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理工系の科目の多くは、一つ一つの単元をそれなりに理解してからで無いと次が全く分からなくなる。故に、一度つまずくと次に進みにくくなる。一方、文系科目は途中のどこから始めてもある程度はついていけるか、何とか落第せずに済むと予想。
数学だと一次関数が理解できていないのに微分に進むことは難しいけど、歴史なら縄文時代は分からなくても現代史ならついていけるからね。さらに理工系は、数学⇄物理⇄化学⇄生物のように科目間の連携も必要だし。数学が全く出来ないのに化学は大得意って、高校までは通用しても大学レベルだと難しいのではないかな?
例外は多いと思うけど、リカバリーがききにくい傾向は多くの理工系科目で変わらないと思います。
歴史なら縄文時代は分からなくても現代史ならついていけるからね。
その程度の知見で大学の歴史を語らないように。縄文時代を判らなければ現代史を判ることは出来ないよ。学問全体に対する見解からして、学問をまともに学んだようには思えないぞ。問題はどのレベルで物事を見るかだ。
学問ってのは莫大な領域の積み重ねだけど、有機的に連携しているが故に、全部知らなくても先に進むことが出来るし。知ると言っても理解のレベルはいろいろある。
実際、それぞれよく知らなくても、個々の部分だけ学んでもそれなりには形になる。君が縄文時代を知らなくても、現代史を語れる様にね。
学問としての深みは一緒ですよ。
文系が簡単だと思うのは、有機的に文系の学問が連携してないと思うのは、君の文系レベルが低いだけ。同じく、あれもこれも理解しないと理系の学問が理解できないと思うのも理系の学問を知らない。発想が高校生の理系のままです。
そうかな。
理系から文系の宗旨替えはたまに見るし、就職の際の文系就職ってのもある。一方、その逆はほとんど見ない。
理系は文系という逃げ道があるが、文系には理系への逃げ道がない、てことだったりしないか?
重要なのは、なぜ逃げ道になりうるのか、ってところ。
理系と文系を比べて、学問としての難易度として何が違うのか?といろいろな領域のプロフェッサーと雑談レベルや研究レベルでよく話すのだが、
重要なことは・学問としての奥行きや幅の広さは理系・文系共に同じ
というのが誰に聞いても同じ答えを得られる。で、おっしゃるように、理系から文系からはありでも文系から理系は少ない(文系から素粒子物理の博士へとか結構いますが・・・)のは、結局のところ。
・導入部分の敷居の高さ
の違いだろうという結論ですね。文系の学問は、とにかくレベルが低くても知った気になって、最低限のことが出来る(で、多くの人がそこで止まって、文系を知った気になる)。ところが、理系は導入のレベルはそこそこ高いので、最低限のことが出来るようになるまでの閾値が高い。(講義の導入をいくつか落としただけで講義について行けなくなるのは自己学習能力がなさ過ぎるので論じるに値しません)。
違いはそれだけです。
詰まるところ、ある程度以上のレベルを求めるならば難易度は同じです。導入のレベルが違うだけ。
逆に、変な話ですが、最先端の研究になると、理学でも工学でも文系の学問でも、個々の技術よりはアイデア勝負になるので、理系の人が文系の最先端の研究を「それっぽく」するのは意外に簡単です。プレゼンやら研究のノウハウがあるので。無論、そいつの文系のその分野の研究者としての力がどれだけあるかは推して知るべしというか素人なのはあきからですが・・・・領域横断系の謎の領域ではよくそういう研究者が多い。視点が新しいので意外に成功します。
同じくプレゼンやら研究のノウハウがある文系の研究のプロは、理系を学ぶための最低限の閾値超えることが出来ないので、理系の先端の研究は「それっぽく」ても意外に出来ません。まぁ、本気でモチベーションさえあれば、結構コンバートする人いますけどね。若い人とかは。たまにいますが。文系専門で理系の人間とコラボして理系の最先端の研究をするとかもぽちぽちいます。
