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他の人も書いていたけど、ベトナムは所詮他人の国。実際に戦場にいった人たちは長い間その後遺症に(肉体的・精神的双方)苦しめられてきたけど、本土にいた普通の国民にしてみれば「負けた」という情報があるだけ、隣人や恋人がついに帰ってこなかっただけ。戦争の被害というものをリアルに体験することはほとんどなかった。
今回のテロが「真珠湾以来」と語られることに一日本人としては「戦争とテロをいっしょにするな」とか渋い顔をしたくなるところではあるのですが、しかしアメリカの普通の市民が「次は自分かもしれない」という恐怖を体験したというのは、本当にそれくらい久しぶりの話なのでしょうな。本当は真珠湾の後に日本軍がフロリダ空襲に成功してるはずだけど、ほとんど影響なかったみたいだし(笑)。
で、実は20世紀という総力戦の時代に「自分たちの周囲が戦場になる」「いつ私が傷つくかわからない」という経験をしなかったのって、主要国ではほとんどアメリカとカナダだけではないかと。日本やイギリスはほとんど空爆だからだいぶましな方だけど、それでも民間人=普通の市民から大量の犠牲者を出した。ドイツやフランス、ソビエトや中国はまさに自分の郷土が戦場になった。なのにアメリカだけは、戦争の不条理さを出征した兵士に押し付けて、市民は「情報としての戦争」を享受できていたわけ。
アメリカの政策に「被害者への意識」がないように思われるのって、そういうことが原因じゃないのかな、と思うときがあるわけです。自分の国に爆弾が落とされたらどう思うか、いくら悪の独裁者を倒すためという名目があっても、いきなり他の国の武装ヘリが攻めてきたら普通の市民がどう思うか。そういうことへの想像力が欠けているのは、やっぱり自分たちがそういう仕打ちを受けた記憶がないからなのかな、と。傷つきやすさ(可傷性)の感覚がないことが、アメリカの政策が反発を招く一つの原因になっているのかな、と。
もちろんテロは許されるべきではないし、私はアメリカが今回のテロの実行者に報復を加えることを支持しますが(支援国の一般市民に、ではないよ)、しかしせめて、この事件を契機にアメリカという国が「傷つきやすさ」への感覚を持てるようになれば、この事件にも若干の意味があったのかなと思っています。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
私は今回の卑劣なテロ行為を強く糾弾します (スコア:2, すばらしい洞察)
他の人も書いていたけど、ベトナムは所詮他人の国。実際に戦場にいった人たちは長い間その後遺症に(肉体的・精神的双方)苦しめられてきたけど、本土にいた普通の国民にしてみれば「負けた」という情報があるだけ、隣人や恋人がついに帰ってこなかっただけ。戦争の被害というものをリアルに体験することはほとんどなかった。
今回のテロが「真珠湾以来」と語られることに一日本人としては「戦争とテロをいっしょにするな」とか渋い顔をしたくなるところではあるのですが、しかしアメリカの普通の市民が「次は自分かもしれない」という恐怖を体験したというのは、本当にそれくらい久しぶりの話なのでしょうな。本当は真珠湾の後に日本軍がフロリダ空襲に成功してるはずだけど、ほとんど影響なかったみたいだし(笑)。
で、実は20世紀という総力戦の時代に「自分たちの周囲が戦場になる」「いつ私が傷つくかわからない」という経験をしなかったのって、主要国ではほとんどアメリカとカナダだけではないかと。日本やイギリスはほとんど空爆だからだいぶましな方だけど、それでも民間人=普通の市民から大量の犠牲者を出した。ドイツやフランス、ソビエトや中国はまさに自分の郷土が戦場になった。なのにアメリカだけは、戦争の不条理さを出征した兵士に押し付けて、市民は「情報としての戦争」を享受できていたわけ。
アメリカの政策に「被害者への意識」がないように思われるのって、そういうことが原因じゃないのかな、と思うときがあるわけです。自分の国に爆弾が落とされたらどう思うか、いくら悪の独裁者を倒すためという名目があっても、いきなり他の国の武装ヘリが攻めてきたら普通の市民がどう思うか。そういうことへの想像力が欠けているのは、やっぱり自分たちがそういう仕打ちを受けた記憶がないからなのかな、と。傷つきやすさ(可傷性)の感覚がないことが、アメリカの政策が反発を招く一つの原因になっているのかな、と。
もちろんテロは許されるべきではないし、私はアメリカが今回のテロの実行者に報復を加えることを支持しますが(支援国の一般市民に、ではないよ)、しかしせめて、この事件を契機にアメリカという国が「傷つきやすさ」への感覚を持てるようになれば、この事件にも若干の意味があったのかなと思っています。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
Takehiro OHYA