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しばらくは治療が不可能のままでも、財産を誰に任せるとか、終末医療はどうするとか、遺書とかを、おかしくなる前に自分の意志で決められることが大きいと思う。
でも、アルツハイマーの告知ってのも怖いだろうな。余命云々とはずいぶん違うし、後始末つけて自殺する人が多いかも。
異論はいくらでもあるんだろうけど、俺は自殺する人間が増えるのは悪いことではないと思う。知性を喪失した人間を殺せとまでは言わないけど、そうなって誰かに多大な迷惑をかけてまで生きながらえるのは勘弁だな。
まあ、結婚してないやつの面倒なんか、そもそも誰も見てくれないけど。
それはありますね。
「このくらいまでアルツハイマーの症状が進行したら、自分を安楽死させてください」という書類を、本人の意志で残しておけるのは良いことなのかもしれない。
「このくらいまでアルツハイマーの症状が進行したら、自分を安楽死させてください」
日本だと安楽死制度の合法化もしなければなりませんね。人権がどうのこうのとか言う前にもっと現実的な問題があるはずなのに、どうして世間は論理よりも倫理を優先するかなぁ
安楽死という選択肢がふえるのはとてもいい事です。人はみな、自分の生命についての自己決定権をもっていますからね。
そして人権も大切です。あなたや私が個人として尊重され、その自由を守られているのは人権のおかげなのですから。
さて、安楽死(最近はメディアは尊厳死と呼ぶ事が多い)については本人の意志以外にもいろいろと問題があるんですよ。それは「安楽死が可能なのになぜお前は生きてるんだ?」という圧力が生まれるということです。近年言われている尊厳死は医療費削減の一つの手段として導入が図られているのでなおさら。
あなたが「安楽死したい」という自由を行使すると他のまだ生きていたい患者(それは私や私の家族かも知れません)が「ああ、これは重症だ。もちろん安楽死しますよね?」と医師に言われかねない現実を危惧して様々な方面から議論がなされているわけです。軽々に決めていいことじゃないんですから。
これは別に杞憂ではないですよ。http://synodos.livedoor.biz/archives/1981328.html?_f=jp [livedoor.biz]
「米国オレゴン州では、がん患者に対して「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める」という趣旨の通知が届く」
「オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関が存在しないという。そのため、今年2月にオーストリアで休暇中に事故で脳損傷を負った同国の王子は自国ではなく英国に運ばれ、現在も意識不明のままロンドンの病院で治療を受けている。安楽死が合法化された国に一定年齢以上の脳損傷を治療する医療機関が存在しない、というのは一体どういうことを意味するのだろう。」
そんなわけで、尊厳死を認めている国では医者が面倒な重症患者を延命させるよりも死なせるインセンティブのほうが高くなってしまうんですよ。んだもんで、「安楽死したい」という自由を認めるには他の生きたい人の自由をどのように守るか、という政策を同時に行わないと悪夢のような結末になっちゃうのですな。
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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
財産とか遺書とか (スコア:2)
しばらくは治療が不可能のままでも、
財産を誰に任せるとか、終末医療はどうするとか、遺書とかを、
おかしくなる前に自分の意志で決められることが大きいと思う。
Re: (スコア:0)
でも、アルツハイマーの告知ってのも怖いだろうな。
余命云々とはずいぶん違うし、後始末つけて自殺する人が多いかも。
Re: (スコア:1)
異論はいくらでもあるんだろうけど、
俺は自殺する人間が増えるのは悪いことではないと思う。
知性を喪失した人間を殺せとまでは言わないけど、
そうなって誰かに多大な迷惑をかけてまで生きながらえるのは勘弁だな。
まあ、結婚してないやつの面倒なんか、そもそも誰も見てくれないけど。
Re: (スコア:1)
それはありますね。
「このくらいまでアルツハイマーの症状が進行したら、自分を安楽死させてください」
という書類を、本人の意志で残しておけるのは良いことなのかもしれない。
Re: (スコア:0)
日本だと安楽死制度の合法化もしなければなりませんね。
人権がどうのこうのとか言う前にもっと現実的な問題があるはずなのに、どうして世間は論理よりも倫理を優先するかなぁ
倫理はとても大切よ (スコア:5, 参考になる)
日本だと安楽死制度の合法化もしなければなりませんね。
人権がどうのこうのとか言う前にもっと現実的な問題があるはずなのに、どうして世間は論理よりも倫理を優先するかなぁ
安楽死という選択肢がふえるのはとてもいい事です。
人はみな、自分の生命についての自己決定権をもっていますからね。
そして人権も大切です。あなたや私が個人として尊重され、その自由を守られているのは人権のおかげなのですから。
さて、安楽死(最近はメディアは尊厳死と呼ぶ事が多い)については本人の意志以外にもいろいろと問題があるんですよ。
それは「安楽死が可能なのになぜお前は生きてるんだ?」という圧力が生まれるということです。
近年言われている尊厳死は医療費削減の一つの手段として導入が図られているのでなおさら。
あなたが「安楽死したい」という自由を行使すると他のまだ生きていたい患者(それは私や私の家族かも知れません)が「ああ、これは重症だ。もちろん安楽死しますよね?」と医師に言われかねない現実を危惧して様々な方面から議論がなされているわけです。
軽々に決めていいことじゃないんですから。
これは別に杞憂ではないですよ。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1981328.html?_f=jp [livedoor.biz]
「米国オレゴン州では、がん患者に対して「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める」という趣旨の通知が届く」
「オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関が存在しないという。そのため、今年2月にオーストリアで休暇中に事故で脳損傷を負った同国の王子は自国ではなく英国に運ばれ、現在も意識不明のままロンドンの病院で治療を受けている。安楽死が合法化された国に一定年齢以上の脳損傷を治療する医療機関が存在しない、というのは一体どういうことを意味するのだろう。」
そんなわけで、尊厳死を認めている国では医者が面倒な重症患者を延命させるよりも死なせるインセンティブのほうが高くなってしまうんですよ。
んだもんで、「安楽死したい」という自由を認めるには他の生きたい人の自由をどのように守るか、という政策を同時に行わないと悪夢のような結末になっちゃうのですな。