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先天的に目と耳が不自由な子が読書が嫌いだったらどうします?先天的に知恵遅れの子が読書嫌いだったらどうします?
先天的な異常は多くの場合、発生するかどうかを事前に知ることはできません。
リスクがあることは承知しているはずです。
他人である私はそのことを「親の責任」と言い切ることはできません。
あなたがそう感じるということわかりますが、それは親の責任かどうかという問題と何の関係もありませんね。
因果関係があれば、責任がある、というのは、必ずしも真ではありません。
現代日本社会では、個人として行動する場合
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
子を持つ親としては (スコア:1)
なのではないでしょうか?
個人的に、読書だけでなく自由に友達と遊ぶ時間も必要だと
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
幼児の頃に読み聞かせをさぼってただけなのでは?、本嫌いの子供の親ってのは
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> ますけどねぇ
その影響は大きいです。それはそれとして認めますが、同じように育てても実際、本が好きな子に育ったり、読書をまったくしない子に育ったりしますから、「ひとえに親のやり方次第」という意見には賛成できません。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
申し訳ないが、学校に行くことになる6年から7年の間に家で本に触れさせる上で、もっとも確実な手段と思うんですけどね、読
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> 触れさせる上で、もっとも確実な手段と思うんですけどね、読み
> 聞かせってのは
その有効性を否定してはいません。
でも実際、読み聞かせを行っても本を読む子と読まない子に分かれます。なのに、親のやり方次第、と言い切るのはどうでしょうか。
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
たしかに確実性を保障できる手段なんてあ
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> といって、親が責任放棄もできませんね
責任放棄しろ、と書いた憶えはありません。もちろん、親の責任は大きい。でも、親のやり方次第と言い切ってしまってよいのか、といっています。
> 生まれてから、6年から7年の間に子供の面倒を見ることが出来
> るのは、乳母でもいないかぎり(つか、そんなのは皇室くらい
> なものだと思うが)、親しか
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
つか、生みの親が自分だけが悪いんじゃないなんて言い出したら、もう終わってると思いますよ?(苦笑)
ま、仮に親のやり方次第じゃないとしても、それで親が読み聞かせすらやら
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> かせすらやらないってのは、苦笑せざるをえないんですけどね。
誰か「読み聞かせしなくても良い」とでも提案したんですか?
> 幼児の頃、活字に触れさせるのに(ま、正確には読むことの面
> 白さとでも言えばいいのかもしれんが)、読んで聞かせてやる
> 以外の手段があるのなら教えてくれませんか?
他の手段の存在を、誰が示唆したんですか?
読み聞かせはやったほうが良いだろうし、そのことを否定しては居ません。他の手段があるかどうか知りませんが、他の手段があればそれも併
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
親以外の誰かが、「こどもが読書嫌いになった」責任を負うんですか?
読み聞かせをしたかしないかに関わりなく、親が負うしかない責任でしょう?
何にこだわっているのかさっぱりわかりません。育児書でも書いてるんですか?
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
先天的に目と耳が不自由な子が読書が嫌いだったらどうします?先天的に知恵遅れの子が読書嫌いだったらどうします?そこまで極
Re:子を持つ親としては (スコア:0)
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
先天的な異常は多くの場合、発生するかどうかを事前に知ることはできません。そういうものまで生みの親に責任を負わすというのはどうでしょう?
確かにその原因は生みの親が持っているでしょうから、生みの親がその責任を感じるのは自然なことです。しかし、他人である私はそのことを「親の責
Re:子を持つ親としては (スコア:0)
リスクがあることは承知しているはずです。
あなたがそう感じるということわかりますが、それは親の責任かどうかという問題と何の関係もありませんね。
現代日本社会では、個人として行動する場合
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> > ありません。
> 現代日本社会では、個人として行動する場合、緊急避難と自己防
> 衛の場合を除き、自分の行動の結果は当然自分の責任となります。
> そしてこどもを生むことはそのどちらでもありません。
これはあからさまな嘘ですね。自分の行動の結果が事前に予想できなかった場合や、十分な対策をしてもなおかつ起きてしまった結果については責任を問われない場合もありますね。
> あなたがそう言えないということはわかりますが、それは親の
> 責任と何の関係もありませんね。
その通りですが、先天的な障碍の場合は普通、道義的にも他人が責任を問うべき問題ではないと考える人が多いでしょう。また普通それは、親の過失とは言えないでしょうから、法的に責任を問われる問題ではないでしょう。
もちろん、親が子を育てなければいけないという責任が無くなる、といっているわけではありません。念のため。