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過去のストーリー「「プラシーボ効果」が年々高まっている ?」 [srad.jp]でも
米国の臨床試験で偽薬との比較が行われる「第 2 フェーズ」を通過しない新薬は 2001 年から 2006 年にかけて 20 % も上昇したという。偽薬との効果を比較したより厳しい試験が行われる「フェーズ 3」を通過しない新薬も 11 % 増えたとのこと。去年の 11 月にもパーキンソン病の新薬が、また今年の 3 月にはクローン病と統合失調症の新薬が、臨床試験において偽薬の効果が想定以上に高く、試験が中断されたそうだ。
なんて話もあったしな。もしかしたら大抵の病なんて患者の気の持ちようで結果が変わるものなのかも。
普通の二重盲検では、診察する医師は偽薬を与えられたか患者か、薬を与えられた患者か知らないと思いますけど、今回はどうだったんですかね。投薬した医師は当然患者に説明したわけだから知っていると思いますけど、診察した医師が同じだったら観察者によるバイアスもありうるんではないかな。
つまり、医者としては「偽薬だとしても効果はあるかも知れない(オモロい論文かけるかもウヒヒ)」と思いながら実験したらそこでバイアスがかかるかも。記事では「効果は無いと思っていた」とか著者のひとりが言ってますが。
でも本当だったとしたら論文でも書いてあるようですが、偽薬を与える「倫理的問題」が解決されるので、真の偽薬効果(つまり偽薬と知らせずに与えた場合)との差も知りたいところ。
>今回の実験はむしろプラシーボ効果の有無を検出するのが目的なのですから何もしなかった場合と比較するのはむしろ当然だと思うのですが。
とすると、プラシーボという薬(療法?)については、どういった方法が適切なのか?難しいかもしれない。医者にプラシーボ効果を測定しているかどうかをわからせずに、試験しないといけないので、医療行為者に対しても盲検しないとだめですよね。
ある薬について真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に本物として施薬する真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に偽薬として施薬する真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に本物として施薬する真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に偽薬として施薬する偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に本物として施薬する偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に偽薬として施薬する偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に本物として施薬する偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に偽薬として施薬する
そして、それぞれの対象として、
真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない
で比べるとかかな?
偽薬であると知らせずに本当の薬を与えるグループと説明をせずに偽薬を与えたグループがどうなるか見てみたい気がする。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
偽薬と新薬は紙一重 (スコア:4, 興味深い)
過去のストーリー「「プラシーボ効果」が年々高まっている ?」 [srad.jp]でも
なんて話もあったしな。
もしかしたら大抵の病なんて患者の気の持ちようで結果が変わるものなのかも。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:偽薬と新薬は紙一重 (スコア:2, すばらしい洞察)
論文 [plosone.org]を斜め読みしてみました。
たいていの病気、とは言えませんがすくなくともIBS(過敏性腸症候群)場合は投薬を伴わない精神療法が有効なこともあるくらいですから、プラセボであれ「何かの治療がされている」という安心感が、症状の軽快をもたらすことは充分にありうる話だな、と思いました。
IBSの重症度の評価尺度には患者の主訴(subjective=主観的症状)が大いに含まれています。客観化できる指標(下痢の頻度とかガス貯留とか)もありますが、その症状の程度には客観的に捉え難いものも含まれます。
#IBSは気の持ちようだけで治る、と言いたいわけではありません。為念。
この実験のデザインは、
・新聞紙上で「IBSの新しい治療に関する研究」に参加するよう患者を募集した。
・症状の程度はある一定の基準を満たす範囲の患者を対象とした。
・ランダムに振り分けた患者の片方には偽薬であると知らせて偽薬を与えた。対照群には何も与えなかった。
・初回、11日後、21日後に症状の変化を観察した。
となっています。
少し意地悪な見方をすると、「新しい治療」の研究に応募したのに、面接と診察だけで何も治療されずに様子を見られた対照群の患者は「実験に参加しているのに、なにもされなかった」ことはわかってしまうでしょうから、負のバイアスがかかった可能性は否定できないようにも思えます。
Re:偽薬と新薬は紙一重 (スコア:2)
普通の二重盲検では、診察する医師は偽薬を与えられたか患者か、薬を与えられた患者か知らないと思いますけど、今回はどうだったんですかね。投薬した医師は当然患者に説明したわけだから知っていると思いますけど、診察した医師が同じだったら観察者によるバイアスもありうるんではないかな。
つまり、医者としては「偽薬だとしても効果はあるかも知れない(オモロい論文かけるかもウヒヒ)」と思いながら実験したらそこでバイアスがかかるかも。記事では「効果は無いと思っていた」とか著者のひとりが言ってますが。
でも本当だったとしたら論文でも書いてあるようですが、偽薬を与える「倫理的問題」が解決されるので、真の偽薬効果(つまり偽薬と知らせずに与えた場合)との差も知りたいところ。
Re:偽薬と新薬は紙一重 (スコア:1)
論文によると今回の実験は観察者バイアスがかからないようにちゃんとデザインされているようです。
観察者(初日、11日目、21日目に症状の程度を問診、観察した人)は自分の観察対象が偽薬群なのか無投薬群なのかは知らされないで観察しています。
>真の偽薬効果(つまり偽薬と知らせずに与えた場合)との差も知りたいところ。
同感です。
Re: (スコア:0)
Re:偽薬と新薬は紙一重 (スコア:1)
>今回の実験はむしろプラシーボ効果の有無を検出するのが目的なのですから何もしなかった場合と比較するのはむしろ当然だと思うのですが。
とすると、プラシーボという薬(療法?)については、どういった方法が適切なのか?難しいかもしれない。
医者にプラシーボ効果を測定しているかどうかをわからせずに、試験しないといけないので、医療行為者に対しても盲検しないとだめですよね。
ある薬について
真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に本物として施薬する
真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に偽薬として施薬する
真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に本物として施薬する
真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に偽薬として施薬する
偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に本物として施薬する
偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に偽薬として施薬する
偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に本物として施薬する
偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に偽薬として施薬する
そして、それぞれの対象として、
真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない
真薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない
真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない
真薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない
偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない
偽薬を医者に配る;医者には本物として配る:患者に対象として何もしない
偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない
偽薬を医者に配る;医者には偽薬として配る:患者に対象として何もしない
で比べるとかかな?
Re: (スコア:0)
偽薬であると知らせずに本当の薬を与えるグループと
説明をせずに偽薬を与えたグループ
がどうなるか見てみたい気がする。