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危険が分かってて避ける、完全に理解した上で避けないのは当たり前
「情報が正しく発表される」ということが仮に行政の言う意味で正しくても(それすら疑う人もいるだろうが)、全く科学的に正しい方法で公表されていない以上分からないから危険を避けるというのは、一番科学的な態度だと思う。
発表されているデータ一つ見ても、測定のばらつき、サンプルのばらつき、サンプルの選定方法、上限、下限、平均、分散さえ不明確で、結局最悪値を推定するための最低限の情報さえ含まれていない。それで「分からない」と言うのではなく「安全」だと言う科学者の発言が信じられる人は科学的だと言えるだろうか?
根拠となるレポートと、一般向けの要約は同時に出さない限り、それを評価している「専門家」の評価まで下げてしまうだけ。
どこが科学的なんですか?とりあえず状況が分からないから,なんとなく安全そうなものを選ぼう,と言ってるだけじゃないですか.
わからない,理解できないから,不安になっているだけではありませんか?
たとえば,政府の情報は信じられないといった発想は,実に非科学的です.そもそも情報は判断する材料であって,信じるものでは無いからです.
科学的態度を取りたいのであれば,理性を保って合理的な思考をするようにしてください.信じるものがほしいなら,なにかの宗教にもで入りましょう.
>福島のほうれん草や千葉の魚を食べないというのは、失業者の増加、国内農業・漁業の衰退、食糧自給率の低>下、等々の理由による経済の失速、まわりまわって桶屋の廃業なんかと比較して判断しなければなりません。
そうやって「判断しなければならない」行政の基準が、国民一人の判断基準と一致しなければならないとする理屈はなんだろうか?例えば、私やあなたの命と、経済の失速を天秤にかけたとき常に行政が前者を選択されると期待できるかといえば、そうではありません。国がなくなっても生きていく能力がある人ならば、仮に諸外国が日本売りに走るケースを想定しても自分や家族の命の方が重いでしょう。逆に国にぶらさがって生きている人は全く逆の判断をするかもしれません。
正しい情報統制は、個々人がそれぞれの価値観、判断基準を適用した時に、集団としてみたときにどのように振る舞うかを正しく予測して情報を与えられるという期待に基づいています。極端なケースで、「政府の言ったことしか信じない」というモデルが国民のほとんどに期待できるとき、情報統制は極めて有功です。
しかし、このような手法は、科学的な情報公開と必ずしも一致しません。本来、科学的な情報公開がなされていれば、未来予測は少しずつ精度を増していくと期待されるわけです。現在行われている最悪値の予測をわざと不可能にするような情報公開は、行政としては個々人が単一の判断に辿り着くと仮定して行われているように思いますが、現実には最悪値の科学的な予測の幅を極めて悪い状態、例えば原子炉の中の全ての核燃料が大気中の高高度まで拡散してしまった場合を想定するようなケースまで幅を広げてしまうことになるでしょう。従って、常に楽観視したいという主張と悲観的なシナリオが対立して存在し、それが株価のように日々変動するという不安定な状況を作り出してしまいます。未来予測は少しずつ精度を増していくと期待できなくなってしあうわけです。
最悪値の予測に幅をわざと与えるような情報公開は結局集団の振る舞いの予測を困難にするだけで、その困難になってしまった状態を作り出した側が、それを流言飛語だと呼ぼうものなら、混沌は増すばかりでしょう。
現在の情報発信の手法は、情報公開という立場からも、情報統制という立場からも、質が低いと思います。
こういうとき必要なのは相手の不安な気持ちを理解することですよ。その上で正しい情報を丁寧に伝えて不安を解きほぐしていくことです。
結局、全ての情報を隠蔽して不安材料を与えないというのが局所的な最適解になっちゃうんだよね。隠蔽した情報が露出すると隠蔽した事実込みで逆効果だけど、隠しきれるのであれば隠した方が効果的。
