アカウント名:
パスワード:
なんの科学的根拠もないですね。デマでは。
神学は科学ではないと思うのだが・・・・何故に科学的根拠が引き合いに出る?
#将棋のルールはチェスの観点から見て明らかに間違っている。
神学だからといって科学的根拠もなく物事を断定して良いわけ無いのでは。
>神学だからといって科学的根拠もなく物事を断定して良いわけ無いのでは。
将棋だからといってチェス的根拠もなく勝敗を断定して良いわけ無いのでは。
そもそも、神学と科学とではルールが違う。それと、科学ってのは、否定する学問ではなく、肯定する学問だ。科学的根拠がないのなら探求するのが科学であって、それをもって他者を否定するのは似非科学だと思うのだがな。
#ということで、数学的虚数の存在を科学的に証明してもらいたくなった。#数学は理論と現実に齟齬が生じた場合、理論を選択する学問です。#なので二乗すると-1になる数(虚数)は数学的には存在します。#ええ、存在すると断言してしまいましょう。#ところで、神学的に天使が存在すると断言する時に#科学的根拠が必要ですか?
将棋もチェスも現実の世界を説明しているわけではありません。神学がフィクションであり現実ではないと明確にしているのであれば問題無いと思いますが、そうではなく、現実にどうなのかを述べているのであれば、それには科学的な無根が必要だと思います。神学が科学的根拠を探求しているのであれば、神学を否定しませんが、科学的根拠を探求していないのであれば神学は否定されるべきでしょう。
>将棋もチェスも現実の世界を説明しているわけではありません。
はて、将棋もチェスも元々軍事シミュレータだった筈だが、現実の戦場をモデル化して再現したものが将棋であり、チェスでありでも、将棋とチェスとではルールが違う。それなのに一方がもう一方を自分のルールと違うとなじってる。
>神学がフィクションであり現実ではないと明確にしているのであれば問題無いと思いますが、
今の話題なら神学の例はキリスト教でいいでしょう。神学は現実の聖書に理をつける学問で科学(その発端の自然科学)は、現実の自然現象に理をつける学問です。それとも、現実とは何ぞや? という定義が必
>神学は現実の聖書に理をつける学問人が想像で書いた文章上の世界における理に過ぎないという事は明確にするべきで聖書上では、とか、現実とは異なるが、とか十分な前置きは必要でしょう。人々は多くの場合に現実にどうなのかという疑問を持って生活している現実の社会の中でフォクジョン上と述べずに、こうなのだと断言すれば、現実を見誤る人を生み出します。
・クリスタル製の花瓶で屈折した太陽光に少し似ている
屈折や太陽光といった自然科学の言葉で説明すれば、現実に照らし合わせて、現実としてはどういうものなのか、という文脈で語るべきでは無いと思います。
>人が想像で書いた文章上の世界における理に過ぎないという事は明確にするべき
天使学者として主張しているので、そこはすでに明確でしょう。
>フォクジョン上と述べずに、こうなのだと断言すれば、現実を見誤る人を生み出します。
それは仕方の無いことですね。せめて、「よく読め」と言ってあげることにします。
>屈折や太陽光といった自然科学の言葉で説明すれば、
さすがに、「屈折」「太陽光」は一般詞では?回折とか分光とかを使ってるわけでもなさそうですし。
>天使学者として主張しているので、そこはすでに明確でしょう。天使学者であり神父なのですから、信者に現実にどうかと信じこませる立場の人間です。現実ではない想像上の断りに過ぎないという事はなんら前提になっていないでしょう。現実ではないという認識は、信じないという事であって、信者であることと矛盾します。
「天使は翼をもっていない」と言うのでは、「天使は現実には存在しないが、フィクションである聖書の中では翼を持っていないものという設定になっている。」というのなら何ら問題ありません。
