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30半ばの俺の場合、高校時代、まわりは当たり前に読んでいた。俺は数年前に初めて読んだけど、それほど面白いとは思わなかった。知人の一人に何が面白いのか聞いたら、連載誌(ジャンプだっけ)が大手だったからじゃね?と言われたが、いまいちよく分からん。
この際だから教えてもらいたいが、あ~るの面白いところ、魅力って何? そういうものがなくて、上記のような単なる外的要因でもいいが。
タレコミ文にある「サークル系マンガ」ってのが多分好みの分かれる要因なんだろうな。同様の弱小部がガッコのすみっこでどたばたやるマンガとして「1,2の三四郎」があったけどあれは古きよき熱血漫画の最後のあがきみたいなところがあった。文化系部活が題材になってても、話のつくりが昔のまんまだったり。あ~るはどうもこれまでのマンガとは「出自が違う」感があって、けど当時まだそういうマンガはなかったから、そういうのが好きな人がわあっと食いついたような。考えてみりゃおたくなんて言葉が浸透してきた頃で、文化部でマッタリが日常だった子たちにはドツボだったんじゃないかな。(逆に「あしたのジョー」マンセーの梶原一騎脳には全く受け付けられないところがあったような)
けどまあ、経緯とか元ネタがどーとか抜きにしても、普通におもしろいマンガじゃね?とオレも去年マン喫で読み直した時思ったけどね。
以下オフトピだが、あだち充が「軽薄な主人公がなぜか女にモテまくるようなクソマンガ」なんて叩かれてた時代だったんだよな。「タッチ」「うる星やつら」「炎の転校生」「うしおととら」そして「あ~る」と、当時のサンデーの「新しさ」は今考えても異常だよ。
「内輪ウケをメジャーにした元祖」なんだそうだ。(誰の評論か忘れた)
あの当時は、内輪ウケを作品にしてはいけないという風潮があって、コアな面白さとかニッチ需要を軽視していた世間にコアな面白さをメジャーで表現した「あ~る」がウケた。
あの頃のサンデーは新しさが売りで、その斬新さが面白かったってのはあると思う。だから、あ~るの亜流を散々読んだ若人が今さら元祖を読んでも分からない。TO-Y(トーイ)あたりもオシャレマンガの先がけだったなあ。安野モヨコとか矢沢あいとかのオサレ作風はTO-Yの系統だよね。
近ごろはニッチだったはずの、ヲタとか、萌えとか、ロリとか、ショタとか、腐とか、ミリとか、鉄とか、擬人化とか、以下略で商売する時代になっちゃったけどねー。
『石森マンガ学園』 [fc2.com]とかもうちょっと後の世代のマンガ家向けに少年漫画家の第一人者が執筆したマンガの描き方の著作だったかで内輪ウケ、楽屋オチを戒めていたのではなかったかなあ。そういう著作の影響が大きかったんでしょうね。そして、そういう縛りがあれば、そこそこ有効に働いていればこそ、打ち破って新しい作風で脚光を浴びる改革者もいるということで。
あの時代の、マンガ賞とか公募小説とかの論評で、内輪ウケはやめましょう、楽屋オチ禁止って、耳タコレベルでしたね。
それが今や、完全楽屋オチの「けいおん」が大ヒットする時代ですよ。
もし、無名のゆうきまさみが「あ~る」を出版者に持ち込んでいたら、門前払いが関の山で、雑誌に掲載されたか甚だ疑問です。outからスカウトされたゆうきまさみは、持ち込みの新人よりジャンルの自由度が高かったんでしょう。
オサレ作風ってのは少女マンガ(というかレディコミックか?)からの輸入のような気がする。#それを少年マンガに持ち込んだのは新しいと思うけど
そういえば、ラブコメ関係も少女マンガからの輸入の部分が大きい気がするねぇ
当時楽屋落ちてんこ盛りのひょうきん族ってお化け番組があって、時代的に楽屋落ちが受け容れられつつあったところに出てきた感じです。もちろんひょうきん族が代表的なだけで主に当時のフジテレビがおそらく意識的に楽屋落ちを前面に出していたように思えます。
漫画でそれをやった作品を見たことがなかったのでとても新鮮に思ったことを覚えています。いや探せばあるんでしょうけど、これだけ大々的に押し出してきた作品は知ってる限りありませんでした。
「感じです」「思えます」ってのはロクに検証もせずうろ覚えで書いているからです。でも同時代の空気を吸っていた人たちにはある程度共感してもらえる気がしています。
すまんが時系列がだいぶ乱れてるよーな…。あ~るの時代に「おたく」なんて無かったような。うしおととらはだいぶ後じゃね?