また、正しい情報を与えても相手が正しく受け取るとは限らないわけで。人は自分が信じたい情報しか信じないと言いますし。
あと正確な情報があっても情報を処理するバックグラウンドが無ければ意味が無いよね。正確な情報を誤って理解し、不安を煽る。いつもマスコミがやってることですよね。
>局、全ての情報を隠蔽して不安材料を与えないというのが局所的な最適解になっちゃうんだよね。
そんなことしてたからごらんのありさまだよ完璧な隠蔽なんで出来やしないのに、隠蔽しようとしてバレて信用落とすの繰り返し安全だ大丈夫だと繰り返しては、さらなる状況悪化正確なデータを出しているとしても、その解説の仕方がむちゃくちゃで信用はどんどん落ちていく
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
分らないから危険を避ける (スコア:3, すばらしい洞察)
危険が分かってて避ける、完全に理解した上で避けないのは当たり前
「情報が正しく発表される」ということが仮に行政の言う意味で正しくても(それすら疑う人も
いるだろうが)、全く科学的に正しい方法で公表されていない以上分からないから危険を避ける
というのは、一番科学的な態度だと思う。
発表されているデータ一つ見ても、測定のばらつき、サンプルのばらつき、
サンプルの選定方法、上限、下限、平均、分散さえ不明確で、結局最悪値を推定するための最低限の
情報さえ含まれていない。それで「分からない」と言うのではなく「安全」だと言う科学者
の発言が信じられる人は科学的だと言えるだろうか?
根拠となるレポートと、一般向けの要約は同時に出さない限り、それを評価している「専門家」
の評価まで下げてしまうだけ。
Re:分らないから危険を避ける (スコア:2, すばらしい洞察)
どこが科学的なんですか?
とりあえず状況が分からないから,なんとなく安全そうなものを選ぼう,と言ってるだけじゃないですか.
わからない,理解できないから,不安になっているだけではありませんか?
たとえば,政府の情報は信じられないといった発想は,実に非科学的です.
そもそも情報は判断する材料であって,信じるものでは無いからです.
科学的態度を取りたいのであれば,理性を保って合理的な思考をするようにしてください.
信じるものがほしいなら,なにかの宗教にもで入りましょう.
Re:分らないから危険を避ける (スコア:2, すばらしい洞察)
判断できないのに、「安全だ」というのも、「危険だ」というのも、同様に非科学的だと思います。
判断できない場合に、より安全だと思われるほうを選ぶのは、科学的ではないかもしれませんが正しい行為だと思います。
たとえば工学では安全か危険か判断できない場合は危険とみなすというのはのは当然のことです。
そもそも現象を把握するところまでが科学の領域で、その結果をもとに安全か危険かを判断するのは科学の範疇ではないと思います。
またまた工学の話ですが、安全か危険かを判断するために安全率という考え方があります。
この安全率という数字も厳密な計算で出てくるわけではなく、今までの経験で決められているようなものです。
知識や情報は科学的な考察をするための材料で、科学的な考察は判断するための材料であるといったところでしょうか。
さらに危険だと分かった場合に対処するかしないかという判断は、また別のレイヤーで行われるものです。
危険だと判断した場合に対処をするかどうかは、その危険の重大度(それが起きた時にどのくらいの被害が発生するか)、
起こりうる頻度、対処する場合のコスト等を考慮して、対処するしない、する場合はどこまで対処するかを決める必要があります。
なので、今回の場合は学校を休校にするかどうかは、それによって生じる授業の遅れなどの弊害と比較する必要がありますし、
福島のほうれん草や千葉の魚を食べないというのは、失業者の増加、国内農業・漁業の衰退、食糧自給率の低下、等々の理由による経済の失速、
