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> 未来のために、我々には科学的教養のある有権者や納税者が必要なのだ。> 物を作ることができて、問題を解決できる技術者が必要なのである。
創造論者にはそれができないと言いたいんでしょうかね?未だに「論」と言わざるを得ない進化を盲目的に信じるより、少しはまともな気もしますが。
これどういう種類のジョークなの?
論にすらなってないタワゴトに無理矢理創造”論”なんて付けただけのお話よりは、進化論の方がマシだと思いますけどね。あと、盲目的に信じる、というのはどう考えても創造論の方じゃないの?進化論は物証を元に議論の対象にして検証する事が出来る(反証可能性)けど、創造論は根拠も何も無いのでそう言った検証が事実上できないし。
進化論の物証ってあるんでしたっけ?それに検証することって出来たんでしたっけ?
よく「進化は何万年という長い年月をかけて行われるから、それをずっと観察して確かめたひとはいない。したがって検証もできないし証拠もない」みたいにいうひとがいるんだよね。
そんなわけあるまい。
本家本元のダーウィンが、なぜ動物は進化するなんてことを思いついたのか。もちろん、物証があったからだ。残念ながら動物の進化を連続して捉えた数十万年に及ぶビデオ映像ではないが。
後にダーウィンは自伝で、この航海で印象に残ったことを三つ書き残している。一つは南米沿岸を移動すると、生物が少しずつ近縁と思われる種に置き換えられていく様子に気づいたこと、二つめは南米で今は生き残っていない大型の哺乳類化石を発見したこと、三つ目はガラパゴス諸島の生物の多くが南米由来と考えざるを得ないほど南米のものに似ていることだった。つまりダーウィンはこの航海を通して、南半球各地の動物相や植物相の違いから、種が独立して創られ、それ以来不変の存在だとは考えられないと感じるようになった。またダーウィンは、航海中にライエルの『地質学原理』を読み、地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化するように、動植物にもわずかな変化があり、長い時間によって蓄積されうるのではないか、また大陸の変化によって、新しい生息地ができて、生物が
なるべくわかりやすく例えてみましょう。
中が見えない箱に無数のボールが入っている。その中から無作為に一つ取り出すと、ボールは赤い色だった。もうひとつ取り出すと、またボールは赤だった。続けて100個取り出すと、全部赤だった。では、A「この箱には赤いボールだけ入っているだろう」とB「たまたま赤いボールばかり取り出されただけで、実は半分は青いボールだ」という2つの主張、どちらがもっともらしいだろうか。
「赤いボールが取り出された」という観測結果はまさに「証拠」です。もしB説が正しければ、最初に赤いボールが出る確率は50%。2連続なら25%とどんどん小さく
創造論は、そこに「わたしがこの箱を作って同じ数の青と赤のボールを入れました。」という人物が現れるわけですよ。創造論者はその人の言うこと、どうやって箱を作ってどんなボールを入れたのかという説明を聞いてそれを信じ、進化論者はその人の言うことは聞く価値がない、根拠がないと主張して自分の観察した確率だけを考える。
科学にとって(将来にとって)必要なのは、次に取り出すボールが何かを推論する能力ですよね。
取り出されたボールには確かに偏りがあるわけですから、ひょっとしたら取り出し口近くには赤のボールが偏ってるのかもしれない。それで、「創造論者」であっても次に出るボールが赤だと確信し、それに従って決定していくことには矛盾はない。赤しか入ってないと信じる「進化論者」と本質的な理解は異なれど、信じることもその結果も同じなのだから。
そう考えると、進化論を「真実」と信じない創造論者がいようとも、我々の将来を託す面では何も問題ないことになる。
子どもたちには我々が進化を歴史の真実として信じる理由を教え、同時に創造論の考えについても教えればいい。どちらを信じようと、有能な人にとって、科学的手法により問題を解決し新たな真実を見出す科学者になることには支障はないでしょう。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
ちょっと違うんじゃない? (スコア:-1)
> 未来のために、我々には科学的教養のある有権者や納税者が必要なのだ。
> 物を作ることができて、問題を解決できる技術者が必要なのである。
創造論者にはそれができないと言いたいんでしょうかね?
未だに「論」と言わざるを得ない進化を盲目的に信じるより、少しはまともな気もしますが。
Re: (スコア:1)
これどういう種類のジョークなの?
