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> デフレの一因にはWebがあるのではないか
こういう主張はよく聞くし、一見まともな意見に思えますが、少し考えてみると「おかしい」と気づけます。
なぜなら、もしWebが、あるいは他の何かが無料サービスを提供することで「消費者にお金を使わせない」ようにしているなら、我々消費者の「預貯金額が年々増えていく」はずだからです。
皆さんの実感だけでも、そうでないことはお分かりになると思いますがより厳密に、貯金額の定義として「家計貯蓄率」という数字を参考にしてみます。
家計貯蓄率とは簡単に言うと「貯蓄額を可処分所得で割った比率」です。詳しくはWikipediaでも参照して下
ウェブの本質は情報のやりとりです。そして、情報のやり取りの結果として値段が下がるのは経済学的に至極まっとうな結論ですね。
価格を下げる最大の要因は自由競争、アダム・スミスの言うところ「神の見えざる手」です。今まで「何となく」とか「広告でこれが良いと言っていた」という理由で商品を選択していた消費者に対して、Webは「他店の値段はこれれだよ/去年の値段もこれだよ」という強力無比な力を与えてしまった。これにより、生産者と消費者との間で揺れていた天秤が圧倒的に消費者側に傾いた。
ただ、それだけのことでしょう。一端、この状態で安定
1.供給側と需要側の立場が、需要側有利に傾いたら、供給力が需要を上回るのでしょうか?たぶん違いますね。
それとも、2.供給側と需要側の立場の変化は、需給量のバランスとは異なる理由でデフレを起こすのでしょうか?判断は保留しておきましょう。
>全てが家計簿をつけ始めると3.無駄使いが減れば、総需要も減りますから、デフレに振りますね。
>理解できない生産者が全て淘汰されればデフレは収まり4.供給が減れば需要と吊り合ってデフレは収まりますね。
では言い換えると、5.デフレ下で、淘汰を促す Webは、デフレの収束も促すのでしょうか?これも判断は保留しておきましょう。
私の別コメント#2596962 [srad.jp]で> 日本における Web は想像以上に生産性を向上させる「強力な生産装置」だったと書きましたが自分でも余り信じていません。
昼ご飯を食べながら少し考えました。
Webを通じての情報のおかげで、供給側と需要側の立場が、需要側有利に傾いたら、その事実を「供給が増えて」需要側有利に傾いたと、皆が勘違いするのではないでしょうか?
実際には供給が追加で増えた訳ではないのに、供給側不利=供給過多の進行と受け取ってしまう。
元々供給が少し多めの、既に少しデフレの日本の市場では、この作用が、心理的な需給バランスをさらに大きく崩す働きをしたのではないでしょうか?
ということで、2.は、供給側と需要側の立場の変化は、素地があれば、心理的な需給バランスを崩してデフレを起こす。心理的な影響なら、3.よりは弱いかも知れませんが、無視できない影響があっても不思議ありません。
5.はまだ解りません。
アダム・スミスの需要と供給の関係は、「売り手」と「買い手」が通貨を媒介に物を交換するとき、「買い手」の需要が満ちるまで、最も安い価格をつける「売り手」から順に各々の供給が許す限りの売買が成立する、という話を巨視的に捉えたものです。しかし、この前提条件として、「買い手」は「売り手」が「売り手」であることを知っている必要があります。つまり、仮に隣家の八百屋で100円の大根を売っていたとしても、それを買い手が知らなければ、隣町のスーパーで300円の大根を買うしかなくなるわけです。ですから、購入先が増えるのは、「買い手」にとっては、見かけ上の「売り手」が増えるのと同じことです。それどころか、スーパーにとっては、新たに八百屋というライバルが忽然とあらわれるわけですから、「売り手」にとっても「売り手」が増えるのと同じです。
需要と供給の関係は、「買い手」の無知(あるいは「売り手」の宣伝不足)によって、供給にマイナスの補正がかかった状態で成立していたわけですから、情報量の増大によって、実質的な供給量が増えずとも実効的な供給量が増えるはずです。別の言葉で言えば、宣伝(される)コストが減った分が価格に反映されているだけ、とも言えます。
リカードの比較優位で考えると、鎖国している場合、各々の国の品目の(労働力換算の)価格の*平均*は、自由貿易体制に移行したときの一律価格を必ず上回るので、隣家の八百屋への(「無知」という名の)鎖国状態が解かれたら、全体としては必ずデフレすることになると思いますよ。
一見、我々は自由市場で暮らしているように見えて、その実、細かく見れば、まだまだ自由じゃなかった、ってことじゃないですかね。「見えざる手」にも、その程度の怠慢があるんだと思います。もっと具体的にいうと、情報格差によって区切られたクラスタ内でしか「手」が働かないから、でしょう。これをウェブと昨今のデフレの関係に当てはめていいものかは疑問ですが、情報量の増大で消費者の地位が上がる、っていうのはこういう事じゃないですかね。
その前提条件がクセモノなんだな古典経済学、自由主義経済学は机上では美しいけど、現実の経済は全っ然違う条件で動いてるからマル経の前提も机上の空論だけど、自由主義はもっと現実離れしてる
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
我々庶民はお金を使っている (スコア:5, すばらしい洞察)
> デフレの一因にはWebがあるのではないか
こういう主張はよく聞くし、一見まともな意見に思えますが、
少し考えてみると「おかしい」と気づけます。
なぜなら、
もしWebが、あるいは他の何かが無料サービスを提供することで
「消費者にお金を使わせない」ようにしているなら、
我々消費者の「預貯金額が年々増えていく」はずだからです。
皆さんの実感だけでも、そうでないことはお分かりになると思いますが
より厳密に、貯金額の定義として「家計貯蓄率」という数字を参考にしてみます。
家計貯蓄率とは簡単に言うと「貯蓄額を可処分所得で割った比率」です。詳しくはWikipediaでも参照して下
Re: (スコア:4, すばらしい洞察)
ウェブの本質は情報のやりとりです。そして、情報のやり取りの結果として値段が下がるのは経済学的に至極まっとうな結論ですね。
価格を下げる最大の要因は自由競争、アダム・スミスの言うところ「神の見えざる手」です。今まで「何となく」とか「広告でこれが良いと言っていた」という理由で商品を選択していた消費者に対して、Webは「他店の値段はこれれだよ/去年の値段もこれだよ」という強力無比な力を与えてしまった。これにより、生産者と消費者との間で揺れていた天秤が圧倒的に消費者側に傾いた。
ただ、それだけのことでしょう。一端、この状態で安定
Re:我々庶民はお金を使っている (スコア:1)
1.供給側と需要側の立場が、需要側有利に傾いたら、供給力が需要を上回るのでしょうか?