>あ~るの時代に「おたく」なんて無かったような。一応「おたく」という言葉が使われ出したころだけどあくまでも侮蔑的な意味の使われ方で今の使われ方とは違ってましたね。
話し相手に「おたく」と呼びかける用法を使う人たちをひとくくりして「おたく」と呼ぶようになった。あ~るの連載は1985年開始か。それより前の時点で川原由美子は別コミ連載中のマンガで「おたくの大行進」などという言い回ししていたなあ。
話し相手に「おたく」というのはわたしが知る範囲ではさらに溯って昭和40年代に赤塚不二夫が週刊少年マガジンか週刊少年サンデーに連載していたマンガの脇役・端役登場人物が使っていた覚えがあります。それが赤塚不二夫発となるきっかけか社会観察の結果赤塚不二夫が作中で使ったのかは知りませんけど。
「おたく族」なる言葉を生み出したのは中森明夫 [wikipedia.org]だというのが一応の定説になっていますが、彼がその言葉を使い出したのが1983年のことだそうです(リンク先参照)。当時はあからさまな蔑称でした。現在でもそのニュアンスがかなり残っていますよね。
てかさー、自分だって「中森明夫」なんてキモいペンネームつけといてそりゃないんじゃないのwとは思います。
なのでその手の人たちを指す「おたく」という言葉はあ〜るの連載開始時には既にありました。
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
どこが面白いの? (スコア:1)
30半ばの俺の場合、高校時代、まわりは当たり前に読んでいた。俺は数年前に初めて読んだけど、それほど面白いとは思わなかった。知人の一人に何が面白いのか聞いたら、連載誌(ジャンプだっけ)が大手だったからじゃね?と言われたが、いまいちよく分からん。
この際だから教えてもらいたいが、あ~るの面白いところ、魅力って何? そういうものがなくて、上記のような単なる外的要因でもいいが。
Re:どこが面白いの? (スコア:1)
タレコミ文にある「サークル系マンガ」ってのが多分好みの分かれる要因なんだろうな。
同様の弱小部がガッコのすみっこでどたばたやるマンガとして「1,2の三四郎」があったけど
あれは古きよき熱血漫画の最後のあがきみたいなところがあった。
文化系部活が題材になってても、話のつくりが昔のまんまだったり。
あ~るはどうもこれまでのマンガとは「出自が違う」感があって、
けど当時まだそういうマンガはなかったから、そういうのが好きな人がわあっと食いついたような。
考えてみりゃおたくなんて言葉が浸透してきた頃で、
文化部でマッタリが日常だった子たちにはドツボだったんじゃないかな。
(逆に「あしたのジョー」マンセーの梶原一騎脳には全く受け付けられないところがあったような)
けどまあ、経緯とか元ネタがどーとか抜きにしても、普通におもしろいマンガじゃね?と
オレも去年マン喫で読み直した時思ったけどね。
以下オフトピだが、
あだち充が「軽薄な主人公がなぜか女にモテまくるようなクソマンガ」なんて叩かれてた時代だったんだよな。
「タッチ」「うる星やつら」「炎の転校生」「うしおととら」そして「あ~る」と、
当時のサンデーの「新しさ」は今考えても異常だよ。
Re: (スコア:0)
「内輪ウケをメジャーにした元祖」なんだそうだ。(誰の評論か忘れた)
あの当時は、内輪ウケを作品にしてはいけないという風潮があって、
コアな面白さとかニッチ需要を軽視していた世間に
コアな面白さをメジャーで表現した「あ~る」がウケた。
あの頃のサンデーは新しさが売りで、その斬新さが面白かったってのはあると思う。
だから、あ~るの亜流を散々読んだ若人が今さら元祖を読んでも分からない。
TO-Y(トーイ)あたりもオシャレマンガの先がけだったなあ。
安野モヨコとか矢沢あいとかのオサレ作風はTO-Yの系統だよね。
