アカウント名:
パスワード:
親Aと子供Bの親子がいるとします。そのときpee02674さんが、親Aに対して、そこまで「親の、こどもへの責任」を追及できるか、という問題です。
「責任」という言葉の使い方に問題があろう。通常の用語では、自分が引き受けねばならない任務や負担、義務のことを指す。たとえば
■[責任]の大辞林第二版からの検索結果 せきにん 【責任】 (1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。「―を果たす」「保護者としての―」 (2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。「―をとって辞職する」「だれの―でもない」「―の所在」「―転嫁」 (
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
子を持つ親としては (スコア:1)
なのではないでしょうか?
個人的に、読書だけでなく自由に友達と遊ぶ時間も必要だと
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
幼児の頃に読み聞かせをさぼってただけなのでは?、本嫌いの子供の親ってのは
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> ますけどねぇ
その影響は大きいです。それはそれとして認めますが、同じように育てても実際、本が好きな子に育ったり、読書をまったくしない子に育ったりしますから、「ひとえに親のやり方次第」という意見には賛成できません。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
申し訳ないが、学校に行くことになる6年から7年の間に家で本に触れさせる上で、もっとも確実な手段と思うんですけどね、読
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> 触れさせる上で、もっとも確実な手段と思うんですけどね、読み
> 聞かせってのは
その有効性を否定してはいません。
でも実際、読み聞かせを行っても本を読む子と読まない子に分かれます。なのに、親のやり方次第、と言い切るのはどうでしょうか。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
たしかに確実性を保障できる手段なんてあ
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> といって、親が責任放棄もできませんね
責任放棄しろ、と書いた憶えはありません。もちろん、親の責任は大きい。でも、親のやり方次第と言い切ってしまってよいのか、といっています。
> 生まれてから、6年から7年の間に子供の面倒を見ることが出来
> るのは、乳母でもいないかぎり(つか、そんなのは皇室くらい
> なものだと思うが)、親しか
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
つか、生みの親が自分だけが悪いんじゃないなんて言い出したら、もう終わってると思いますよ?(苦笑)
ま、仮に親のやり方次第じゃないとしても、それで親が読み聞かせすらやら
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> かせすらやらないってのは、苦笑せざるをえないんですけどね。
誰か「読み聞かせしなくても良い」とでも提案したんですか?
> 幼児の頃、活字に触れさせるのに(ま、正確には読むことの面
> 白さとでも言えばいいのかもしれんが)、読んで聞かせてやる
> 以外の手段があるのなら教えてくれませんか?
他の手段の存在を、誰が示唆したんですか?
読み聞かせはやったほうが良いだろうし、そのことを否定しては居ません。他の手段があるかどうか知りませんが、他の手段があればそれも併
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
親以外の誰かが、「こどもが読書嫌いになった」責任を負うんですか?
読み聞かせをしたかしないかに関わりなく、親が負うしかない責任でしょう?
何にこだわっているのかさっぱりわかりません。育児書でも書いてるんですか?
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
先天的に目と耳が不自由な子が読書が嫌いだったらどうします?先天的に知恵遅れの子が読書嫌いだったらどうします?そこまで極
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
責任逃れの方便を考えるくらいなら、大人の振りをしないでください。
子に対して負わなくて済む責任など、いっさいありません。それらは備わっているべきなのです。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> いったレアケースを持ち出さないでください。
でもそういったレアなケースで無くとも、読み聞かせをした子供が読書嫌いに育つケースはあるのですよ。そのことが判っていないようだったので、極端なケースを想定して説明したのです。pee02674さんは読み落としてしまったかもしれませんが、#247228でも既に私は「そこまで極端でなくとも、親のやり方と無関係に子供は読書嫌いになるかもしれないのです」と書きましたね。
そう言う場合でも親の責任だと言いきって良いものでしょうか?
> 責任逃れの方便を考えるくらいなら、大人の振りをしないでください。
私は人の親ではないので、このような意見を述べたところで何ら責任逃れはできはしません。誤解なきよう。
また、親の責任というものが全く無いとは言いません。読み聞かせをしなかったら、読書嫌いに育つ確率は高そうですから、もしそうであれば、読み聞かせをしなかった親に育てられた子供が読書嫌いになっているとすれば、親の責任が全く無いとは言いません。
> 子に対して負わなくて済む責任など、いっさいありません。
> それらは備わっているべきなのです。
親としてそのように思うのは自然なことでしょう。
しかし、客観的に見れば、親とて所詮人間です。そこまで限度を超えた責任を負わせて良いはずがありません。意図的にやったわけでもないことの責任を、あるいは、できる限りの努力をした結果の責任を、不完全な存在たる人間にすべて負わせるのは間違っています。
pee02674さんは、先天的な障碍をレアケースだとして無視しようとしていますが、本当にそれでいいのですか?レアケースだからといって無視される障碍者とその親はどうすればよいのですか?
