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「数学なんて生きていくのに必要ないよね」「理科なんて社会人になってから使ったことない」なんて有識者を名乗る無知者たちが提言して理系科目がペラくなった挙句、こういう事故が起こるんですよね。
むしろ、その作家らが必要だと思ってる「古文」は社会に出てから全く役に立っていないので、必須科目から削除した方がいいと思う。
年取ってくると理系知識はだんだんどうでもよくなってくるけど、古文漢文で習ったことが逆に役立ってくるよよく思い出せなくて枕草子や論語とか読みなおしてみたりすることはよくあるまあ、細かい文法とかはいらないと思うけど
ところで、あんなにアルカリ刺激臭のするセメント液を気軽にかぶっちゃうのって理系知識云々じゃなくて、本能がにぶってんじゃね?
漢文はともかく、古文は現代語訳があれば十分でしょう。
古文を読める能力なんてのは、国文学者や歴史学者くらいが必要なだけで、普通の人には全く必要が無いものですよね。古文で書かれた書物や契約書が現役で使われているわけでもないし。
あと、理系の知識って実は年を取ってくると益々必要になってくるですけどねえ。理系の知識が無くて、擬似科学に騙される年配者って多いですよね。
そう言う意見はあってもいいわけだけど、その理由が
これじゃ、話にならないです。そう言う単純ものじゃありません。
普通の人に必要なものだけを教えるべき、という単純なルールにしたとしましょう。「普通の人」の定義の問題はひとまず措きます。そのルールを
同じ国語でも、古文・漢文読解能力と、法律文・JIS文・JAS文・特許文(悪文で有名)・取扱説明書文読解能力とどっちが人生の役に立つ?後者を教えず、敢えて前者を教える理由は?
後者を教えず、敢えて前者を教える理由は?
後者を教えるな、と書いた覚えはありません。
現代文・古文の割合・内容を見直すのは悪いことではありません。
しかし、「普通の人に必要なものだけを教えるべき」みたいな単純なルールで判断されるべきではありません。
以上は前のコメントを読めば解ると思うのですが、何が問題だと言っているのですか?
私が学生時分は、前者をわざわざ古文・漢文という単独教科として教育を受けたが、後者は例文すら国語・現代国語に出て来なかった。最近は出て来る様になったのでしょうかね。
云うまでもなく、(義務及び半義務化している高等学校)教育に投入できる被教育側の生徒・学生及び与教育側の時間・人材・労力・教材・経費等のリソースは有限であり、そのリソースは有意義に使う必要がある。にもかかわらず、後者を教えず前者の教育にかまけていた過去(おそらく現在も)の教育関係者、特に教科選定・教材基準設定者を批判しているのだ。有限の教育リソースは、とことん役に立つ事に廻せ、古文・漢文等といった少なくとも役に立ち難い事にかまけさせるなと言っている。英語(小学校から教える様になったそうですね)・理科(水と混ぜた液状のセメントを被るべきでないといった知恵)・近現代史(大学入試センター試験でも碌に出て来ない)の他にも、戦時国際法を含む非常時対応・地政学(地理より有用)とかの触りも抜けているのでは?
PS:あと、後者の例として、契約文も追加。
有限の教育リソースは、とことん役に立つ事に廻せ、古文・漢文等といった少なくとも役に立ち難い事にかまけさせるなと言っている。
そもそも「役に立つ事」の選択基準は何かを示す必要があるね。
その上で、国語以外についても同じことを言えるかを次に示す必要がある。
もちろん、どんな選択基準であっても、どんな極端な結果でも、それはそれなりに尊重する。ただ、それが広く受け入れられるかどうかは別の問題だ。
私の考えによると、「役に立つ」絶対主義は、非常に貧しい考え方だね。豊かさは、「役に立つ」こと以外にあるのだから。
人生において必須の法律文(特許文含む、法律は知らないでは済まされないし、ポルトランドセメントによる皮膚障害の責任賠償を決めるのは基本的に法である)・規格文(JIS・JAS 規格から無縁な人生って無いでしょう)・取扱説明書文(ポルトランドセメントの取扱説明書や化学物質安全性データシートを読まないから今回の様な事故を起こす)・契約書文(事故時の保証はどう契約しているの、保険の内容は?)読解能力教育を行わず、漢文古文教育に興じられるという事は、教員数(=教員人件費)と教育予算と各家庭が自動に投ずる教育費に削減の余地がある事が証明されたので、カットして幾分なりとも財政赤字削減に廻せますね。教員削減要請とは、財務省も時にはまともな事を言う。
人生において必須の
そんなことは、長々と二度も書かなくても解るよ。
今の問題はそこじゃない。
これらに応えてみてくれたまえ。
仮にもし、これらを理解出来なのだとすると、
読解能力教育を行わず、漢文古文教育に興じられ
たせいかもしれないね。そんなことは無いはずだけど。# 漢文で書けばよかったかしら(笑)?
