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まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうが
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
「国語」という言い方からして古い (スコア:2)
まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうが
「母語」じゃだめですか? (スコア:0)
そういった意味では「国語」という表現よりは「日本語」の方が良いのでしょうね。
それから、歴史や古典を学ぶ意義というのは「古きを知って新しきを知る」という視点があればこそのものだと思います。そこにいた人間を知って今に生かすことが無ければ無駄になります。「古きを知って古きを知る」だけならさっさと止めて、違うことをやってほしいと思います。