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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
まぁ、妥当な線では (スコア:3, 興味深い)
喉から手が出る程待ち望んでいた事ではないでしょうか?
一時は、セガの規模からすると引取れる体力のある企業は日本には無く、
MS位しか引取り手が居ないんじゃないかとまで言われていただけに、
サミーが無事引き取ってくれて良かったんじゃないかと思います。
パチスロ屋よりもマイクロソフト・・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
マイクロソフトのゲーム部門に吸収された方が良かったなぁ。(Taiyakissの個人的には。)
歴史を紐解いて見ると、
セガ上層部の判断と状況認識能力は、い
Re:パチスロ屋よりもマイクロソフト・・・ (スコア:0)
セガの中の人間なら、誰しも思ってますって。
#上層部に愛想つかした、底辺契約社員より
#だから、有能な(必要な)人ほど先に去っていったのですよ。
セガとMY青春。 (スコア:3, 参考になる)
ファミコンやセガマーク3が発売される以前からのマイコン(ナイコン)少年で、
6502のマシン語よりもZ80のマシン語の方が高機能だし読みやすいから
という理由で(笑、
当時大ブームだったファミコンを買わずにセガマーク3を買い、
初代BEEP誌を熱烈購読し、無論、当然、
BEEP誌で、セガの開発スタッフが自分たちで運営する
SPEC(Sega Players Enjoy Club) [fukkan.com] の情報を知ると速攻で加入し、
高校生になったら、地元(超田舎)のハイテクセガのゲーセンで店員バイトをした、
単なるセガマニアですが(笑、
部外者の、こんなバカな行動で貴重な青春を空回りさせて浪費しまうような
ダメ少年が見ていても、当時からセガの戦略は「こりゃダメだろ・・・」と感じていました・・・。
家庭用ゲーム機本体では、
SG1000~SC3000系~マーク2までは、
まあ、あのビデオチップの選択でもしょうが無かったでしょう。
当時のLSIの設計製造レベルを考えても、
直接のライバル機種だった任天堂のスペックが脅威的なほど的確過ぎたのが敗因です。
しかしマーク3のグラフィックスチップのBGチップとスプライトの発色数は、
非常に素晴らしかった。私はハードは完璧だったと思う。
しかし日本国内ではソフト供給でファミコンに負けた。
当然ですよね。
セガ社内と少数の周辺企業だけで、
バカみたいに大量のゲームを同時進行で作らされていたんだから・・・。
グラフィックスもゲームシステムも、満足に作り込めないままで出荷せざるを得ないため、
ほとんどのゲームソフトの内容が薄くなり、
猛烈に作り込まれ、内容が充実してきた同時期のファミコンソフトに勝てるわけが無かった。
当時は、ゲーム内部で使われているプログラミングテクニックがどれだけ凄いかとか、
このセガ作品を作ったゲームクリエイターが、
時間さえ十分にあったなら、本当はどんな作品を完成させたかったのかを
パソコンのプログラミングとアーケードゲームプレイの体験で得た
技術的知識とセガ魂で、自己の脳内で補完して感動できるセガマニアだけがマーク3の理解者でした(マジで(笑。
海外ではマスターシステムが検討したのは、セガ上層部の戦略が良かったのでは無く、
海外の現地のゲームソフトハウスが、頑張ったからだと思います。
メガドライブのハードウエアは、まあ、スーパーファミコンと比べて、
グラフィックスの回転縮小機能が無いのは、開発時期とコストを考えるとしかたないでしょう。
しかし、スプライトとBG画面の8×8ドット1チップ内で使える色数の少なさは、
バカとしか言えません。
実質的に使える色数が少ないせいで、メガドライブには、
まるで初代ファミコンの画面に見えてしまうようなゲームが沢山出てしまいました。
たしかに色数を減らせば、ROMやRAMの使用量減らせますが、
色数減らし過ぎたらどうにもなりません。スペックは全てバランスです・・・。
企業ですから、社内のエンジニアや、ハードウエア設計部門の一存では、
こういうスペックは決められないはず。
つまりセガ上層部の判断でスペックが決まったはずです。
メガドライブのソフトは、セガ社内の開発部隊も、サードパーティーも十分に頑張ったと思います。
日本全体がバブル景気だったし、
アーケードゲーム業界も家庭用ゲーム機業界も、
歴史上で一番、進化や変化が激しく、エネルギッシュな時代だったので
セガ上層部がバカでも、セガは儲かっていましたよね。
当時、セガの開発部隊は爆発的に良い仕事をしていました。