括弧内に今回の事件を鑑みての記述がある。人生に於いて「役に立つ事」の例として上げた物で、少なくとも今回と同様なケースでは役に立つ例を示した。選択基準は示されてはいないが(私にそんなに学は無いのが残念だ)、相対的により人生で役立つ例として上げたつもりだ。それより古文・漢文(敢えて北京語よりも)が役立っているという論拠又は例が示され無い限り、教育界が合理化の努力を怠っている事を示すのには充分であろう。教育界の合理化の努力が示され無い以上、財務省の教員削減要求 [asahi.com]の妥当性が否定できない。しかしあれだけ、字体が、書き順が、異字体が、縦書きが、と拘(こだわ)る文系人が、古文・漢文で例文が篆書・行書・草書の教科書で無く、現代日本語教科書体フォントの教科書で良しとしているのは理解し難い。(書道で扱うかどうかかな?)所詮フォントの違いと割り切るのは、理系の発想に思えるのだが。
話がかみ合わないみたいですが、
人生に於いて「役に立つ事」の例として上げた
賢者は経験だけでなく、歴史に学ぶそうですよ。だいたい、匿名の臆病者の人生論なんて、どうやって価値を認めればいいのか…
後は議論したいことはありません。特にあなたの意見を否定することもありません。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
理系学力の低下 (スコア:0)
「数学なんて生きていくのに必要ないよね」「理科なんて社会人になってから使ったことない」なんて有識者を名乗る無知者たちが提言して理系科目がペラくなった挙句、こういう事故が起こるんですよね。
むしろ、その作家らが必要だと思ってる「古文」は社会に出てから全く役に立っていないので、必須科目から削除した方がいいと思う。
Re: (スコア:0)
年取ってくると理系知識はだんだんどうでもよくなってくるけど、古文漢文で習ったことが逆に役立ってくるよ
よく思い出せなくて枕草子や論語とか読みなおしてみたりすることはよくある
まあ、細かい文法とかはいらないと思うけど
ところで、あんなにアルカリ刺激臭のするセメント液を気軽にかぶっちゃうのって
理系知識云々じゃなくて、本能がにぶってんじゃね?
Re: (スコア:0)
漢文はともかく、古文は現代語訳があれば十分でしょう。
古文を読める能力なんてのは、国文学者や歴史学者くらいが必要なだけで、普通の人には全く必要が無いものですよね。
古文で書かれた書物や契約書が現役で使われているわけでもないし。
あと、理系の知識って実は年を取ってくると益々必要になってくるですけどねえ。
理系の知識が無くて、擬似科学に騙される年配者って多いですよね。
Re: (スコア:1)
漢文はともかく、古文は現代語訳があれば十分でしょう。
そう言う意見はあってもいいわけだけど、その理由が
古文を読める能力なんてのは、国文学者や歴史学者くらいが必要なだけで、普通の人には全く必要が無いものですよね。
古文で書かれた書物や契約書が現役で使われているわけでもないし。
これじゃ、話にならないです。そう言う単純ものじゃありません。
普通の人に必要なものだけを教えるべき、という単純なルールにしたとしましょう。「普通の人」の定義の問題はひとまず措きます。そのルールを
Re: (スコア:0)
同じ国語でも、古文・漢文読解能力と、法律文・JIS文・JAS文・特許文(悪文で有名)・取扱説明書文読解能力とどっちが人生の役に立つ?
後者を教えず、敢えて前者を教える理由は?
Re: (スコア:1)
後者を教えず、敢えて前者を教える理由は?
後者を教えるな、と書いた覚えはありません。
現代文・古文の割合・内容を見直すのは悪いことではありません。
しかし、「普通の人に必要なものだけを教えるべき」みたいな単純なルールで判断されるべきではありません。
以上は前のコメントを読めば解ると思うのですが、何が問題だと言っているのですか?