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
よって、一般論ではあえて、考慮から外すべきです。以上。
言っておきますが、私は親じゃありません。保護者たる者はどうあるべきか、
重度の知能障害を持った兄にたたき込まれただけです。
保護者とは、被保護者を監督し、制御する責任を負った者です。
制御から離れたところで何が起こっても、責任を逃れることは出来ません。
制御の結果が裏目に出ようとも、その責任も保護者にあるのです。
話を戻します。
親がどのように育てようと、子に対する責任は親の物です。
それを、子に責任があるかのように言うのは責任逃れです。
子に向かって言いますか?おまえが読書嫌いなのはおまえ自身の責任だと。
ばかばかしい。
私がそう言われるこどもの立場だったら、情けない親を持ったと泣きますよ。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> たき込まれただけです。
pee02674さんのお兄さんは立派な人です。それは認めます。しかし、他人がpee02674さんのお兄さんに対して、彼の子供の障碍は彼の責任だ、と責めることはできません。彼の弟であるpee02674さん自身も、彼をそうやって責めることはできないでしょう。彼が立派な人であればあるほど、私にはそんなことは不可能でさえあります。
それと同じ事で、読み聞かせをやっても、読書嫌いに育つことがありますが、その場合にその親を責めることはできません。
> それを、子に責任があるかのように言うのは責任逃れです。
それはその子が何歳になるまで言いつづけるのですか?それは子供の責任逃れではありませんか?
親も人間。できることには限界があります。最大限努力したのなら、それ以上の責任を問うても意味がありません。pee02674さんの意見は、能力の限られた人間と言う存在に、無限の責任を負わせることです。そして、その考えは少なくとも、現代思想では否定されています。
現代思想が絶対ではありませんから、それを否定することは尊重すべき一つの立場です。でも、そうと解ってやっているので無いのなら、もう一度良く考え直してみることをお勧めします。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
誤解してます。障碍者なのは「兄」です。「兄の子」ではありません。
まぁ、知能障害児とはいわれても、知能障害者とはあまりいわれませんからね。
</OFFTOPIC>
今更、何歳までというのはおかしな話です。
このトピックは、もともとが義務教育の範囲内を対象としているのでは?
読み聞かせをやっても、読書好きになるかどうかは運次第だというなら納得します。
しかし、結果に対して「運が悪かった」で済まない場合には誰が責任を負うのか。
それはやはり、親以外にはあり得ないのです。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> このトピックは、もともとが義務教育の範囲内を対象としている
> のでは?
それでもいいですよ。考えてみてください。15歳(当然義務教育の範囲ですね)にもなって、「僕ちゃんの読書嫌いは、とうちゃんとかぁちゃんのせいだい!僕ちゃんは悪くなんかないやい!」なんて言ってたら、どうします?普通、「アホか」の一言でしょう。個人的には、12歳でもどうかと思いますね。
> 読み聞かせをやっても、読書好きになるかどうかは運次第だとい
> うなら納得します。
最初からそう言うことですよ。そうとしか言いようが無い場合もあります。
> しかし、結果に対して「運が悪かった」で済まない場合には誰が
> 責任を負うのか。
> それはやはり、親以外にはあり得ないのです。
運が悪いとしか言いようが無いものを、全知全能たりえない親に責任を押し付けてどうしようというのでしょうか?
また、いくら子供と言っても自我を持った一人の人格です。親がどんなに完璧であっても一人の人格を自由にすることは不可能です。なのに親にその全責任を押しつけることはできません。もし、子供の人格が100%親の育て方によるのなら、責任を負わせられるのも仕方ないかもしれません。でも、事実はそうではありません。
そこまで親に責任を押し付けてどうなると言うんです?無意味じゃありませんか?
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
貴方は「運次第」なことに責任は負えないと言うし
私は「運次第」でも責任は免れないと言います。
結果は運次第でも、結果に至る過程は選択できます。
どんな本を与えるか、読み聞かせをするかしないか、etc.