アーケードでは80年代後半の体感ゲーム機、
メガドライブでは、相変わらずトンデモないほどの大量のタイトルを同時進行で作らされながらも、
かなりの高いクオリティーのゲームを送り出していました。
社内での待遇や、殺人的な仕事量を別にすれば、ある意味で開発部隊の黄金期だったのかも知れませんよね・・・。
ゲームギアは、色んな意味でネオジオポケットでしたね(笑
海外のジェネシスの検討も、セガ上層部が優れていたわけではなく、
現地のサードパーティソフトハウスが、ATARI魂やAMIGA魂を炸裂させた結果だと思います。
そして、サターン。私はこの機種あたりでセガマニアを卒業してしまいました。
ライバル機種、初代プレステの設計思想が、当時のLSI設計製造技術の限界まで使いこなし、
的確過ぎていたのは事実ですが、
それとは関係無く、サターンはハードの設計思想がダメ過ぎです。
大げさでは無く、私は、発売前にゲーム雑誌に載ったスペックを見て「これはダメかも・・・」とガッカリしていました。
このサターンのハードウエアスペックも、セガは企業ですから、
一介のエンジニアやハード開発部署が決めるわけではなく、
上層部が決めたんでしょうね・・・。またです。泣けちゃいます。
サターンは海外でも泣けちゃいました。
そして最後の家庭用セガゲームマシン。ドリームキャスト。
CPUやグラフィックスチップやメモリ量などの性能は、
開発時期や発売時期を考えるとパーフェクトだと思います。悪くない。
プレステ2の方が高性能なのは、後から出たんだから当然です。
しかし、CPUやグラフィックスチップなどのコアテクノジーは完璧だったのに、
周辺部分の設計が・・・。そのスペック方針を決めたのは誰だ・・・。
私は、ドリームキャストの発売前に、セガBBSや、メールや、
当時オールナイトニッポンに出演したマイクロソフトの古川享さんへの
ラジオ番組企画で質問を募集したメールで、
頼むからドリームキャストにIDEのHDDを接続できるIDEポートを付けてくれ。
どう考えても、今後の(当時)ネットワークの進化を考えると、
HDDを徹底的に安価に増設する余地を作っておくべきだ。
とくに、完全に標準規格に準拠したIDEポートを付けておけば、
ちょっとパソコン自作に詳しい人なら、余っているIDE HDDを内蔵させて、無料でHDD増設も可能だ。
それがダメなら、2500円のビジュアルメモリは高価過ぎるから、
汎用のフロッピーディスクドライブユニットは2000円だから、それを内蔵して、
普通のフロッピーにデータを書き込めるようにしてくれ、
そして、プレステのネットやろうぜのように、
ドリームキャスト用の開発キットと開発情報を配布して、
新たなる世代の、高い技術理解力を持った真のセガマニアを作り出してくれ。
という投書をしまくりました(笑。
当然、こんなキチガイの言うことなんて、セガ上層部には「バカの妄想」にしか聞こえなかったでしょうね・・・。
そしてドリームキャストは発売されました。
アナログモデムだけしか使えない仕様で。
発売直後に、日本でも安価な常時接続のフレッツISDNが始まりました。
せっかくドリームキャストは電圧が特殊とは言えシリアルポートを内蔵していたのに
フレッツISDNのTAに接続するキットはセガから発売されませんでした。
EtherNetポートが増設できる点は素晴らしかったですが、
パソコン用なら1000円で買えるNICが、8800円では、
何のためのパソコンより低価格な家庭用ゲームマシンなのかが分かりませんでした。
なぜ、フレッツISDN用のルータや、
EtherNet接続で使用するADSLやCATVの普及がハッキリして来た時期に、
NICを標準で本体基板に作りつけた低価格なドリームキャストを開発し、
フレッツADSL接続用のPPPoE機能を全てのソフトに付けないのか、
私には謎でした。ドリームキャストの戦略を決めているはずのセガ上層部の考えは、いつも謎でした。
そして、ドリームキャストは終わりました。
私の青春の、一番、だいじだった部分を書いたので、
おもいっきり長文になってしまいました。ああ、青春のセガ。
なんだかんだ言って、楽しかったよ・・・。もう戻らない青春。
どれだけ素晴らしい可能性が有ったとしも、目がフシアナで、
その可能性を潰すことしかしない組織では何も出来ません。
助けてと叫ぶことすら、アホらしくなる。
Re:セガとMY青春。 (スコア:1, 興味深い)
言い返す詞もない(返さなくても良い)
でも、内情はそりゃ酷い物でしたよ。
ええ、DC時代のCOOと営業系の役員の無軌道な発言とかを漁って頂ければ、その無軌道さいくらか判って頂けるかと。
#今はなき、ゲーム業界残酷物語が現役なら燃料大量投下できそうな
#もとセガの中の人