近ごろはニッチだったはずの、
ヲタとか、萌えとか、ロリとか、ショタとか、腐とか、ミリとか、鉄とか、擬人化とか、以下略
で商売する時代になっちゃったけどねー。
Re:どこが面白いの? (スコア:1)
『石森マンガ学園』 [fc2.com]とかもうちょっと後の世代のマンガ家向けに少年漫画家の第一人者が執筆したマンガの描き方の著作だったかで内輪ウケ、楽屋オチを戒めていたのではなかったかなあ。そういう著作の影響が大きかったんでしょうね。
そして、そういう縛りがあれば、そこそこ有効に働いていればこそ、打ち破って新しい作風で脚光を浴びる改革者もいるということで。
Re: (スコア:0)
あの時代の、マンガ賞とか公募小説とかの論評で、
内輪ウケはやめましょう、楽屋オチ禁止って、耳タコレベルでしたね。
それが今や、完全楽屋オチの「けいおん」が大ヒットする時代ですよ。
もし、無名のゆうきまさみが「あ~る」を出版者に持ち込んでいたら、
門前払いが関の山で、雑誌に掲載されたか甚だ疑問です。
outからスカウトされたゆうきまさみは、
持ち込みの新人よりジャンルの自由度が高かったんでしょう。
Re: (スコア:0)
オサレ作風ってのは少女マンガ(というかレディコミックか?)からの輸入のような気がする。
#それを少年マンガに持ち込んだのは新しいと思うけど
そういえば、ラブコメ関係も少女マンガからの輸入の部分が大きい気がするねぇ
Re: (スコア:0)
当時楽屋落ちてんこ盛りのひょうきん族ってお化け番組があって、
時代的に楽屋落ちが受け容れられつつあったところに出てきた感じです。
もちろんひょうきん族が代表的なだけで主に当時のフジテレビがおそらく意識的に
楽屋落ちを前面に出していたように思えます。
漫画でそれをやった作品を見たことがなかったのでとても新鮮に思ったことを覚えています。
いや探せばあるんでしょうけど、これだけ大々的に押し出してきた作品は知ってる限りありませんでした。
「感じです」「思えます」ってのはロクに検証もせずうろ覚えで書いているからです。
でも同時代の空気を吸っていた人たちにはある程度共感してもらえる気がしています。
Re: (スコア:0)
すまんが時系列がだいぶ乱れてるよーな…。
あ~るの時代に「おたく」なんて無かったような。
うしおととらはだいぶ後じゃね?
Re:どこが面白いの? (スコア:1)
>あ~るの時代に「おたく」なんて無かったような。
一応「おたく」という言葉が使われ出したころだけどあくまでも侮蔑的な意味の使われ方で
今の使われ方とは違ってましたね。
らじゃったのだ
Re:どこが面白いの? (スコア:1)
話し相手に「おたく」と呼びかける用法を使う人たちをひとくくりして「おたく」と呼ぶようになった。
あ~るの連載は1985年開始か。それより前の時点で川原由美子は別コミ連載中のマンガで「おたくの大行進」などという言い回ししていたなあ。
話し相手に「おたく」というのはわたしが知る範囲ではさらに溯って昭和40年代に赤塚不二夫が週刊少年マガジンか週刊少年サンデーに連載していたマンガの脇役・端役登場人物が使っていた覚えがあります。それが赤塚不二夫発となるきっかけか社会観察の結果赤塚不二夫が作中で使ったのかは知りませんけど。
Re: (スコア:0)
「おたく族」なる言葉を生み出したのは中森明夫 [wikipedia.org]だというのが一応の定説になっていますが、
彼がその言葉を使い出したのが1983年のことだそうです(リンク先参照)。
当時はあからさまな蔑称でした。現在でもそのニュアンスがかなり残っていますよね。
てかさー、自分だって「中森明夫」なんてキモいペンネームつけといてそりゃないんじゃないのw
とは思います。
なのでその手の人たちを指す「おたく」という言葉はあ〜るの連載開始時には既にありました。