太陽光が屈折するという現実に対する一般常識としての認識は、天文観測や光学実験といった科学の積み重ねによって成し遂げられたものです。空想上のものを、現実にどうかを示すために科学の言葉を使って断言するのは、デマでは。
>天使学者であり神父なのですから、信者に現実にどうかと信じこませる立場の人間です。
神父として主張していたのなら、何の権威も無くオッサン(女性ではないですよね:神父だし)のたわ言です。であれは特に議論する魅力は私にはありません。「オッサンのたわ言を真に受けて・・・。」ぐらいのコメントは書いたのかも知れません。
今回はAFP記者に対して見解を発表した最上位天使学者とあるので学者としての主張だと判断しました。(天使学者が最上位なのか、天使学者の最上位なのかは不明ですが)なので、天使学上の話であることは明確なものと判断します。見解の相違の範疇のものをほじくるつも
>>>>人が想像で書いた文章上の世界における理に過ぎないという事は明確にするべき>>>天使学者だから明確>>信者でもあるから明確ではない>明確なものと判断、見解の相違の範疇見解に相違が出る程度には明確ではないということですね。多くの信者に事実であるかのように信じこませてきた歴史と現状がある以上、よほど丁寧に前置きをしない限りは、あくまでも聖書というフィクション作品上の理であり現実を説明しているのではない、という前提が明確になっているとは思えないと今一度お伝えしておきます。そう思わないということは承知しました。
事あるごとに事実であるかのように事実ではない想像上のものを語る行為によって布教がなされている事への憤りでありただのオッサンの戯言では済まされません。真に受けたのではなく真に受けてしまう人が沢山いてそれを知っていて騙し続ける行為をデマとよび批判したわけです。
>見解に相違が出る程度には明確ではないということですね。
いえ、私と貴方の見解に相違があるのは明確ですよ。
>あくまでも聖書というフィクション作品上の理であり現実を説明しているのではない、という前提が明確になっているとは思えないと今一度お伝えしておきます。
私の見解では、それは現実を説明しており明確であると判断しています。なので、議論が成立しないのは既知の事項です。私と、貴方の見解の相違の部分は、私は否定の証明はやらない。貴方は、他人に否定の証明を求める。その違いです。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
物事のやり方は一つではない -- Perlな人
なんの (スコア:3)
なんの科学的根拠もないですね。デマでは。
Re: (スコア:0)
神学は科学ではないと思うのだが・・・・何故に科学的根拠が引き合いに出る?
#将棋のルールはチェスの観点から見て明らかに間違っている。
Re: (スコア:2)
神学だからといって科学的根拠もなく物事を断定して良いわけ無いのでは。
Re: (スコア:1)
>神学だからといって科学的根拠もなく物事を断定して良いわけ無いのでは。
将棋だからといってチェス的根拠もなく勝敗を断定して良いわけ無いのでは。
そもそも、神学と科学とではルールが違う。
それと、科学ってのは、否定する学問ではなく、肯定する学問だ。
科学的根拠がないのなら探求するのが科学であって、
それをもって他者を否定するのは似非科学だと思うのだがな。
#ということで、数学的虚数の存在を科学的に証明してもらいたくなった。
#数学は理論と現実に齟齬が生じた場合、理論を選択する学問です。
#なので二乗すると-1になる数(虚数)は数学的には存在します。
#ええ、存在すると断言してしまいましょう。
#ところで、神学的に天使が存在すると断言する時に
#科学的根拠が必要ですか?
