もともと国際化を意識していたわけではないので、「メインライン」という言葉も知らなければ、当時のLinuxの主要な会議である「Ottawa Linux Symposium」について名前すら知らないし、開発メーリングリストであるLKML (Linux Kernel Mailing List)も購読していないというかなりオワタ的な状態からスタートしました。語学(英語)的な課題について振り返るとき、個人的には「最初に何をどう発言(提案)すれば良いのかわからない」が一番悩んだところです。他の方のコメントで「半年ROMれ」というのがありますが、開発にかかわらず新しい世界と交流をしようとするとき、「どんな人たちがいるか」「どんなふうに話をすれば良いか」「どんな(暗黙の)ルール、あるいは文化があるか」がわからないと、発言はできません。まず、その世界を知る、知ろうとする努力が欠かせないと思います。始めてしまえば(交流が始まれば)なんとかなるのですが、最初の合流、最初の提案が、難しい、そう思います。
ということがあったので、TOMOYOの最初の提案からメインラインにマージされるまでの全提案とそのスレッドを他の人があとから読んで参考にできるようにしています(実際、読む人がいるかはわかりませんが)。それを含め、LKMLにおけるやりとりからの教訓を読みやすい形で、Japan Linux Symposium 2009で発表しています。
TOMOYO Linuxの場合 (スコア:3, 参考になる)
/.Jには、国際的なオープンソースプロジェクトで活躍されている(いた)人もいらっしゃるのではないかと思います。英語での議論は予想通りあるいは予想以上に大変でしょうか? 困難をどう克服したのでしょうか? 日本人にとって英語は永遠の課題なのでしょうか? それとも「案ずるより産むが易し」なのでしょうか? 皆様の国際プロジェクト参加初体験をお聞かせいただければ、オープンソースの将来を担うアレゲ予備軍の人々の役に立つのではないかと思います。
TOMOYOは、SF.jpのプロジェクトとして発足して、今もSF.jpで活動しています。プロジェクトの発足から、メインライン(Linux標準への提案活動)までの歩みについて、下記の資料で参照できます。
TOMOYOは、もともとは「日本で開発したものだから、日本で使ってもらえば良い」と思っており、「国際化」は全く考えてなかったのですが、CELinux ForumやYLUGなどで「Linuxの開発成果はメインラインにすべき(しろ、ごるぁ)」というご意見をいただき、そこから急遽「国際化」である「メインライン化」を目指したという経緯です。
もともと国際化を意識していたわけではないので、「メインライン」という言葉も知らなければ、当時のLinuxの主要な会議である「Ottawa Linux Symposium」について名前すら知らないし、開発メーリングリストであるLKML (Linux Kernel Mailing List)も購読していないというかなりオワタ的な状態からスタートしました。語学(英語)的な課題について振り返るとき、個人的には「最初に何をどう発言(提案)すれば良いのかわからない」が一番悩んだところです。他の方のコメントで「半年ROMれ」というのがありますが、開発にかかわらず新しい世界と交流をしようとするとき、「どんな人たちがいるか」「どんなふうに話をすれば良いか」「どんな(暗黙の)ルール、あるいは文化があるか」がわからないと、発言はできません。まず、その世界を知る、知ろうとする努力が欠かせないと思います。始めてしまえば(交流が始まれば)なんとかなるのですが、最初の合流、最初の提案が、難しい、そう思います。
ということがあったので、TOMOYOの最初の提案からメインラインにマージされるまでの全提案とそのスレッドを他の人があとから読んで参考にできるようにしています(実際、読む人がいるかはわかりませんが)。それを含め、LKMLにおけるやりとりからの教訓を読みやすい形で、Japan Linux Symposium 2009で発表しています。
Linux開発における語学(英語)の重要性についてですが、自分の経験からは、「発音や文法が多少おかしくても通じる」ので、「とにかく伝えたいことを伝える」ことが大切だと思います。日本人には「英語が弱い」という人種的?コンプレックスがありますが、英語が弱いのは日本人だけではありません(笑)。Linux界隈のネイティブの人は細かいことはいいから、主張を説明して欲しいという視点で待っているので、「これ正しいかな?」とか「伝わるかな?」とかはあまり気にしないほうが良いです。