ともあれ、理系は導入の閾値が高い。これは事実。モチベーションと時間が必要です。
ただ、学問としての最終的な難易度は同じ。その意味では大学としての本来の学問のレベルは同じです。文系が軽く見えるのは、軽くしか知らないからですよ。普段の文系でそういう高いレベルを必要としてないだけです。その分野の専門家は信じられないほどマニアックでディープですよ。理系と遜色ない。
文系の基礎の閾値が低いということを自分で書いてますが、たとえば、「江戸時代の文献を読む」というスキルがなければその時代の研究をしたりすることが出来ません。現代語訳もないではないですが。そういうのは、理系にとっての数学の基礎力に相当します。その意味では、門外漢には敷居が高いです。分家のそれぞれの学問の世界でのまともな専門書は結構、素人が読むには敷居が高いものがあると思います。
ただ、旧帝大の学生ならばばりばりの理系でも本気でやれば、1〜2年あれば、そういった古文書ののたうち回った文章は自由に読めて理解できるようになる
> ただ、旧帝大の学生ならばばりばりの理系でも本気でやれば、1〜2年あれば、そういった古文書ののたうち回った文章は自由に読めて理解できるようになるので。
書き起したものではなく原典を読まねばなりませんのでやっぱりそれなりの修行が必要です
文系の連中だって研究の道に進むくらいんなんだからさ、俺ら以上に優秀で勤勉なんだよなんでそれがわからんのかね
理系の振りしている文系でしょ?w
旧帝大は普通は基本5教科はできないと入れないと思います。そのためのセンター試験じゃなかったですっけ?# もう20年前か……まぁ無試験で私立入っちゃったので記念受験でしたけど
いずれにせよ、あくまで一般論ですが。
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
途中から始めることができないからでは? (スコア:0)
理工系の科目の多くは、一つ一つの単元をそれなりに理解してからで無いと次が全く分からなくなる。
故に、一度つまずくと次に進みにくくなる。
一方、文系科目は途中のどこから始めてもある程度はついていけるか、何とか落第せずに済むと予想。
数学だと一次関数が理解できていないのに微分に進むことは難しいけど、
歴史なら縄文時代は分からなくても現代史ならついていけるからね。
さらに理工系は、数学⇄物理⇄化学⇄生物のように科目間の連携も必要だし。
数学が全く出来ないのに化学は大得意って、高校までは通用しても大学レベルだと難しいのではないかな?
例外は多いと思うけど、リカバリーがききにくい傾向は多くの理工系科目で変わらないと思います。
Re: (スコア:1)
その程度の知見で大学の歴史を語らないように。
縄文時代を判らなければ現代史を判ることは出来ないよ。
学問全体に対する見解からして、学問をまともに学んだようには思えないぞ。
問題はどのレベルで物事を見るかだ。
学問ってのは莫大な領域の積み重ねだけど、有機的に連携しているが故に、全部知らなくても先に進むこと
が出来るし。知ると言っても理解のレベルはいろいろある。
実際、それぞれよく知らなくても、個々の部分だけ学んでもそれなりには形になる。
君が縄文時代を知らなくても、現代史を語れる様にね。
学問としての深みは一緒ですよ。
文系が簡単だと思うのは、有機的に文系の学問が連携してないと思うのは、君の文系レベルが低いだけ。
同じく、あれもこれも理解しないと理系の学問が理解できないと思うのも理系の学問を知らない。
発想が高校生の理系のままです。
Re: (スコア:1)
そうかな。
理系から文系の宗旨替えはたまに見るし、就職の際の文系就職ってのもある。一方、その逆はほとんど見ない。
理系は文系という逃げ道があるが、文系には理系への逃げ道がない、てことだったりしないか?