選択を行った者は、結果に責任があります。例え裏目でも。
Re:子を持つ親としては (スコア:0, フレームのもと)
違いますね。pee02674さんは、私の質問にいくつか回答していませんが、回答がなければ、平行線かどうかわかりません。例えば、
===== #247657 =====
考えてみてください。15歳(当然義務教育の範囲ですね)にもなって、「僕ちゃんの読書嫌いは、とうちゃんとかぁちゃんのせいだい!僕ちゃんは悪くなんかないやい!」なんて言ってたら、どうします?普通、「アホか」の一言でしょう。個人的には、12歳でもどうかと思いますね。
===== #247657 =====
とかね。ま、こういう甘ったれた子供を育てた責任は親にあるかもしれませんが、いつま
Re:子を持つ親としては (スコア:0)
>私は「運次第」でも責任は免れないと言います。
運次第なことにも責任を負わせる考え方は、宗教的信念。
仏教の「縁」の考え方が代表例ですね。
それはそれで否定はしませんが、その信念に基づき
他人を裁くのは不味いのではとおもう。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
貴方は(#247228)でこどもにも責任があるはずだと言うが、私はそれを否定する。
貴方は(#247657)でこどもも自我を持った一人の人格と言うが、私はこどもの人格を否定する。(自我は肯定する)
貴方は親に責任を追及するのは酷だという。その責任をこどもに問うのはもっと酷だと私は思う。
接点はない。ゆえに平行線と切って捨てた。
ふと思った。
読書嫌いの子供が増えていますが?
くだらない質問だ。親の教育方針通りに育たないからいけない。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> 貴方は(#247228)でこどもにも責任があるはずだと言うが、
> 私はそれを否定する。
本当ですか?義務教育範囲の15歳の生徒が「僕ちゃんの読書嫌いはとーちゃん・かーちゃんのせいだい!僕ちゃん悪くないやい!」と責任逃れするのを肯定するんですか?マジで言ってますか?
> 貴方は(#247657)でこどもも自我を持った一人の人格と言うが、
> 私はこどもの人格を否定する。(自我は肯定する)
すごい事言いますね。まぁ、乳幼児ならともかくですが、pee02674さんが想定しているのは、義務教育の範囲内、すなわち6歳から16歳までの子供を言うんですよね?いくらなんでも16歳の人間の人格を否定してはマズくないですか?マジで言ってますか?
> 貴方は親に責任を追及するのは酷だという。その責任をこども
> に問うのはもっと酷だと私は思う。
念のために言っておきますが、子供の責任を問えない場合もあります。
でも、子供だからと言って、いつまでも自分の性格や性質に無責任でいて良いわけはありません。それとも、15歳にもなった人間が、自分の性格を全部親のせいにするような甘えを肯定するんですか?そんなこと、マジで言ってますか?
> 接点はない。ゆえに平行線と切って捨てた。
本当にそうかな?上の質問に答えてみてくださいよ。本当にそこまでひどいことをいえますか?
> 読書嫌いの子供が増えていますが?
> くだらない質問だ。親の教育方針通りに育たないからいけない。
意味不明。何が言いたいのでしょうか?
#いくらなんでも、まさかマジじゃないだろうし...
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
そういう幼稚な精神を育てた責任があります。
すごい事言いますね。まぁ、乳幼児ならともかくですが、pee02674さんが想定しているのは、義務教育の範囲内、すなわち6歳から16歳までの子供を言うんですよね?いくらなんでも16歳の人間の人格を否定してはマズくないですか?マジで言ってますか?
自我と人格を混同しないでくださいよ?自我は個性です。3歳児でも持ってます。人格は社会の評価です。
人格を肯定する=責任能力を認める。です。私はこどもの責任能力を否定しますから、人格も否定します。
でも、子供だからと言って、いつまでも自分の性格や性質に無責任でいて良いわけはありません。それとも、15歳にもなった人間が、自分の性格を全部親のせいにするような甘えを肯定するんですか?そんなこと、マジで言ってますか?
0歳からいきなり15歳になるわけではありません。親には15歳までの過程を制御する権利と義務がありました。
結果に対する責任がないなど、一般社会通念に照らしても認められません。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
そのことは既に#247838で私も触れています。もちろん、その責任がまったく無いとは言えません。しかしながら、15歳にもなった人間がその幼稚な精神を引きずっていていることを、親の責任にして良いはずがありません。
それともなんですか?「僕ちゃんが15歳になっても甘えん坊なのは、とーちゃん・かーちゃんのせいだい!僕ちゃん悪くないやい!」っていう甘えも許してあげるんですか?マジで言っていますか?
