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自閉症は、ちょっと前ならば引きこもりと勘違いされ、昨今では一部の(正に)突出したアスペルガー症候群やサバン症候群の「天才」のイメージに引きずられてしまってまた変なイメージがついてしまっている。自閉症全般でいえば、例えばIQは標準偏差が大きく、平均値は低い値をとり、その中でIQが目立って低くないものをざっくりとアスペルガーなり高機能自閉症なりと呼ぶ。ただし、そのコミュニケーション能力やら何やらといったものは、もちろん境目のあるものではなく、連続性のある状態であるため「スペクトラム」という言い方もする。さて、そうやって「高位」抽出された群の中にあっても、別に「天才」が多いわけではない。むしろ「得意な事がポラライズされた状態」になっているだけで、苦手なものは、苦手だ。その「得意な事」が「社会」にとって価値あるものならば持ち上げられるし、そうでないなら無視される。その「特性」が異なる事により「社会的な評価」は異なってくる。かつて(最近の事は知らないので、昔のニュースから)、ユニクロでは自閉症者を「特に」採用したことがあった。その理由はもちろん補助金なり何なりの経済的な理由もあろうが、表向きはその「特性」で、「周囲との駆け引きによる当意即妙な反応」が要求されないような、予め定まったルールや明文化されたマニュアルに従った行動の形式が馴染むような労務に親和性が高い人が多い、という性質を「活用」しようと考えた。そこで、ユニクロは「客が乱して戻した服を綺麗にたたんで棚に戻す」ような職務を彼らに与えた。これはなかなかの見識である。「一般人」からすれば、「仕事」もっといえば、社会全般における「人間の価値」は「コミュニケーション能力」という単一の尺度で捉えられがちで、コミュニケーション能力の「有無」(本来、バイナリなものではないと思うのだが)で他人を「評価」することが通例となっている。ところが、実際の仕事には物凄く広い幅があり、営業や交渉といったコミュニケーション能力が高い者が高いパフォーマンスを出す業務もあれば、決められたルールに従って淡々と仕事をこなすことが高いパフォーマンスを出す業務も、仕様に従って淡々と効率を追求し新たな様式を「発見」する業務もある。そうした「コミュニケーション能力の占める部分が小さい業務」に携わる人にまで「一般人」のスキルを要求するのはオーバースペックでもあり、また「一般人」がそのような業務についた場合は「持ち合わせの生かせないコミュニケーション能力を持て余すことの不満」も出てくる。そうした不満は、労働意欲にも直結していくものである。実際の業務には「能力要素の幅」がある、という現実に即した人事配置というものは、それこそ企業にとっては「当たり前の」なすべき事の一つでもあり、その観点からいえば(もともと自閉症というのはスペクトラム的存在であるから)ことさらに「自閉症/ちがう」と分けて云々するのは根本的な間違いともいえる。視覚障害者の人を、運転業務や視認での検査業務に雇わず、またそうした能力を「費用と時間をかけて」「通常人のように」訓練させて視認業務に適応させようとはしない。そうした人たちを、より鋭敏な聴覚などの感覚に適応する打音や嗅覚による検査に配置するのは、ごく当たり前のことである。
つまり、金の卵を産むニワトリなら喜んで飼うけど、そうでなかったら放り出すってことだな。w
自閉症で、一部の能力が尋常でないほど優れている人なんて、実際には滅多にいない。金の卵なんていない。
ただ、一部の能力に限れば普通の人より得意、といった程度の人は多い。そういった人を雇用するというのなら、それは評価するべき企業。営利企業ではやはりリスクのある行為なのだから。
もちろん、一定以上の規模の企業なら、規模に応じて障碍者を雇用する義務があるわけだから、それを越えて雇用しようという話。
精神障害、知的障害の者の雇用状況なんて、考えたこともなさそうだね。家族会が自ら作業所を作っても、収入はわずかで、保護者は自身の死後、彼らがどうなるのか、常に心を痛めている。
ホームレスの3割くらいが精神障害者だって話です。まあそうなっちゃうよね・・・・
世の中ってそういうものでしょう?民間企業がやる事業であって、公共の福祉じゃないのだから。
#間違いなく世間知らずの私がそう云います。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