重要なのは、なぜ逃げ道になりうるのか、ってところ。
Re:途中から始めることができないからでは? (スコア:0)
理系と文系を比べて、学問としての難易度として何が違うのか?
といろいろな領域のプロフェッサーと雑談レベルや研究レベルでよく話すのだが、
重要なことは
・学問としての奥行きや幅の広さは理系・文系共に同じ
というのが誰に聞いても同じ答えを得られる。で、おっしゃるように、理系から文系からはありでも文系から理系は少ない(文系から素粒子物理の博士へとか結構いますが・・・)のは、結局のところ。
・導入部分の敷居の高さ
の違いだろうという結論ですね。文系の学問は、とにかくレベルが低くても知った気になって、最低限のことが出来る(で、多くの人がそこで止まって、文系を知った気になる)。ところが、理系は導入のレベルはそこそこ高いので、最低限のことが出来るようになるまでの閾値が高い。(講義の導入をいくつか落としただけで講義について行けなくなるのは自己学習能力がなさ過ぎるので論じるに値しません)。
違いはそれだけです。
詰まるところ、ある程度以上のレベルを求めるならば難易度は同じです。
導入のレベルが違うだけ。
逆に、変な話ですが、最先端の研究になると、理学でも工学でも文系の学問でも、個々の技術よりはアイデア勝負になるので、理系の人が文系の最先端の研究を「それっぽく」するのは意外に簡単です。プレゼンやら研究のノウハウがあるので。無論、そいつの文系のその分野の研究者としての力がどれだけあるかは推して知るべしというか素人なのはあきからですが・・・・領域横断系の謎の領域ではよくそういう研究者が多い。視点が新しいので意外に成功します。
同じくプレゼンやら研究のノウハウがある文系の研究のプロは、理系を学ぶための最低限の閾値超えることが出来ないので、理系の先端の研究は「それっぽく」ても意外に出来ません。まぁ、本気でモチベーションさえあれば、結構コンバートする人いますけどね。若い人とかは。たまにいますが。文系専門で理系の人間とコラボして理系の最先端の研究をするとかもぽちぽちいます。
ともあれ、理系は導入の閾値が高い。
これは事実。
モチベーションと時間が必要です。
ただ、学問としての最終的な難易度は同じ。
その意味では大学としての本来の学問のレベルは同じです。
文系が軽く見えるのは、軽くしか知らないからですよ。
普段の文系でそういう高いレベルを必要としてないだけです。
その分野の専門家は信じられないほどマニアックでディープですよ。
理系と遜色ない。
Re: (スコア:0)
文系の基礎の閾値が低いということを自分で書いてますが、たとえば、「江戸時代の文献を読む」というスキルがなければその時代の研究をしたりすることが出来ません。現代語訳もないではないですが。そういうのは、理系にとっての数学の基礎力に相当します。その意味では、門外漢には敷居が高いです。分家のそれぞれの学問の世界でのまともな専門書は結構、素人が読むには敷居が高いものがあると思います。
ただ、旧帝大の学生ならばばりばりの理系でも本気でやれば、1〜2年あれば、そういった古文書ののたうち回った文章は自由に読めて理解できるようになる
Re: (スコア:0)
> ただ、旧帝大の学生ならばばりばりの理系でも本気でやれば、1〜2年あれば、そういった古文書ののたうち回った文章は自由に読めて理解できるようになるので。
書き起したものではなく原典を読まねばなりませんのでやっぱりそれなりの修行が必要です
文系の連中だって研究の道に進むくらいんなんだからさ、俺ら以上に優秀で勤勉なんだよ
なんでそれがわからんのかね
Re: (スコア:0)
理系の振りしている文系でしょ?w
Re: (スコア:0)
旧帝大は普通は基本5教科はできないと入れないと思います。
そのためのセンター試験じゃなかったですっけ?
# もう20年前か……まぁ無試験で私立入っちゃったので記念受験でしたけど
いずれにせよ、あくまで一般論ですが。