#こういう部分は引用してくれないのですね。さすがにこの部分を引用して「そういう甘えも許しちゃいます」とは書けませんものねぇ。
> 人格を肯定する=責任能力を認める。です。私はこどもの責任
> 能力を否定しますから、人格も否定します。
法的な話をしてたんですか?道義的な話だと思ってたんですが。
まあいいでしょう。刑事責任能力が認められるのは、日本の刑法では14歳ということになっています。ただし、少年法では刑事処分可能年齢を16歳としています。どちらの場合も義務教育の範囲内ですね。その意味で、 pee02674さんの意見は間違っています。
もし、日本の法体系に不満があるという話でしたら、もちろん、そのような議論も可能です。実際、少年法を改正して刑事処分可能年齢を14歳に引き下げようという議論もありますから。
でも、そういう話ではありますまい。もし、そういう話であれば、何歳に引き上げるべきか、その理由は何か、そのくらいのことは書いてください。
なお、道義的な問題を想定しても、0歳からいきなり大人=完全に人格を認められるものに変わるわけではありませんから、途中には段階というものがあるでしょう。15歳までまったく人格を認められない=責任能力がない、という話にはならないと思います。もし15歳の人間の人格=責任能力をまったく認めないとしたら、それはそれでひどい話です。本気で15歳の人間の人格を一切認めないおつもりですか?マジで言ってますか?
> 0歳からいきなり15歳になるわけではありません。親には15歳ま
> での過程を制御する権利と義務がありました。
> 結果に対する責任がないなど、一般社会通念に照らしても認め
> られません。
私はそんな主張をしてはいませんよ。親にも責任はあるかもしれない(この場合であれば、おそらくあるだろう)。でも、15歳にもなれば、子ども自身にも責任も無いわけがない。そういうことです。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
幼稚な精神を育ててしまった結果に対する責任はどこへも行きません。
まぁ、どっちでもいいんですよ。立派な15歳でもスカポンタンな15歳でも。
親の責任に変わりはありませんから。
>15歳にもなれば、子ども自身にも責任も無いわけがない。そういうことです。
15歳になってから直面した事柄に対しては、そう言うことも出来ます。
どうして過程に対する責任への言及を避けるんです?
親にも責任があるかも知れない?他の誰に責任があるというんですか?
こどもが思い通りに育たなかったら、子ども自身の責任ですか?
/*
私がこどもの人格を否定するのは、最終的な責任の所在を自分自身に置くためです。
こどもの自我、個性を尊重するのはいい。しかし、人格を尊重すれば、それに連なる責任も
任せなければなりません。しかし、大人の責任をこどもに与えるわけにはいかない。
与える責任は掌の中。責任を代行はさせても、責任の所在は飽くまで自分。
これは私自身の、保護者たる者としての自律事項です。ほっといてください。
*/
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
もちろんその通りです。年齢や発達度合いに従って、どのくらいの甘えを許すかを決めるのは悪くないでしょう。
でも、「僕ちゃんが15歳になっても甘えん坊なのは、とーちゃん・かーちゃんのせいだい!僕ちゃん悪くないやい!」っていう甘えを許すのがpee02674さんの教育方針ということですか?ハッキリと、はい・いいえで答えてくださいよ。もう何度も同じ質問をしてるじゃないですか。
もし、はい、と答えるのだとしたら終わってます。ろくな子供は育ちません。家庭内暴力で殺されないように注意しましょう。
いいえ、と答えるのであれば、子供にも責任を認めているということです。
> どうして過程に対する責任への言及を避けるんです?
避けてませんよ。冷静になってよく読み返してください。直前の#248104にも、それ以前のコメントにも、育てる過程における親の責任が全くない、などとは書いていませんよ。逆に、親に責任はある、ということは書いていますが。
> 他の誰に責任があるというんですか?
誰の責任とも言えないものがあるということです。刑法だって、重大な過失がなければ、責任を問わない場合があるしょ。
> こどもが思い通りに育たなかったら、子ども自身の責任ですか?