Re: (スコア:0)
私が学生時分は、前者をわざわざ古文・漢文という単独教科として教育を受けたが、後者は例文すら国語・現代国語に出て来なかった。
最近は出て来る様になったのでしょうかね。
云うまでもなく、(義務及び半義務化している高等学校)教育に投入できる被教育側の生徒・学生及び与教育側の時間・人材・労力・教材・経費等のリソースは有限であり、そのリソースは有意義に使う必要がある。
にもかかわらず、後者を教えず前者の教育にかまけていた過去(おそらく現在も)の教育関係者、特に教科選定・教材基準設定者を批判しているのだ。
有限の教育リソースは、とことん役に立つ事に廻せ、古文・漢文等といった少なくとも役に立ち難い事にかまけさせるなと言っている。
英語(小学校から教える様になったそうですね)・理科(水と混ぜた液状のセメントを被るべきでないといった知恵)・近現代史(大学入試センター試験でも碌に出て来ない)の他にも、戦時国際法を含む非常時対応・地政学(地理より有用)とかの触りも抜けているのでは?
PS:あと、後者の例として、契約文も追加。
Re: (スコア:1)
有限の教育リソースは、とことん役に立つ事に廻せ、古文・漢文等といった少なくとも役に立ち難い事にかまけさせるなと言っている。
そもそも「役に立つ事」の選択基準は何かを示す必要があるね。
その上で、国語以外についても同じことを言えるかを次に示す必要がある。
もちろん、どんな選択基準であっても、どんな極端な結果でも、それはそれなりに尊重する。
ただ、それが広く受け入れられるかどうかは別の問題だ。
私の考えによると、「役に立つ」絶対主義は、非常に貧しい考え方だね。豊かさは、「役に立つ」こと以外にあるのだから。
Re: (スコア:0)
人生において必須の法律文(特許文含む、法律は知らないでは済まされないし、ポルトランドセメントによる皮膚障害の責任賠償を決めるのは基本的に法である)・規格文(JIS・JAS 規格から無縁な人生って無いでしょう)・取扱説明書文(ポルトランドセメントの取扱説明書や化学物質安全性データシートを読まないから今回の様な事故を起こす)・契約書文(事故時の保証はどう契約しているの、保険の内容は?)読解能力教育を行わず、漢文古文教育に興じられるという事は、教員数(=教員人件費)と教育予算と各家庭が自動に投ずる教育費に削減の余地がある事が証明されたので、カットして幾分なりとも財政赤字削減に廻せますね。
教員削減要請とは、財務省も時にはまともな事を言う。
Re: (スコア:1)
人生において必須の
そんなことは、長々と二度も書かなくても解るよ。
今の問題はそこじゃない。
そもそも「役に立つ事」の選択基準は何かを示す必要があるね。
その上で、国語以外についても同じことを言えるかを次に示す必要がある。
これらに応えてみてくれたまえ。
仮にもし、これらを理解出来なのだとすると、
読解能力教育を行わず、漢文古文教育に興じられ
たせいかもしれないね。そんなことは無いはずだけど。
# 漢文で書けばよかったかしら(笑)?
Re: (スコア:0)
括弧内に今回の事件を鑑みての記述がある。
人生に於いて「役に立つ事」の例として上げた物で、少なくとも今回と同様なケースでは役に立つ例を示した。
選択基準は示されてはいないが(私にそんなに学は無いのが残念だ)、相対的により人生で役立つ例として上げたつもりだ。
それより古文・漢文(敢えて北京語よりも)が役立っているという論拠又は例が示され無い限り、教育界が合理化の努力を怠っている事を示すのには充分であろう。
教育界の合理化の努力が示され無い以上、財務省の教員削減要求 [asahi.com]の妥当性が否定できない。
しかしあれだけ、字体が、書き順が、異字体が、縦書きが、と拘(こだわ)る文系人が、古文・漢文で例文が篆書・行書・草書の教科書で無く、現代日本語教科書体フォントの教科書で良しとしているのは理解し難い。(書道で扱うかどうかかな?)
所詮フォントの違いと割り切るのは、理系の発想に思えるのだが。
Re:理系学力の低下 (スコア:1)
話がかみ合わないみたいですが、
人生に於いて「役に立つ事」の例として上げた
賢者は経験だけでなく、歴史に学ぶそうですよ。
だいたい、匿名の臆病者の人生論なんて、どうやって価値を認めればいいのか…
後は議論したいことはありません。特にあなたの意見を否定することもありません。