まわりまわって桶屋の廃業なんかと比較して判断しなければなりません。
これらは科学で解を得られるようなものではありませんので、安全か危険かを判断しどう対処するかを決めるのは、
最終的には非科学なものになるのは当然なんじゃないかと思います。
Re:分らないから危険を避ける (スコア:2)
>福島のほうれん草や千葉の魚を食べないというのは、失業者の増加、国内農業・漁業の衰退、食糧自給率の低
>下、等々の理由による経済の失速、まわりまわって桶屋の廃業なんかと比較して判断しなければなりません。
そうやって「判断しなければならない」行政の基準が、国民一人の判断基準と一致しなければならないとする理屈はなんだろうか?例えば、私やあなたの命と、経済の失速を天秤にかけたとき常に行政が前者を選択されると期待できるかといえば、そうではありません。国がなくなっても生きていく能力がある人ならば、仮に諸外国が日本売りに走るケースを想定しても自分や家族の命の方が重いでしょう。逆に国にぶらさがって生きている人は全く逆の判断をするかもしれません。
正しい情報統制は、個々人がそれぞれの価値観、判断基準を適用した時に、集団としてみたときにどのように振る舞うかを正しく予測して情報を与えられるという期待に基づいています。極端なケースで、「政府の言ったことしか信じない」というモデルが国民のほとんどに期待できるとき、情報統制は極めて有功です。
しかし、このような手法は、科学的な情報公開と必ずしも一致しません。本来、科学的な情報公開がなされていれば、未来予測は少しずつ精度を増していくと期待されるわけです。現在行われている最悪値の予測をわざと不可能にするような情報公開は、行政としては個々人が単一の判断に辿り着くと仮定して行われているように思いますが、現実には最悪値の科学的な予測の幅を極めて悪い状態、例えば原子炉の中の全ての核燃料が大気中の高高度まで拡散してしまった場合を想定するようなケースまで幅を広げてしまうことになるでしょう。従って、常に楽観視したいという主張と悲観的なシナリオが対立して存在し、それが株価のように日々変動するという不安定な状況を作り出してしまいます。未来予測は少しずつ精度を増していくと期待できなくなってしあうわけです。
最悪値の予測に幅をわざと与えるような情報公開は結局集団の振る舞いの予測を困難にするだけで、その困難になってしまった状態を作り出した側が、それを流言飛語だと呼ぼうものなら、混沌は増すばかりでしょう。
現在の情報発信の手法は、情報公開という立場からも、情報統制という立場からも、質が低いと思います。
Re: (スコア:0)
勢いあまったのでしょうが、普通「情報」は「信じる」と表現するものですよ。
相手を馬鹿にするような無理やりな説得は逆効果です。
あなたは科学には詳しいのかもしれないですが、
人間のことはあまり分かっておられないのではないですか。
こういうとき必要なのは相手の不安な気持ちを理解することですよ。
その上で正しい情報を丁寧に伝えて不安を解きほぐしていくことです。
Re:分らないから危険を避ける (スコア:1)
結局、全ての情報を隠蔽して不安材料を与えないというのが局所的な最適解になっちゃうんだよね。
隠蔽した情報が露出すると隠蔽した事実込みで逆効果だけど、隠しきれるのであれば隠した方が効果的。
また、正しい情報を与えても相手が正しく受け取るとは限らないわけで。
人は自分が信じたい情報しか信じないと言いますし。
あと正確な情報があっても情報を処理するバックグラウンドが無ければ意味が無いよね。
正確な情報を誤って理解し、不安を煽る。いつもマスコミがやってることですよね。
Re: (スコア:0)
>局、全ての情報を隠蔽して不安材料を与えないというのが局所的な最適解になっちゃうんだよね。
そんなことしてたからごらんのありさまだよ
完璧な隠蔽なんで出来やしないのに、隠蔽しようとしてバレて信用落とすの繰り返し
安全だ大丈夫だと繰り返しては、さらなる状況悪化
正確なデータを出しているとしても、その解説の仕方がむちゃくちゃで
信用はどんどん落ちていく