そういう場合もあるし、そうでない場合もある。
子供の側には、子供の側の意思というものがあります。それを親が完全にコントロールすることなど、できはしないのです。親の意思とは無関係に、子供は、子供が思うように育つ面もあるのです。すべての責任を親に帰すわけには行かないのです。
> しかし、人格を尊重すれば、それに連なる責任も
> 任せなければなりません。
段階的に責任を与えて行こうとは思わないんですか?15歳になっても子ども扱いで一切責任を取らせないつもりですか?それは過保護が過ぎるというものです。
> これは私自身の、保護者たる者としての自律事項です。ほっと
> いてください。
ええ。最初からそう言ってるじゃないですか。親がそのように思うのは良しとしましょう、とね。それはそれで立派な態度です、とね。
ただ、他人が親に対してそこまで酷な責任追及をしてはならない、と言っているのです。そのへん、解っていますか?冷静に読み直してもらえば解ってもらえると思いますよ。
しかし、やっと私の言っていることと一致してきたようですね。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
3歳児に15歳の名札を張ったような、ありえない様な例にまともに取り合ってもらえるとでも思ってるんですか。
あなたの言ってることには、さっぱり中身が無い。
「そうとばかりは言えない」「そうとは限らない」「問えないこともある」
部分否定の仮定ばかり。たまに例を挙げれば障碍者だのといったレアケースか、あり得ない様な例。
子供の側には、子供の側の意思というものがあります。それを親が完全にコントロールすることなど、できはしないのです。親の意思とは無関係に、子供は、子供が思うように育つ面もあるのです。すべての責任を親に帰すわけには行かないのです。
こどもはこどもが思うように育つ?これから育つ知性に、育つ方向性の責任を負わせて良しとするのか。
「二十歳過ぎれば自分の顔」とはいいますがね。二十歳も過ぎれば、自分の欠点は親のせいだなどとは言っていられない。
けれど、親の庇護がなければ暮らせないようなこどもに、そこまでの自己自律性を求めるのは無茶で、酷なことだ。
他人が親に対してそこまで酷な責任追及をしてはならない、と言っているのです。
はぁ?誰が他人への責任の話をしてるんです?親の、こどもへの責任でしょ。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
そうですね。その通りです。つまり、三歳と十五歳には違う扱いがあると言うこと。その違いは即ち、どれだけ甘えを許すかに違いがあると言うことだし、どれだけ自分自身のことに対して責任を負わせるかに違いがあると言うことだし、どれだけ独立した人格を認めるに違いがあると言うこと。
> 部分否定の仮定ばかり。
あたりまえです。世の中はそんなに単純にできてはいないのだから。
> 育つ方向性の責任を負わせて良しとするのか。
もちろん。十五歳にもなれば、自分が育つ方向くらい自分で決めさせるべき。親はそれに対して助言をして間違った方向に行かない程度の責任は持つべきではあるでしょうが。
それともなんですか?pee02674さんは中学生にもなった自分の子供に対して、自分で自分の将来について何も決めさせないというのですか?そんなことはありますまい。いくらなんでもそれは親の横暴と言うものです。
> 「二十歳過ぎれば自分の顔」とはいいますがね。二十歳も過ぎ
> れば、自分の欠点は親のせいだなどとは言っていられない。
では、十五歳ではどうでしょうか?pee02674さんは、自分の十五歳になった子供が悪さを働いたときに(悪さを働くと言う欠点があったときに)、子供に対して「僕ちゃんは全然悪くないのよ。悪いのは親である私なの」と言うとでも?そんなに甘やかしてどうする?子供がつけ上がって悪さをエスカレートさせるだけでしょう。
> けれど、親の庇護がなければ暮らせないようなこどもに、そこま
> での自己自律性を求めるのは無茶で、酷なことだ。
そうですね。だから、段階的に責任を負わせる訓練をするのだ、と書きましたね。読んでもらって無かったですか?読みなおしてくださいね。責任を全く負わない状態から、二十歳になっていきなり全責任を追う状態にさせられたら、対応できなくてもしかたありません。そんな無茶なことを子供にさせてはいけませんよ。
> > 他人が親に対してそこまで酷な責任追及をしてはならない、と
> > 言っているのです。
> はぁ?誰が他人への責任の話をしてるんです?親の、こどもへの
> 責任でしょ。
冷静に良く読んでくださいね。親Aと子供Bの親子がいるとします。そのときpee02674さんが、親Aに対して、そこまで「親の、こどもへの責任」を追及できるか、という問題です。