「国際化」についてですが、実は世界はもともと国際化しているわけで、要は視点や活動範囲を自分が制限するかどうかだと思います。知らない世界や英語がメインのコミュニティと交流することは大変といえば大変ですし、疲れるといえば疲れますが、視野が広がり経験が増えます。物理的には日本という国にいても、気持ちや活動内容では、自由に世界と交流ができます。すべてがうまくいくわけはなく、時には挫折や失敗もありますし、行き詰まることもあるでしょう(TOMOYOも実際そうでした)。でも、そこには確かにそこにしかない喜びがあります。多くの人に勇気をもって踏み出して欲しい、そう思います。
tsh
Re: (スコア:0)
「TOMOYO Linux メインラインへの挑戦」と題したThink ITの記事 [thinkit.co.jp]は、熱いモノが伝わってきますね。
(メインラインとはなんぞやとか、Ottawa Linux Symposiumとかについても、この記事を読んで初めて分かりました)。
Linuxカーネルの話ですから、そんじょそこらのプロジェクトとは異なり、流れるメールの量も半端じゃないと
想像します。それを読みこなした上で、さらに自分から情報発信するのですから、英語だけでも大変だと思います。
Re:TOMOYO Linuxの場合 (スコア:3, 興味深い)
Linuxカーネルの話ですから、そんじょそこらのプロジェクトとは異なり、流れるメールの量も半端じゃないと 想像します。それを読みこなした上で、さらに自分から情報発信するのですから、英語だけでも大変だと思います。
LKMLのトラフィックは相当なものですが、通常は、関連する話題や投稿者の発言をフィルタして追いかけたり(私はGmailアカウントでTOMOYOを含むようなメッセージ以外はアーカイブにしています)、あるいは自分が投稿したメッセージの反響をモニターする(スレッド表示が不可欠でThunderbirdを使っています)などしていることが多いのではないかと思います。そのようにすると、「数」としてはそんなに多くありません。
「情報発信」のほうは、メーリングリストへの投稿や会議での発表などがありますが、元メッセージに書いたように経験がないと、何をどう書いたら良いか悩みます。メーリングリストごとの雰囲気をつかみ、「どんな人がいるのか」などをつかむには、メッセージアーカイブを読めば良いのですが、よく知っている内容や興味あるものでなければ「言うは易く」、で結構つらいと思います。とりあえず購読して、日々のメッセージを眺めながら必要に応じてアーカイブを参照するのが現実的です。会議の発表のほうは、「郷に入れば郷に従え」ではないですが、発表しようとする会議の過去の資料を参考にしながら考えるしかありません。ある程度目を通すと、おおよそのイメージがわいてきますが、「日本語で書いた資料を英訳する」というよりは、「最初から英語で考える」ほうが良いと思います。とか偉そうに書いていますが、最初にオタワで発表をしたときには、どうしても何をどう書けば良いか考えがまとまらず、手ぶらで現地入りするという恐ろしい経験をしてしまいました。今思い出しても冷や汗ものです。
「英語だけでも大変」は、否定しません。読むのも書くのも、日本語よりはるかに時間がかかりますし、英語での発表と質疑対応の難易度は高いです。ただ、「やりたいこと」あるいは「伝えたいこと」があれば、時間がかかったり思うように伝えられなくても道は開けると思います。よく「語学で上達するには、外国人の恋人を作ること」と言われますが、それと同じように自分が書いたコードや考えを知って欲しいという思い、自分のプロジェクトを知って欲しいという思いがあれば、進んでいけます。最後は情熱であり意地です。昔、聞いた話ですが、ある女性が海外に出かけてトラブルに巻き込まれたそうです。その女性は語学は強くなかったのですが、非常に頭にきて日本語でどなって文句を言っていたら、それが「なんとなく」通じて対応してもらえたという話です。その話が実話かどうかわかりませんが、そうしたことは本当にあってもおかしくないと思います。外国の人が話す片言の日本語を私たちが理解しようとするように、外国の人も私たちの話すことを理解しようとしてくれます。うまく話せるに超したことはありませんが、「伝えよう」という気持ちさえ忘れなければ伝わります。
tsh