れるだけの知識や経験もないのにも関わらず、そういう行動をする向きが増えているわけです。つまり、人が単なる媒体になるほど、人々の中に判断基準としての知識がない、と言うことです。
当事者には間違いを間違いだと判断する知識、そして間違いを正す理由、ミスリードに怒り、慎重にならざるを得ない事情が必ずありますが、それを「義」と言うのであって、まったく関係のない立場の人間が自分の知識世界の外にある事を、自分の知識で判断することが出来ないのに、あるいは判断そのものを放棄してまで感情的になっている、という不思議な現象が起こっている。技術に明るくない上司の「逆方向に向いた不条理な指示」「良くわからないけど失敗している様子なので、とりあえず怒っている」というような例を挙げれば判りやすいかもしれません。
これは「世間で悪いとされている事」を批判することで個人的な不満を解消しようとしているんじゃないかと推測しているのですが、そのことも結論としては知識への依拠が足りていない、間違った事をしても、正しいことは誰が言っても正しいという前提に立てない、故に批判されないような世間の雰囲気に乗じていると考えているのですが。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
そういう国民性 (スコア:2, 興味深い)
間違ったものを伝えておきながら訂正は広めない、というのはどこかで似たような話があったなと思ったら、Twitterでのデマの拡散もこんな感じですね。
デマは【拡散希望】という言葉にのせられて色んな人が勝手な正義感から広めますけど、それがデマだと分かった訂正ツイートは全然広がらない。
マスコミだけが酷いんじゃなくて、この国の人がみんなそういう性格なんですよ。
オフトピついでに。 Re:そういう国民性 (スコア:2)
国民性で片付けるのはいささか乱暴だけれども、即時的・直接的に自分とは無関係な情報・知識について、なんとなく気に食わないから怒り、許せないという感情だけで発言したり行動しているのは事実ですね。
当事者ですらないというのに義憤に駆られるという事そのものが可笑しい事なのだと気が付いていない。これは最近のマスコミ報道にも言えるし、市民ジャーナリズムだとかTwitterのようなメディアでも、そう「感じた」から、そうに違いない、という程度の「感覚的」な情報の流布をしている、という事実を指し示しています。まるでオピニオンを求められているかのような錯覚の元、きちんと語れるだけの知識や経験もないのにも関わらず、そういう行動をする向きが増えているわけです。つまり、人が単なる媒体になるほど、人々の中に判断基準としての知識がない、と言うことです。
当事者には間違いを間違いだと判断する知識、そして間違いを正す理由、ミスリードに怒り、慎重にならざるを得ない事情が必ずありますが、それを「義」と言うのであって、まったく関係のない立場の人間が自分の知識世界の外にある事を、自分の知識で判断することが出来ないのに、あるいは判断そのものを放棄してまで感情的になっている、という不思議な現象が起こっている。技術に明るくない上司の「逆方向に向いた不条理な指示」「良くわからないけど失敗している様子なので、とりあえず怒っている」というような例を挙げれば判りやすいかもしれません。
これは「世間で悪いとされている事」を批判することで個人的な不満を解消しようとしているんじゃないかと推測しているのですが、そのことも結論としては知識への依拠が足りていない、間違った事をしても、正しいことは誰が言っても正しいという前提に立てない、故に批判されないような世間の雰囲気に乗じていると考えているのですが。
Re:オフトピついでに。 Re:そういう国民性 (スコア:1, すばらしい洞察)
国民性ということなら、他コメントで「報道の自由」を揶揄したものがありますが、
表裏一体のものとして「自由」には「責任」が、「権利」には「義務」が必ず伴うのに
自分に都合のいい方だけをあげつらえて面倒くさい方は我関せずという風潮が
世間全体に漂っているのが気になりますね。
今回の件も誤った報道の責任を取らない、誤りを正す義務を放棄している、等々
いわゆる成熟した大人(の組織)としての姿勢が問われるものだと思います。
Re: (スコア:0)
信用できない人を、信用したいという思いから、信用してしまう行為じゃありませんか?