Re:子を持つ親としては (スコア:0)
「責任」という言葉の使い方に問題があろう。通常の用語では、自分が引き受けねばならない任務や負担、義務のことを指す。たとえば
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
何度も言いますが、過程を無視しないこと。0歳や3歳のこどもに、どんな15歳になっていたいかと問うことは出来ない。
おまえが読書嫌いなのは、おまえがもっと小さい頃に本を読まなかったせいだなどと言うのは、天に唾する行為です。
対象を15歳と仮定して、本嫌いにしてしまった責任は親にある。15歳にもなれば、将来の方向性を自分で考え、行動する
こともできるから、本嫌いのまま生きていくなら本人にも責任がある。
では、十五歳ではどうでしょうか?pee02674さんは、自分の十五歳になった子供が悪さを働いたときに(悪さを働くと言う欠点があったときに)、子供に対して「僕ちゃんは全然悪くないのよ。悪いのは親である私なの」と言うとでも?そんなに甘やかしてどうする?子供がつけ上がって悪さをエスカレートさせるだけでしょう。
こどものせいにして親の責任を放り出すのは、自分を甘やかすこと。
こどもに「もうしてはならない」と教えもしない、罰を与えもしないのが、こどもを甘やかすこと。
そうですね。だから、段階的に責任を負わせる訓練をするのだ、と書きましたね。読んでもらって無かったですか?読みなおしてくださいね。責任を全く負わない状態から、二十歳になっていきなり全責任を追う状態にさせられたら、対応できなくてもしかたありません。そんな無茶なことを子供にさせてはいけませんよ。
責任を与えないことについて、わかりにくいようなので例を挙げます。
隣の家に、なにか届け物をするお遣いを言いつけたとします。
とどける途中、こどもが転んで届け物が壊れました。
あいにくそれは預かり物で、弁償しなければなりません。
こどもに責任を与える → こどもに払わせる
こどもに責任を与えない → 親が払う
こどもに与える責任は、後ろに親という保障がなければ成り立たないまやかしの責任です。
単なる言葉遊びのような気もしますが、責任を与えるという言葉はとても重いのです。
保護者の保障が付いているか居ないかは、対社会として大変重要です。
貴方の言う、こどもに負わせる責任はどちらですか。
冷静に良く読んでくださいね。親Aと子供Bの親子がいるとします。そのときpee02674さんが、親Aに対して、そこまで「親の、こどもへの責任」を追及できるか、という問題です。
どこから第三者が追求する親の責任になった?責任という単語を持ち出したのは私だが、
こどもを育てた責任は親にあるという、全く常識的なことしか言ったつもりはないが。
責任が存在することと、責任を追及されることはまったく次元が異なる。
#先にACさんにも書かれてしまったな。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> どんな15歳になっていたいかと問うことは出来ない。
ええ。ですから、零歳児にまで責任を問うという話はしていませんよ。子供の発達度合いに従って、段階的に責任を負わせていくという「過程」を重視した話をしています。
> こどものせいにして親の責任を放り出すのは、自分を甘やかすこと。
そうですね。だから、子供に対してだけ責任を追及するという話もしていませんし、親に対してだけ責任を追及できるという話もしていませんね。
> こどもに「もうしてはならない」と教えもしない、罰を与えもし
> ないのが、こどもを甘やかすこと。
罰?これは異な事を。責任を負う必要の無い子供が何故罰など受ける謂れがあるのでしょうか?子供に責任が無いのなら、罰を受けるべきは親でしょう。
> 単なる言葉遊びのような気もしますが、
はい、その通りです。それは言葉遊び以上のものではありません。
対社会に対する責任と言うことで言えば、既に提示済みの例ですが、十四歳以上には刑事責任が問われますし、十六歳になれば実際に大人と同じ刑事罰を受けることがあります。これを親が肩代わりすることはできません。これが言葉遊びで無い現実の社会です。
ちなみに、諸外国では、この年齢が日本よりも低いところがほとんどです。日本より子供に厳しい(甘やかしていない)ですね。
> 責任が存在することと、責任を追及されることはまったく次元が異なる。
> #先にACさんにも書かれてしまったな。
コメント#248609のことを言っているのであれば、pee02674さんの意見とはまったく異なりますよ。他人のコメントは良く読まれたほうがよいかと。
#アホ過ぎて話にならんと思うこと請け合い>#248609。