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最近は何でもかんでも何かの一つ覚えのようにコミュニケーション能力って一括りにしすぎなんですよね。
無口で社交性が低くても、一緒に仕事が出来るタイプってのは結構いる。理系もさることながら、ガテン系でも体育会系でも、積極的に人とコミュニケートしない人も普通にいるし。一人が好きな人もいる。正直、たいていの場合はそれらは個性の範疇。寧ろいろいろなタイプの人がいた方が円滑に仕事が出来るし職場が回る。それで職場を回せない上司・同僚の方が寧ろコミュニケーション能力がない。
同様のタイプでコミュニケーション取れるのは当たり前。そんなものはコ
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
一括りにしすぎ (スコア:3, 興味深い)
最近は何でもかんでも何かの一つ覚えのようにコミュニケーション能力って一括りにしすぎなんですよね。
無口で社交性が低くても、一緒に仕事が出来るタイプってのは結構いる。理系もさることながら、ガテン系でも体育会系でも、積極的に人とコミュニケートしない人も普通にいるし。一人が好きな人もいる。正直、たいていの場合はそれらは個性の範疇。寧ろいろいろなタイプの人がいた方が円滑に仕事が出来るし職場が回る。それで職場を回せない上司・同僚の方が寧ろコミュニケーション能力がない。
同様のタイプでコミュニケーション取れるのは当たり前。そんなものはコ
Re:一括りにしすぎ (スコア:1)
これが本当なら、「いじめられっこタイプ」だから能力がないんじゃなくて
能力がない(もしくは能力がないと思い込んでいる)からオドオドしてしまう
と考える方が妥当だと思うんですよね。
この因果関係の取り違えで問題なのは
「いじめられっこタイプ」かどうかで能力の有無を測れると思ってしまうことですよね。
相関はあるので一概に間違いでもないんですけど、より適切な指標を見落としてしまう可能性があります。
これはひろゆきが警鐘を鳴らしていることの一例になるかと。