自閉症と業務 (スコア:0)
自閉症は、ちょっと前ならば引きこもりと勘違いされ、昨今では一部の(正に)突出したアスペルガー症候群やサバン症候群の「天才」のイメージに引きずられてしまってまた変なイメージがついてしまっている。
自閉症全般でいえば、例えばIQは標準偏差が大きく、平均値は低い値をとり、その中でIQが目立って低くないものをざっくりとアスペルガーなり高機能自閉症なりと呼ぶ。ただし、そのコミュニケーション能力やら何やらといったものは、もちろん境目のあるものではなく、連続性のある状態であるため「スペクトラム」という言い方もする。
さて、そうやって「高位」抽出された群の中にあっても、別に「天才」が多いわけではない。むしろ「得意な事がポラライズされた状態」になっているだけで、苦手なものは、苦手だ。その「得意な事」が「社会」にとって価値あるものならば持ち上げられるし、そうでないなら無視される。その「特性」が異なる事により「社会的な評価」は異なってくる。
かつて(最近の事は知らないので、昔のニュースから)、ユニクロでは自閉症者を「特に」採用したことがあった。その理由はもちろん補助金なり何なりの経済的な理由もあろうが、表向きはその「特性」で、「周囲との駆け引きによる当意即妙な反応」が要求されないような、予め定まったルールや明文化されたマニュアルに従った行動の形式が馴染むような労務に親和性が高い人が多い、という性質を「活用」しようと考えた。そこで、ユニクロは「客が乱して戻した服を綺麗にたたんで棚に戻す」ような職務を彼らに与えた。
これはなかなかの見識である。「一般人」からすれば、「仕事」もっといえば、社会全般における「人間の価値」は「コミュニケーション能力」という単一の尺度で捉えられがちで、コミュニケーション能力の「有無」(本来、バイナリなものではないと思うのだが)で他人を「評価」することが通例となっている。
ところが、実際の仕事には物凄く広い幅があり、営業や交渉といったコミュニケーション能力が高い者が高いパフォーマンスを出す業務もあれば、決められたルールに従って淡々と仕事をこなすことが高いパフォーマンスを出す業務も、仕様に従って淡々と効率を追求し新たな様式を「発見」する業務もある。
そうした「コミュニケーション能力の占める部分が小さい業務」に携わる人にまで「一般人」のスキルを要求するのはオーバースペックでもあり、また「一般人」がそのような業務についた場合は「持ち合わせの生かせないコミュニケーション能力を持て余すことの不満」も出てくる。そうした不満は、労働意欲にも直結していくものである。
実際の業務には「能力要素の幅」がある、という現実に即した人事配置というものは、それこそ企業にとっては「当たり前の」なすべき事の一つでもあり、その観点からいえば(もともと自閉症というのはスペクトラム的存在であるから)ことさらに「自閉症/ちがう」と分けて云々するのは根本的な間違いともいえる。
視覚障害者の人を、運転業務や視認での検査業務に雇わず、またそうした能力を「費用と時間をかけて」「通常人のように」訓練させて視認業務に適応させようとはしない。そうした人たちを、より鋭敏な聴覚などの感覚に適応する打音や嗅覚による検査に配置するのは、ごく当たり前のことである。
Re: (スコア:0)
つまり、金の卵を産むニワトリなら喜んで飼うけど、そうでなかったら放り出すってことだな。w
Re:自閉症と業務 (スコア:2)
自閉症で、一部の能力が尋常でないほど優れている人なんて、実際には滅多にいない。金の卵なんていない。
ただ、一部の能力に限れば普通の人より得意、といった程度の人は多い。そういった人を雇用するというのなら、それは評価するべき企業。営利企業ではやはりリスクのある行為なのだから。
もちろん、一定以上の規模の企業なら、規模に応じて障碍者を雇用する義務があるわけだから、それを越えて雇用しようという話。
精神障害、知的障害の者の雇用状況なんて、考えたこともなさそうだね。家族会が自ら作業所を作っても、収入はわずかで、保護者は自身の死後、彼らがどうなるのか、常に心を痛めている。
Re: (スコア:0)
ホームレスの3割くらいが精神障害者だって話です。
まあそうなっちゃうよね・・・・
Re:自閉症と業務 (スコア:1)
世の中ってそういうものでしょう?
民間企業がやる事業であって、公共の福祉じゃないのだから。
#間違いなく世間知らずの私がそう云います。
640GBはすべての人にとって未来永劫充分なメモリだ。