論にすらなってないタワゴトに無理矢理創造”論”なんて付けただけのお話よりは、進化論の方がマシだと思いますけどね。
あと、盲目的に信じる、というのはどう考えても創造論の方じゃないの?
進化論は物証を元に議論の対象にして検証する事が出来る(反証可能性)けど、創造論は根拠も何も無いのでそう言った検証が事実上できないし。
Re: (スコア:0)
進化論の物証ってあるんでしたっけ?
それに検証することって出来たんでしたっけ?
Re: (スコア:0)
よく「進化は何万年という長い年月をかけて行われるから、それをずっと観察して確かめたひとはいない。
したがって検証もできないし証拠もない」みたいにいうひとがいるんだよね。
そんなわけあるまい。
本家本元のダーウィンが、なぜ動物は進化するなんてことを思いついたのか。
もちろん、物証があったからだ。残念ながら動物の進化を連続して捉えた数十万年に及ぶビデオ映像ではないが。
後にダーウィンは自伝で、この航海で印象に残ったことを三つ書き残している。一つは南米沿岸を移動すると、生物が少しずつ近縁と思われる種に置き換えられていく様子に気づいたこと、二つめは南米で今は生き残っていない大型の哺乳類化石を発見したこと、三つ目はガラパゴス諸島の生物の多くが南米由来と考えざるを得ないほど南米のものに似ていることだった。つまりダーウィンはこの航海を通して、南半球各地の動物相や植物相の違いから、種が独立して創られ、それ以来不変の存在だとは考えられないと感じるようになった。またダーウィンは、航海中にライエルの『地質学原理』を読み、地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化するように、動植物にもわずかな変化があり、長い時間によって蓄積されうるのではないか、また大陸の変化によって、新しい生息地ができて、生物が
Re: (スコア:0)
私も創造論者ではないつもりです。
ただ、いくら読んでも
>化石は?
>炭素年代測定法は?
>宇宙背景放射は?
これらについて仰るところの「証拠」が、ピサの斜塔から落とした鉄球と木球が同時に落下したのを見て「鉄球だけに下から風が吹いていた可能性は否定出来ない」と主張するようなものとどう違うのか分かりませんでした。
Re: (スコア:0)
なるべくわかりやすく例えてみましょう。
中が見えない箱に無数のボールが入っている。
その中から無作為に一つ取り出すと、ボールは赤い色だった。もうひとつ取り出すと、またボールは赤だった。
続けて100個取り出すと、全部赤だった。
では、A「この箱には赤いボールだけ入っているだろう」と
B「たまたま赤いボールばかり取り出されただけで、実は半分は青いボールだ」という2つの主張、
どちらがもっともらしいだろうか。
「赤いボールが取り出された」という観測結果はまさに「証拠」です。
もしB説が正しければ、最初に赤いボールが出る確率は50%。2連続なら25%とどんどん小さく
Re:ちょっと違うんじゃない? (スコア:0)
創造論は、そこに「わたしがこの箱を作って同じ数の青と赤のボールを入れました。」という人物が現れるわけですよ。
創造論者はその人の言うこと、どうやって箱を作ってどんなボールを入れたのかという説明を聞いてそれを信じ、
進化論者はその人の言うことは聞く価値がない、根拠がないと主張して自分の観察した確率だけを考える。
科学にとって(将来にとって)必要なのは、次に取り出すボールが何かを推論する能力ですよね。
取り出されたボールには確かに偏りがあるわけですから、ひょっとしたら取り出し口近くには赤のボールが偏ってるのかもしれない。
それで、「創造論者」であっても次に出るボールが赤だと確信し、それに従って決定していくことには矛盾はない。
赤しか入ってないと信じる「進化論者」と本質的な理解は異なれど、信じることもその結果も同じなのだから。
そう考えると、進化論を「真実」と信じない創造論者がいようとも、我々の将来を託す面では何も問題ないことになる。
子どもたちには我々が進化を歴史の真実として信じる理由を教え、同時に創造論の考えについても教えればいい。
どちらを信じようと、有能な人にとって、科学的手法により問題を解決し新たな真実を見出す科学者になることには支障はないでしょう。
Re: (スコア:0)
「あなたがこの箱を作って同じ数の青と赤のボールを入れた証拠を見せてください。たとえばあなたがボールを入れたときの記念写真とか。ボールを仕入れたときの領収証とか。」って言うんじゃないでしょうか。