たぶん違いますね。
それとも、
2.供給側と需要側の立場の変化は、需給量のバランスとは異なる理由でデフレを起こすのでしょうか?
判断は保留しておきましょう。
>全てが家計簿をつけ始めると
3.無駄使いが減れば、総需要も減りますから、デフレに振りますね。
>理解できない生産者が全て淘汰されればデフレは収まり
4.供給が減れば需要と吊り合ってデフレは収まりますね。
では言い換えると、
5.デフレ下で、淘汰を促す Webは、デフレの収束も促すのでしょうか?
これも判断は保留しておきましょう。
私の別コメント#2596962 [srad.jp]で
> 日本における Web は想像以上に生産性を向上させる「強力な生産装置」だった
と書きましたが自分でも余り信じていません。
昼ご飯を食べながら少し考えました。
Webを通じての情報のおかげで、供給側と需要側の立場が、需要側有利に傾いたら、
その事実を「供給が増えて」需要側有利に傾いたと、皆が勘違いするのではないでしょうか?
実際には供給が追加で増えた訳ではないのに、供給側不利=供給過多の進行と受け取ってしまう。
元々供給が少し多めの、既に少しデフレの日本の市場では、この作用が、心理的な需給バランスを
さらに大きく崩す働きをしたのではないでしょうか?
ということで、
2.は、供給側と需要側の立場の変化は、素地があれば、心理的な需給バランスを崩してデフレを起こす。
心理的な影響なら、3.よりは弱いかも知れませんが、無視できない影響があっても不思議ありません。
5.はまだ解りません。
Re:我々庶民はお金を使っている (スコア:1)
アダム・スミスの需要と供給の関係は、「売り手」と「買い手」が通貨を媒介に物を交換するとき、「買い手」の需要が満ちるまで、最も安い価格をつける「売り手」から順に各々の供給が許す限りの売買が成立する、という話を巨視的に捉えたものです。しかし、この前提条件として、「買い手」は「売り手」が「売り手」であることを知っている必要があります。つまり、仮に隣家の八百屋で100円の大根を売っていたとしても、それを買い手が知らなければ、隣町のスーパーで300円の大根を買うしかなくなるわけです。ですから、購入先が増えるのは、「買い手」にとっては、見かけ上の「売り手」が増えるのと同じことです。それどころか、スーパーにとっては、新たに八百屋というライバルが忽然とあらわれるわけですから、「売り手」にとっても「売り手」が増えるのと同じです。
需要と供給の関係は、「買い手」の無知(あるいは「売り手」の宣伝不足)によって、供給にマイナスの補正がかかった状態で成立していたわけですから、情報量の増大によって、実質的な供給量が増えずとも実効的な供給量が増えるはずです。別の言葉で言えば、宣伝(される)コストが減った分が価格に反映されているだけ、とも言えます。
リカードの比較優位で考えると、鎖国している場合、各々の国の品目の(労働力換算の)価格の*平均*は、自由貿易体制に移行したときの一律価格を必ず上回るので、隣家の八百屋への(「無知」という名の)鎖国状態が解かれたら、全体としては必ずデフレすることになると思いますよ。
一見、我々は自由市場で暮らしているように見えて、その実、細かく見れば、まだまだ自由じゃなかった、ってことじゃないですかね。「見えざる手」にも、その程度の怠慢があるんだと思います。もっと具体的にいうと、情報格差によって区切られたクラスタ内でしか「手」が働かないから、でしょう。これをウェブと昨今のデフレの関係に当てはめていいものかは疑問ですが、情報量の増大で消費者の地位が上がる、っていうのはこういう事じゃないですかね。
Re: (スコア:0)
その前提条件がクセモノなんだな
古典経済学、自由主義経済学は机上では美しいけど、現実の経済は全っ然違う条件で動いてるから
マル経の前提も机上の空論だけど、自由主義はもっと現実離れしてる