Re: (スコア:2)
将棋もチェスも現実の世界を説明しているわけではありません。
神学がフィクションであり現実ではないと明確にしているのであれば問題無いと思いますが、
そうではなく、現実にどうなのかを述べているのであれば、それには科学的な無根が必要だと思います。
神学が科学的根拠を探求しているのであれば、神学を否定しませんが、
科学的根拠を探求していないのであれば神学は否定されるべきでしょう。
Re: (スコア:0)
>将棋もチェスも現実の世界を説明しているわけではありません。
はて、将棋もチェスも元々軍事シミュレータだった筈だが、
現実の戦場をモデル化して再現したものが将棋であり、チェスであり
でも、将棋とチェスとではルールが違う。
それなのに一方がもう一方を自分のルールと違うとなじってる。
>神学がフィクションであり現実ではないと明確にしているのであれば問題無いと思いますが、
今の話題なら神学の例はキリスト教でいいでしょう。
神学は現実の聖書に理をつける学問で
科学(その発端の自然科学)は、現実の自然現象に理をつける学問です。
それとも、現実とは何ぞや? という定義が必
Re: (スコア:2)
>神学は現実の聖書に理をつける学問
人が想像で書いた文章上の世界における理に過ぎないという事は明確にするべきで
聖書上では、とか、現実とは異なるが、とか十分な前置きは必要でしょう。
人々は多くの場合に現実にどうなのかという疑問を持って生活している現実の社会の中で
フォクジョン上と述べずに、こうなのだと断言すれば、現実を見誤る人を生み出します。
・クリスタル製の花瓶で屈折した太陽光に少し似ている
屈折や太陽光といった自然科学の言葉で説明すれば、現実に照らし合わせて、現実としてはどういうものなのか、
という文脈で語るべきでは無いと思います。
Re: (スコア:0)
>人が想像で書いた文章上の世界における理に過ぎないという事は明確にするべき
天使学者として主張しているので、そこはすでに明確でしょう。
>フォクジョン上と述べずに、こうなのだと断言すれば、現実を見誤る人を生み出します。
それは仕方の無いことですね。
せめて、「よく読め」と言ってあげることにします。
>屈折や太陽光といった自然科学の言葉で説明すれば、
さすがに、「屈折」「太陽光」は一般詞では?
回折とか分光とかを使ってるわけでもなさそうですし。
Re: (スコア:2)
>天使学者として主張しているので、そこはすでに明確でしょう。
天使学者であり神父なのですから、信者に現実にどうかと信じこませる立場の人間です。
現実ではない想像上の断りに過ぎないという事はなんら前提になっていないでしょう。
現実ではないという認識は、信じないという事であって、信者であることと矛盾します。
「天使は翼をもっていない」と言うのでは、
「天使は現実には存在しないが、フィクションである聖書の中では翼を持っていないものという設定になっている。」
というのなら何ら問題ありません。
太陽光が屈折するという現実に対する一般常識としての認識は、
天文観測や光学実験といった科学の積み重ねによって成し遂げられたものです。
空想上のものを、現実にどうかを示すために科学の言葉を使って断言するのは、デマでは。
Re: (スコア:0)
>天使学者であり神父なのですから、信者に現実にどうかと信じこませる立場の人間です。
神父として主張していたのなら、何の権威も無くオッサン(女性ではないですよね:神父だし)のたわ言です。
であれは特に議論する魅力は私にはありません。
「オッサンのたわ言を真に受けて・・・。」ぐらいのコメントは書いたのかも知れません。
今回はAFP記者に対して見解を発表した最上位天使学者とあるので学者としての主張だと判断しました。
(天使学者が最上位なのか、天使学者の最上位なのかは不明ですが)
なので、天使学上の話であることは明確なものと判断します。
見解の相違の範疇のものをほじくるつも
Re:なんの (スコア:2)
>>>>人が想像で書いた文章上の世界における理に過ぎないという事は明確にするべき
>>>天使学者だから明確
>>信者でもあるから明確ではない
>明確なものと判断、見解の相違の範疇
見解に相違が出る程度には明確ではないということですね。
多くの信者に事実であるかのように信じこませてきた歴史と現状がある以上、よほど丁寧に前置きをしない限りは、
あくまでも聖書というフィクション作品上の理であり現実を説明しているのではない、
という前提が明確になっているとは思えないと今一度お伝えしておきます。
そう思わないということは承知しました。
事あるごとに事実であるかのように事実ではない想像上のものを語る行為によって布教がなされている事への憤りであり
ただのオッサンの戯言では済まされません。真に受けたのではなく真に受けてしまう人が沢山いてそれを知っていて騙し続ける行為をデマとよび批判したわけです。
Re: (スコア:0)
>見解に相違が出る程度には明確ではないということですね。
いえ、私と貴方の見解に相違があるのは明確ですよ。
>あくまでも聖書というフィクション作品上の理であり現実を説明しているのではない、
という前提が明確になっているとは思えないと今一度お伝えしておきます。
私の見解では、それは現実を説明しており明確であると判断しています。
なので、議論が成立しないのは既知の事項です。
私と、貴方の見解の相違の部分は、私は否定の証明はやらない。
貴方は、他人に否定の証明を求める。その違いです。